すみません 我が家の愛しい恥部です 【 後編 】
「ど、どうしたの姉さん!?」
「いゃああああああああああああーっ!!」
姉さんが真っ青な顔で金切り声を上げる。そしてガクガクと震えながらも僕の身体をレドウォールドさんにグイと押し向け、自分はその後ろに素早く隠れてしまった。えっ、僕もしかして盾にされてる!?
「姉さん!? どうしたんだよ!?」
「きゃああーっ!! きゃぁあああーっ!! きゃあああああ――っ!!」
姉さんのあまりのパニックぶりにレドウォールドさんも心配になったんだろう、キサラ姉さんに一歩近づいてきた。
「タイセーの姉上殿、いかがなされたのですか?」
途端に姉さんはさっきよりもさらに大きな声で「いやややああああ!! 側に来ないでええええ!!」と僕の背後で絶叫した。そして僕のジャケットにしっかりとしがみつき、
「タ、タイちゃん!! ダメ!! この人はダメよ!!」
と血の気の引いた顔で叫ぶ。
「ヘ? ダメってどういうこと?」
「とにかくダメなの!! この人の側に行っちゃダメえええええーっ!!」
「落ち着いてよキサラ姉さん!!」
でもこのパニックぶりじゃ、キサラ姉さんがすぐに平静に戻るとは思えないな。先にレドウォールドさんに事情を説明した方がよさそうだ。
姉さんに向き直ってぎゅっと抱きしめてからレドウォールドさんに謝る。
「す、すみません、見苦しいところを見せちゃって……。僕の姉さん、極度の男性恐怖症なんです」
「ほう……」
レドウォールドさんがほんの少しだけ興味深そうな顔をした。
「それは難儀なことだな。では私はここで失礼したほうがいいな」
「はい。色々とすみませんでした」
「いやお前に煽られたからとはいえ、私も少々大人げなかった。あのようなふるまいをしたことを許してほしい。ではまたなタイセー」
身を翻し、レドウォールドさんが大通りへと去り始めてゆく。
「あっ待って下さい! あのっ、カリッ……じゃなくてあの娘に伝えてください! “ 今日はごめん! 明日からPSIの特訓を全力で頑張るから” って!!」
危なかった。うっかりカリンの名前を言っちゃいそうになったよ。
僕のこの依頼を聞いたレドウォールドさんは一瞬だけ足を止めて頷く。
「……了解した。伝えておこう」
レドウォールドさんは僕の言伝を預かってくれた。
だけどその表情にほんの少しだけ重苦しそうな影が一瞬浮かんだのを僕は見逃さなかった。
そんな顔をしたのは、落ちこぼれな僕が今からいくら一生懸命PSIの特訓をしたって所詮は無駄だと見極めているからなのかな。それとも自分もカリンを好きだから、僕があの娘を諦めていないのが憂鬱なのかな。どっちなんだろう……。
さっきの僕の問いにレドウォールドさんは何も応えてくれなかったし、僕は接触感応も使えないから、僕にはこの無敵の従者さんの本心が分からない。この先も永遠に分からないのかもしれない。
だけど、レドウォールドさんが僕をどう評価しようと、僕は諦めない。
あの人がカリンを好きでも、そして優れたサイキッカーでなければ家のしがらみに縛られたカリンを救いだせなくても、僕はまだ諦めない。諦められないよ。
だから明日からのイブキ先生の個人特訓がどんなに辛い特訓でも絶対に耐えてみせる。
だって初恋の女の子が僕を好きだったんだもん。
僕がこんな落ちこぼれだと知っていても好きだって言ってくれて、僕が本当はすごい力を秘めていて、埋もれている才能がいつか芽吹くって、信じていてくれてるんだもん。
僕はカリンのその想いに応えたい。応えなくちゃいけないんだ。
でも明日の特訓の前に今すぐ僕がやらなければいけないことはありそうだ。
もうとっくにレドウォールドさんの姿は見えなくなっているのに、まだ僕にしっかりとつかまってガタガタと震えているキサラ姉さんをまずは落ち着かせなくっちゃ。
「姉さん、大丈夫? ほら、大きく息吸って。まずは落ち着こう?」
「タ、タイちゃん、あなた今の男の人とよく会ってるの!?」
「そんなにしょっちゅうは会ってないけど……」
っていうか昨日十年ぶりに会ったばかりだけど。
「あの人ともう二度と会っちゃダメ!!」
「ど、どうしてさ?」
「あの人がヘンタイだからよ!!」
「ええええ──!?」
嘘だろ!?
レドウォールドさんがヘンタイだって!? そんなことあるわけないじゃ……あ、待てよ!?
でもうちのキサラ姉さんは感応力が凄く高いから、自分でコントロールはできないけど対象相手の思考を読み取れる事が多い。
こんなに美人なキサラ姉さんが引きこもりみたいな生活をするようになった原因の一つとして、キサラ姉さんを見た男のほとんどが頭の中で姉さんを勝手に裸に剥いたりエロい妄想をするからだとシヅル姉さんも言っていた。
……ということは、まさかレドウォールドさんもうちの姉さんを見て頭の中でトンデモナイ妄想したってこと!?
フルリアナスの制服のジャケットの中を一筋の嫌な汗が流れる。
もしそうなら幻滅だよ。あんなにカッコイイ従者さんも考える事は僕らと同じってことなのかよ……。
ショックを受けている僕に姉さんの口は止まらない。
「あの人の頭の中、女の子の画像でいっぱいだったの! 綺麗なベージュ色の長い髪の女の子で、タイちゃんと同じフルリアナスの制服を着ていたわ!!」
―― エエッ!? ちょっと待ってよ!! 妄想の相手ってキサラ姉さんじゃなくてカリンなの!?
「姉さんっ! その娘、どうなってた!? レドウォールドさんの頭の中で何をされてたんだよ!?」
チクショウ、やっぱあの人もカリンが好きなのかよ!!
しかも僕と真面目な会話をしながら頭ん中ではカリンにエロいことしてたっていうのかよ!!
「タ、タイちゃん? どうしたの急にムキになって……」
「いいから!! 教えてよ!! レドウォールドさんはその娘にどんなことをしてたのさ!!」
姉さんの肩をつかんで強くゆすると、姉さんはその大きな瞳で僕を見上げ、また大声をあげた。
「だから何もされてないのよおおお――っっ!!」
「……ハイ?」
「ただその女の子の画像が頭の中に一杯あるだけなのっ! おかしいでしょ? だって男の人なら普通は頭の中で女の子をまずハダカにして、そこから〇〇〇なことしたり、あげくに○○○○○までさせたりするじゃない!! そういうことを全然させてないの! おかしいわ! だからタイちゃん、あの人絶対にヘンタイよ! 正真正銘のヘンタイに遭遇したわ!」
そ れ を あ な た が 言 い ま す か
弟である僕に欲情するヘンタイな姉さんに対するこの突っ込みが喉元までせり上がってきたけど、なんとか口から出る間際で無音にすることに成功する。
何だ、ただカリンの映像があっただけか……。毎日付き従っていて、カリンを守ることが自らの使命としているレドウォールドさんらしいや。
でも安心した。
さっき僕にあれだけ偉そうな事を言っていたくせに、自分も妄想ワールドでカリンにヘンな真似をしていたら、僕、次あの人に会った時に何をするか分からなかったかもしれないよ。
「タイちゃん、あんなヘンタイな人ともう会っちゃダメよ!? いいわね!?」
だからヘンタイなのはあの人じゃなくて姉さんだよ、と言いたいけどここはグッとガマンする。
とりあえず家に入ろう、と声をかけると姉さんは急に顔をほころばせ、僕の腕にピッタリと抱きついてきた。
「えぇ! 姉さん、タイちゃんがなかなか帰ってこないからすっごくさみしかったんだから!」
「姉さん、そんなにしがみつかれたら痛いんだけど」
ぎゅううっと腕にしがみついてくるその激しいボディコミュニケーションに小言を言うと、キサラ姉さんはニッコリ笑ってほんの少しだけ力を緩めてくれた。でも僕から離れる気はなさそうだ。
「ねぇタイちゃん、今日姉さんと一緒に寝ない?」
「寝るわけないだろ」
「もうっ、姉さんはこんなに寂しさを抱えているのに……。じゃあ今日はずーっとタイちゃんにこうしてくっついてるわね!」
……はぁ。
思わず深い吐息が漏れる。
昨日、キサラ姉さんとの過去を思い返して胸がいっぱいになって、つい衝動的に姉さんのほっぺにキスをしてしまったあれはやはり失敗だった。このテンションだと玄関に入った瞬間に「お帰りなさい」のチューでもされそうだよ……。
でも今は何も言わないでおこう。
なぜならここはまだ歩道で公衆の面前だ。これ以上我がイセジマ家の恥部を外部にさらすわけにはいかないもの。
マンションに戻るとシヅル姉さんももう帰っていた。玄関先まで出迎えてくれた姉さんの口元にトレードマークの棒付きまん丸キャンディは見当たらない。
「お帰りタイセー。遅かったな」
さすがはシヅル姉さん。ちょっと帰りが遅くなったぐらいでパニックになったキサラ姉さんとは違っていつも通りのクールさだ。
「さ、遅くなっちゃったけどゴハンにしましょっ。それともお風呂先にするタイちゃん?」」
「お腹空いてるから先にゴハンがいいな」
「そうだな私も空腹だから先に食事にしてくれるとありがたい。じゃあタイセー、夕飯の後は私と一緒に風呂に入るか?」
「なんでそういう質問が自然に出てくるんだよシヅル姉さん……」
「ん? 血を分けた姉弟で一緒に入浴して何がおかしい?」
「だからその常識自体が間違ってるって何度言えば分かるんだよ!?」
「ふふっ、タイちゃんてば相変わらず恥ずかしがり屋さんねっ。じゃあシヅル姉さんとじゃなくて私と入る?」
「どっちとも入らないよ!!」
あぁ神様、この姉たちの思考をまっとうなものに矯正するには一体どうすればいいんでしょうか?
「それとタイセー、遅くなる時は連絡くらい入れろ。キサラが心配する」
「何言ってるの、シヅル姉さんだって心配してたくせに。ケータイ鳴らしても通じないからタイちゃんが事故にでもあってたらどうしようってさっきからずっとおろおろしてたじゃないの」
「キ、キサラ! そういうことをタイセーの前で言うな!」
「うふふっ、だってホントのことじゃない」
「わっ、私はおろおろなんてしていないっ!!」
いつもクールなシヅル姉さんが珍しく顔を赤らめ動揺している。ムキになって否定するから姉さんの長いポニーテールが面白いぐらいに大きく左右に揺れ動いてるよ。
「キサラ! お前だってさっきまで泣きそうな顔をしてたじゃないか! 挙句の果てに勝手に家を飛び出してタイセーを探しに行ったくせに私のことをとやかく言える立場じゃないだろう!?」
「だってタイちゃんが心配だったんだもの。でもタイちゃんに何もなくって本当に良かったわ」
……なんだろう、姉さんたちの今のやり取りを聞いていたら胸の真ん中がほんのりとあったかくなってきたような気がする。
「シヅル姉さん、キサラ姉さん、ごめん心配掛けて。今度から遅くなる時は必ず連絡するよ」
「あっ、当たり前だ! 今度キサラに心配をかけるようなことをしたら許さんぞ!?」
まだ顔の赤いシヅル姉さんに頭を軽くコツンと小突かれ、キサラ姉さんに手を引っ張られて家の中に入る。
「さ、みんなでゴハン食べましょ!!」
「うん」
……僕の姉は二人とも生粋のヘンタイで、その歪んだ愛情をしょっちゅう向けられている僕としては頭を抱えたくなるような時は多い。
だけど、僕にとってはどちらも愛しくて大切な姉さんだ。
今日、あらためてそう思った。