あの娘のことをどう思っているんですか
超電撃を喰らって気絶していた状態から目覚めた時に一番最初に目に入ってきた夕焼け空。
さっきまでは女の子が好みそうなふわふわしたピンク色だったけど、今は赤みの強い濃い色に変わり始めている。
「私がカリンお嬢様に尽くす理由。それは私の閉ざされた視界を開き、安らぎを与えてくださったあの方へのご恩をお返ししたいからだ。だから私は全身全霊を尽くし、お仕えする。あの方は私にとってすべてだ」
そうきっぱりと答えたレドウォールドさんの左目は赤ではなくて青色だ。でもこの燃え上がるような夕焼け空と同じようにすごく強い意志を感じる。
「貴殿と初めて会ったのはお嬢様が5歳の頃だったな」
「はい。いつもあなたはカリンの側にいましたよね」
「タイセー、あの頃の私を見てどう思った?」
「……正直に言ってもいいですか?」
「むろんだ」
「最初の頃はいつも人を睨みつけるような怖い顔をしてたし、話しかけても全然喋ってくれないし、なんだよこの人、って思ってました」
遠慮一切無しの僕の答えを聞いたレドウォールドさんがフッと小さく笑った。
「そうだな。この国の言葉をまだきちんと習得していなかったせいもあるが、あの頃の私はやさぐれていた。人を信じられなかった時期だったからな」
レドウォールドさんはそう言うと、革手袋をはめた手で自分の前髪を軽く触る。
「なぜ私がいつもこちらの目を隠しているか知っているか?」
「いえ、知りません」
「そうか、お嬢様はお前に何も言っていなかったのか……」
レドウォールドさんがほんの一瞬だけ過去を懐かしむような表情を見せる。
「そっちの目、どうかしたんですか?」
「抉られた」
……は?
レドウォールドさんがあまりにサラリと簡単に言ったのですぐに意味が飲み込めなかった。
ポカンとしている僕にレドウォールドさんは、「しかも実の兄にな」とさらに衝撃的な言葉まで付け加えてくる。
「お、お兄さん!? お兄さんにそっちの目をくり抜かれたんですか!?」
「あぁ」
「ど、どうしてですか?」
「実は私の家も故国ではそれなりに知られた名家でな。アレトゼー家は長子が継ぐと代々決まっているのだが、私と兄はPSI能力に大きな開きがあった」
「レドウォールドさんの方が優れてたんですよね?」
分かりきっている事だけどつい口に出してしまった。
「そうだ。それで今までの慣習を変え、私が家を継ぐべきだという話になったのが全ての事の発端だ。私はわずらわしいことは御免だったので今までどおり慣習に従って兄が継ぐべきだと思っていた。だが兄は自分の地位が脅かされる事を恐れ、私をその手にかけ、亡き者にしようとしたのだ」
レドウォールドさんは涼しげな顔で自分の生い立ちを話す。まるで自分にはまったく関係の無い、どこかで偶然耳にした噂話のように。
「ある日の朝早く、近くにある湖水に行こうと兄に誘われ、その場所でいきなり襲われた。まさか実の兄に殺されそうになるとは思ってもいなかったので私も完全に油断してしまっていた。兄が近距離から私の顔めがけていきなり放った大気凝固の鋭い破片をかわし切れなかった。右目はそれを喰らった瞬間に完全に失明したよ」
さっきから他人事のように言ってるけど、この人、自分の家族に殺されそうになったの!?
「まさかあの兄が、という思いで動揺したことに加え、片目だけになった視界のせいで攻撃を喰らいまくったよ。だがアレトゼー家に代々伝わる刀で止めを刺される直前、私はそれを死に物狂いで奪い、その足で生まれ育った家や故国から逃げ出したのだ」
家に代々伝わる刀って、たぶん昔からいつもレドウォールドさんが身につけているあれのことだろう。この人はあのサーベルで殺されかけたことがあるのか……。
「そしてそこから私の流浪の旅が始まった。食い繋ぐために色んな事をやったよ。その中で一番よくやったのがバウンサーだ。この国に流れ着いた時、資産家のご息女の護衛話を耳にしていちにもなく受けた」
「それがカリンなんですか……?」
「そうだ。最初は短期間だけその幼女の護衛をして金が多少出来たらまた別の国に行くつもりだった。だがその方は私にそれまで見えていなかった視界を下さった。だから私はこの国に骨をうずめることにしたのだ。お嬢様にご恩をお返しするためにな」
レドウォールドさんの左の瞳が優しげに揺らぐ。
「あの頃、幼かったお嬢様は私のこの右目が気になってしかたなかったようだ。こうしていつも頑なに隠していたからな。そっちの目も見せてと何度もせがまれたよ。だから何度目かにせがまれた時に面倒になったので見せてしまった。当時はカリンお嬢様に対して忠誠心の欠片もなかったから、暗い空洞となっているこの右目を見せることによってお嬢様の心に一生の傷を植えつけることになっても構わないと思ったからな」
「カリンはその時、どうしたんですか?」
「とても驚かれていたよ。まさかここに目が無いなんて思いもしなかったんだろう。呆然と私の目の空洞をしばらく見ていた後、泣き出された」
わずかに後悔の滲んだ表情で、レドウォールドさんが口の端を上げて笑う。
「でも私はそれでもお嬢様に申し訳ないという気持ちは無かった。なかなか泣き止まれなかったので泣き声がわずらわしくて見せなければ良かったと思ったぐらいだった」
「で、でも、それがどうしてカリンに忠誠を誓ったきっかけになったんですか?」
「四葉のクローバーだ」
今までの猟奇的な話とはまったく縁の無いような固有名詞が出てきたので思わず「エ?」という疑問の声がまた出てしまった。
「当時お主たちの幼稚園でお嬢様に四葉のクローバーを100枚集めるとなんでも願いが叶う、と教えた子どもがいたようでな」
「!!」
── そっそれ、僕だ!! 僕がカリンに教えた話だよ!!
昔、母さんから聞いたんだ。四葉のクローバーをたくさん集めると何かいいことが起きるって。
だからそれをそのままカリンに受け売りで話したら、「タイセー、“ たくさん ” って何枚集めればいいの?」って、ちっちゃかったカリンがすごく真剣な顔で聞いてきたから、困った僕は咄嗟に小さな子供にとっては多く感じる枚数をその場で適当に言ってしまったことがある。
「お嬢様はそれから毎日四葉のクローバーを探してひそかに溜めていらっしゃった。あの頃、やけに草原のある場所に行きたがっていたのはそれを探したかったからだったのだな。しかし当時の私は愚か過ぎてお嬢様のそのお優しいお心に気付けなかった」
「じゃあカリンが四葉のクローバーを一生懸命探していたのは……」
「それを集め、私の目を治そうとなさったのだ」
―― ショックが胸を駆け抜ける。
人生でワースト3に入るくらいのショックだ。
キサラ姉さんに削除されてしまったアルバムボードの写真。
削除されてしまったからもう二度と見ることはできないけど、幼稚園の裏庭でカリンと一緒に遊んでいた時に見つけた四葉のクローバー。
あのクローバーをカリンに上げたらすごく喜んでくれた。でもそれがこの従者さんのためだったなんて……。
「ある日、幼かったお嬢様に呼ばれて言われた言葉は今でも鮮明に思い出せる。“ レド、もう大丈夫よ。なんでもお願いを叶えてくれるクローバーをちゃんと100枚集めたから、これであなたの目も治るわ ” と」
「…………」
「次の日の朝早く、お嬢様は私の元へと飛んできた。100枚集めて夜に祈りを捧げたから朝には私の目も復活していることを信じてな。だがもちろんこの目が元に戻る事などない。私の目が空洞のままなことを知ったお嬢様はその後どうしたと思う?」
「どっどうしたんですか?」
レドウォールドさんが静かに目を閉じる。
「……再び集め出したのだ。100枚では願いを叶えるには数が足りないとお考えになったのだろうな。だが、“ そのようなことをしてもこの目は治りません ” と何度お伝えしてもお嬢様は決して集める事をお止めになろうとはしなかった。毎日毎日、必死に集めておられたよ。小さな手は草の露でかぶれて赤くなり、その十の爪先には洗っても取りきれない砂粒がいつもうっすらと入り込んでいた。名家のご息女ともあろう方のお手とは思えなかった」
カリン……。
「クローバーがまた100枚溜まりそうになった時、カリンお嬢様はとても嬉しそうに “ 今度こそあなたの目はまた見えるようになるわ。あともうちょっとガマンしていてね ” と私に仰った。だがそんなものでこの右目は治らない。だから私は聞いてみたのだ。もし今度も私の目が治らなかった時はどうなさるのですか、とな。あの方は躊躇せずにすぐにお答えになったよ。“ じゃあもう一度最初から集めるわ ” とな。そして私はそのお言葉を聞いた時に決めたのだ。このお方に一生お仕えしようと」
レドウォールドさんの意志の強そうな青い瞳の先が地平線を追う。
この人の忠誠心は本物だ。
この地平線と同じように、どこまでもどこまでも真っ直ぐだ。
「そして一生カリンお嬢様にお仕えしたいとタカツキ家に陳情し、その前報酬代わりにこれを所望したのだ」
レドウォールドさんが右目にかかっている前髪を僕に見えるように大きく掻きあげる。
「あ……!」
そこには左目とまったく同じ、透き通る湖のような青い瞳があった。
「それ、義眼…ですか?」
「そうだ。お嬢様が二度目のクローバー集めを終えられた日の夜にこの義眼を入れた。次の日の朝、お嬢様はたいそうお喜びになっていたよ。やっとレドの目が生えてきた、と言ってな」
レドウォ-ルドさんが前髪から手を離す。
カリンの優しい心が起こした奇跡はまた見えなくなった。
「この右眼は今も実像を捉える事はできない。だが実の兄に殺されそうになり、完全な人間不信に陥っていた私にとって、この義眼を得た事によって今まで見えていなかった視界や人の心の優しさをお嬢様からいただいたのだ」
何か、何か言わなくっちゃ。
だけど気遅れによく似た気持ちが身体の中からどんどんと勝手に滲み出てきて、口を動かすことができない。
「だが一つ皮肉なこともあってな。おそらく心理的なものが多大に影響したのだろうが、右目を失ってからしばらくはPSI能力が一時期大幅に減退した時期があった。あの頃は戦えば手傷を受けることが多く常に痛みを抱えていたが、この義眼を入れ、お嬢様をお守りするために見えない右の視界に神経を研ぎ澄ませ続けた成果で天眼を使いこなせるようになり、それと連動してその後他のPSI能力も格段に上がったのだ。私の場合は失った物もあったが、得た物の方がはるかに大きかったということだ。すべてはカリンお嬢様のおかげなのだがな」
……そういえばカリンが僕の幼稚園に通っていた頃、側に付き添っていたレドウォールドさんはよく怪我をしていたっけ。
すごく痛そうに見えたから「痛くないの?」って聞いてみたら、あの時のレドウォールドさんは笑って答えてくれた。「あぁ、痛くない」って。でも本当は痛かったんだ……。
「あ、あの、レドウォールドさん」
「どうした」
「今まで心の底から恐れたものって何かありますかって僕が聞いたこと、覚えてますか……?」
「あぁ覚えているが」
「その時、 “ 無い ” って言いましたよね」
「言ったな」
「こっ、怖くなかったんですか? だって実のお兄さんに殺されそうになったのに……」
僕のこの指摘にレドウォールドさんは少しだけ考え込むような顔を見せた。
でもすぐに「いや怖くはなかったな」と答える。
「本当ですか!?」
「あぁ。だが悲しかったよ。その気持ちだけは今も鮮明に覚えている。昔は兄を恨んだ事もあった。だが、あの時からここまでの年月を生きてきて今は思うのだ。きっとあの時の兄も私と同じように悲しい気持ちだったのだろうとな」
「…………」
元々長身のレドウォールドさんがこの時更に大きく見えた。
目の錯覚じゃない。この人と僕は違いすぎる。
僕には絶対に敵わない。勝てるわけがない──。
「今までの話は、大人として話してくれたんですか? そ、それとも男としてですか……?」
レドウォールドさんは何も言わなかった。