教えてください あなたのことを
……ヘンだな、部屋の中に風が吹いてる……。
身体の表面を生温い風が撫でている。
ゆっくりと目を開けると、一番に飛び込んできたのはピンク色で彩られていたきれいな夕焼け空だった。
「気付いたか」
声の方向に目を向けるとレドウォールドさんの横顔が見える。僕から少し離れた場所に立ち、地平線を眺めていたようだ。
草原に倒れていた上半身を起こすと関節が内部でギシギシと音を立て、受けたダメージの大きさがリアルタイムで伝わってくる。
「イテテッ……」
「大丈夫か?」
「は、はい。 ここは?」
「一人になりたい時に私がよく来る場所だ」
周囲を見回してみると、広い草原は上空の夕焼け色が混じって珊瑚色がかっている。
僕らのいるほんの数メートル先は断崖絶壁になっていて、崖の下から断続的に聞こえてくる波しぶきの音はとても穏やかだ。……あっ! そういえばカリンはどこ!?
「お嬢様はいないぞ。お前が気が付くまで一緒にいると頑なに言い張っておられたのだが、ご会食の時間が迫っていたからな。私が無理にお戻しした」
カリンはもう家に帰らされちゃったのか……。
みっともないところを見せちゃったなぁ。あっさり気絶しちゃった僕に幻滅していないといいけど……。
「どうして僕をこんな場所に連れてきたんですか?」
「気を失っているお前を家に届けたらご家族が驚かれてしまうだろう? 強制的に起こしても良かったのだがさらなる負担がかかってしまうからな。私の超電撃をその身に二度も受けているのだ。お前の身体も限界だったはずだ」
じゃあレドウォールドさんは僕の身体や姉さん達のことを考えて、自然に目が覚めるまでここでずっと待っていてくれたってこと……?
「……済みませんでした」
身体の節々は痛むけど、何とか立ち上がってぺこりと頭を垂れる。
するとレドウォールドさんはそんな僕をチラリと見て、「それは何に対しての謝罪だ?」と硬い声で言った。
「さっきあなたに生意気な口を聞いちゃったからです」
頭を下げた真意を問われてそう答えると、レドウォールドさんは広い肩を少しだけ落とし、とっても高性能な潜水艦でないと辿り着けないくらいの深い溜息をついた。
「……やはりお嬢様をあのような場所に連れ込んだことに対する詫びではないのだな……。その事に対しての謝罪は何もないのか?」
僕を横目で見るレドウォールドさんの目線がすごく痛い。まるでよく研ぎ澄まされた一本の尖った槍みたいだ。
レドウォールドさんがとっても怒っているのは一応だけどなんとなく分かる。分かるけど、でもそんな鋭い視線で貫かれても、その事に対して謝る気持ちはこれっぽっちも無かった。
「ないです。だって僕はカリンが好きですから」
そうはっきり答えると、レドウォールドさんが急に黙った。何かを考え込むような表情でまた地平線に視線を戻している。
「あの……、何を考えているんですか?」
そう口にした後でなんとなく妙な気持ちになった。
きっとこのデジャヴ感は、フルリアナスの校門前で僕を待ち構えていたレドウォールドさんに、「何を考えている?」と車内で聞かれたのとまったく同じセリフを使ったからだろう。
「決めかねている」
レドウォールドさんはかなり長い間沈黙を続けた後で唐突に言った。
「貴殿に一人の大人として話をするか、一人の男として話をするか、をな」
一人の大人か一人の男?
どういうことだろうそれ……。
「タイセー」
レドウォールドさんが振り返り、僕を見た。カッコイイ人のすごく真剣でシリアスな表情に思わず背筋が伸びる。
「お嬢様のことは諦めろ」
一点の曇りもないくらいに澄み切った、青くて深い湖みたいに透き通った左目が僕をじっと捉えていた。
「数時間前、私はお前にお嬢様の心が折れそうな時は支えてやってほしいと話したな?」
「は、はい」
「それはあくまでも私ではお助けできないような問題がお嬢様の身に起った時、貴殿もお嬢様を支える役目を共に担ってほしいというだけだ。お嬢様を手に入れようなどとは思わないほうがいい」
「どうしてですか……? 」
「それは無駄なことだからだ」
「そっ、それだけじゃ意味が分かりませんっ! ちゃんと分かるように説明して下さいっ!」
「先ほどお前も聞いただろう? お嬢様にはご婚約者がいらっしゃる。お家同士で決めたいわゆる政略結婚だがな」
「……アシヤバラっていう財閥ですね?」
タカツキの病院建設予定地の敷地に掲げられていた看板に書かれていた名前。それを口にしてみると、レドウォールドさんは重々しく頷いた。
「そうだ。本来は今年の4月に婚約の儀を執り行うはずだったのだが、フルリアナスを休学までしてお嬢様が徹底的に反発なされたので現在も凍結状態になっている。だがお嬢様がいくら抵抗なさっても、この婚儀はいずれ執り行われることになるだろう」
「どうしてですか!? カリンがそんなに嫌がってるのに!」
「タカツキのさらなる発展のためには避けられないことなのだろう。由緒ある家というものはそこに至るまでの長い歴史の中で様々な物を積み上げてきている。そのような家柄同士の契りとは色々な思惑や複雑なしがらみで累々と繋がっていくものなのだ」
「そんなの……、僕はそんなの納得できません!!」
「お前が納得できなくとも何も状況は変わらん。いずれお嬢様はアシヤバラ家のご子息の元に嫁ぐのだ」
「カリンの気持ちを無視してだなんてそんなの勝手すぎです!! カリンが結婚しなくても済む方法はないんですか!?」
ゴゥッと大きな音がした。
突風が僕とレドウォールドさんの間を強く吹き、千切れた草の切れ端がパラパラと宙を舞う。
地面を蹴って空へと駆け上がる強風に金髪をなびかせ、
「もしこの婚儀を覆したいというのなら、おそらく方法は一つしかないだろう」
とレドウォールドさんが告げる。
なんだよ、策はあるんじゃないかっ!!
「どんな方法ですか!?」
勢い込む僕と違い、「おそらくは紙のように薄い可能性だがな」と口にした従者さんの声はどこまでも淡々としていた。
「だがそれは、タイセー・イセジマ。今のお前には絶対にクリアできない課題だ」
「僕には絶対クリア出来ない課題……?」
「飛びぬけたPSI能力を持つ前途有望の男なら、この決められた婚儀を壊し、タカツキの入婿としてカリンお嬢様を手に入れることができるかもしれん。だがタイセー、貴殿はPSIを使えないのだろう?」
── 脳味噌を強引に揺さぶられ、心臓の中心を純銀の弾丸で撃ち抜かれたような感覚がした。
カリンの結婚をぶち壊したいのなら、そんなしがらみをぶち壊せるくらいの優れた超能力者になれってことなの!?
クリア条件のシビアさに今にも眩暈を起こしそうだよ。PSIの使えない落ちこぼれな僕には逆立ちしたってできない条件だ。
僕にとってその条件は一生懸命頑張れば飛び越えられるようなレベルの障害じゃない。掴まってよじ登ろうとする事さえ諦めてしまいそうな、天に届きそうな位置にまでそびえていそうな高い障壁だ。
それに。
この条件を聞いた僕は、もう一つ別の理由で戦慄していた。
優れたサイキッカーならこの家同士の取り決めをぶち壊せる可能性があって、カリンを手に入れることができるというのなら────、
── 僕の目の前にいるこの人がまさにその条件にピッタリと当てはまっていることを。
……そ、そうだよ、この人なら、絶対に間違いなくカリンを救えるよ。
こんなに色んなPSIを使えることができる無敵で最強の従者さんなんだもん。きっとこの人なら好きでもない男と結婚しなくちゃならない可哀想なカリンを救ってあげられるはずだ。
「お嬢様もお可哀想な御方だ。生まれた家柄のせいで己の意志とは別に決められた相手に嫁がねばならないのだからな。私はそんなあの方のお力となるため、我が一生を費やし、影ながら支えてゆこうと思っている」
「あっあなたが…!」
“ あなたがカリンを救ってあげればいいじゃないですか ”
そう言いかけたけど………………、嫌だ!! やっぱり言えない!! 言えないよ!!
自分がダメダメな人間だから僕の代わりにどうかお願いします、なんて絶対に言いたくない!!
だって、僕だってカリンが、あの娘が大好きなんだから!!
「それにしても貴殿の身体は実に不思議だ」
「…………」
「気絶している間、体内の気の流れをチェックさせてもらったのだが、左半身はゆるりと流れている気が、右半身はほとんど流れていなかった。ほんのわずか、表面がさざめいているだけだ。おそらくあの時右腕をケガをしたことによって、右半身の気の流れがおかしくなってしまっているのだろう。貴殿がPSIが使えなくなった原因もそこにあるのかもしれん。タイセー、本当に済まない。あの出来事は全ては私の…」
「そんなことどうでもいいですっ!! レドウォールドさんっ、教えて下さいっ!!」
あの時の事をまた謝ろうとした所を強引に遮り、僕が急にとんでもない大声を出したのでレドウォールドさんは「どうした急に」と驚いている。
「知りたいんです!! あなたはどうしてそこまでカリンに尽くせるんですか!? どうしてそこまで自分を犠牲にできるんですか!? 教えて下さいっっ!! その話はまたいずれ話すってさっき車の中で言ってたじゃないですか!」
従者さんの黒いコートが大きく翻る。
ほんの二歩、その長い脚を前に進ませ、レドウォールドさんは静かに僕の目の前に立った。
「……いいだろう。では今お前に話してやろう。私がカリンお嬢様に生涯をかけてお仕えする気持ちになったきっかけをな」