ありがとう 絶対に忘れないよ
せっかくなけなしの勇気を目一杯出してここまで頑張ったのに。
失意の溜め息を飲み込み、またベッドの端に腰を掛けてバスルームで服を着てくれているカリンを待つ。同じ待つにしてもほんの数分前と今では全然心境が違うのが切なかった。
でもこんな形で終わっちゃったけど、カリンとの行き違いは解けて仲直りできたんだから、ここはこれでよしとしなくっちゃいけないよな。
「……お待たせタイセー」
カリンも僕と同じでテンションが下がってしまっているみたいだ。
しかも僕なんか “ 裸にバスタオル一枚 ” という刺激的な格好を見てしまったせいで、さっきまであんなにドキドキしていたカリンのミニスカート姿も今は色褪せて見えている。そんな自分に嫌気が差した。
「じゃあ行きましょ」
「う、うん」
……あっ、そうだ!! カリンに話しておきたいことがあったんだ!
曇っているその表情をなんとか変えてあげたいし、今日僕の身に起ったあの嬉しい出来事をカリンにもぜひ知っておいてほしい。
「あのさカリンっ、実は今日学校でとってもいいことがあったんだよ!」
「あら、なにかしら?」
「明日からイブキ先生にPSIを教えてもらえる事になったんだ!」
「えっ、ホント!?」
「本当だよ。僕からイブキ先生に個人的に教えてほしいって頼んだんだ。そしたら先生がOKしてくれたんだよ。明日の放課後から一緒に始めるんだ。すごいだろ?」
「…………」
―― あれ? カリンの表情が一気に硬くなったぞ?
僕は落ちこぼれなんかじゃないって言ってくれたカリンならこの報告を喜んでくれると思ったのにどうして?
「ど、どうしたの? 僕、なにか気に触るようなこと言った?」
「今、“ イブキ先生と個人的に ” って言ったわね……?」
カリンの目力と背後のオーラが急激に増加した。
正面からヒュウッと冷気が飛んできて思わず背筋がゾクリとする。嫌な予感がしたけどとりあえず「うん」と頷いてみると、カリンがキッと僕を睨む。
「それって放課後にイブキ先生と二人っきりになるってことじゃないっ!!」
うわわっ、やっぱりそっち方面の心配ですかっ!?
「べっ、別に二人っきりって言ったって何もないよ! だってPSIを教えてもらうだけなんだから!」
「タイセーはそうかもしれないけど、先生もそう思っているかは分からないじゃないっ!」
カリンのその鋭い指摘に思わずギクリとしてしまう。
だって昨日イブキ先生に入学当初から好きだったって告白もされちゃったし、しかも強引だったとはいえ、先生と舌を絡めたあんな濃厚なキスまで体験してしまっている身としては、どうしてもカリンに対してやましい気持ちが湧いちゃうよ。
もし今カリンに接触感応をされたら大変な事態になることは確実だ。
本来なら今僕らのいるこの場所は快楽を確かめ合う所なのに、あの時のイブキ先生との事を知られたらとんでもない修羅場がスタートすることになっちゃう。
うん、この話はもうここで止めておこう。そうしよう。それが賢明だ。
……と思ったけど、イブキ先生に対抗意識を燃やし始めているカリンはこの話題を止める気はないようだ。僕らの攻防戦は止まらない。
「それになんとなくだけど感じるのよ。イブキ先生がタイセーを見つめる目……。私の勘ではおそらくイブキ先生もあなたに惹かれ始めているわ。だから放課後イブキ先生と二人っきりになるなんて絶対に危険よ。誘惑でもされちゃったら大変だわ」
「そ、そんなことないってば! それに僕、今まで女の人にモテたことなんてないしっ」
「タイセー、あなたには女性を惹きつける魅力があるのよ。私はそれをよく知っているわ」
「魅力なんかないよ! あるわけないじゃん!」
「いいえ、あるわ。タイセーはとってもモテていたじゃない。女の子たちはみんなあなたの事を大好きだったわよ?」
「それ幼稚園の頃の話だろ!? 今の僕は落ちこぼれだし、モテたりなんかしないってば!」
「……やっぱりあなたは何も分かっていないわ。いいことタイセー、よくお聞きなさい」
カリンは僕から少し離れると、何でも出来る素敵なお姉さんが出来の悪いダメな弟に懇々と言い聞かせるような口調でたしなめた。
「今のあなたがあまりモテないのは、あなたの魅力にフルリアナスの女の子たちがまだ気付いていないだけなの。だからもし一度でもあなたの魅力に気付いてしまえば、皆あなたの虜になるわ。私はそうなってしまうことが分かっているから、あなたと女の子を二人っきりにさせたくないの。この理屈、分かるわね?」
「えっ、じゃあイブキ先生の授業を受けちゃダメって言うの!?」
そっそれは困るよ! カリンのお願いでもそれは困る! 僕はもう一度PSIを使えるようになりたいんだ!!
でもそれは僕の杞憂に終わってくれた。
カリンは俯き加減で小さく溜息をつき、「いいえ」と首を振る。
そして、「PSIを使えるようになりたいっていうあなたのその気持ち、尊重するわ」と寂しそうに呟くと、真っ直ぐな瞳で僕を見た。
「でもタイセー、忘れないでね。あなたのことを誰よりもよく知っていて、そして一番好きなのはこの私よ。この気持ちだけは絶対に誰にも負けないわ」
「カリン……」
こんな可愛い女の子にここまで真剣に僕のことが好きだと言われて、気持ちが一気に舞い上がってしまった。
「うんっ!! 忘れないよ!! 絶対に忘れないっ!!」
嬉しさのあまりそう大声で叫ぶと、「いい返事ね。約束よタイセー」とカリンが微笑んだ。
その時、元々控えめだった室内の照明がガクンとさらに暗くなる。あのキラキラした六角形のクリスタル柱の輝きも一気に下がった。
「あれっ、急に暗くなった……。カリン、何かスイッチ触っちゃった?」
「ううん、私は何も触ってないけど?」
「ヘンだね」
停電でもしたのかな、と口にしかけた時、急に喉元に冷たい感触がし、鈍く光る刃が当てられているのが分かった。
「レド!?」
薄暗い室内で僕を見たカリンが叫ぶ。
でもカリンはすごく驚いているけど、僕は怖いぐらいに冷静だった。
ただ一つ驚いた事があるとすれば…………、突き止めるの早すぎだろ!!
「ご無事ですかお嬢様」
室内が再び明るくなり、僕に刃を突きつけているレドウォールドさんの手元がよく見えた。
背後から襲われているので本来ならこの従者さんの表情は分からないはずだけど、ギラリと光る曲線の刀身に鋭い眼差しが映っている。
── すごい殺気だ。このいつも帯刀している愛用のサーベルで僕の介錯をするつもりなのかもしれない。
「なんでレドがここに来るのよっ!?」
「お嬢様が勝手にお屋敷を抜け出すからではございませんか。行方をお探しした結果、この場所を突き止めただけです」
「そんなことよりその刀を下ろしなさい!!」
でもレドウォールドさんは険しい眼差しを保ったまま、刀を下ろさない。
「いえ、なぜこのような経緯に至ったのかをタイセーに確認するまでは下ろせません。この者がお嬢様をこのような不純な行為を行ういかがわしい場所に連れ込んだのですか?」
「違うわ!!」
そう叫んだカリンの薄茶色の目が金色に光り始めてすぐ、喉元に当てられている刃の距離が離れ出し始めた。
「早くタイセーを離しなさい!! タイセーをいじめる人は私が絶対に許さないわっ!!」
たぶん念動力で強引に刀を剥がそうとしてくれてるのだろう。刀が少しずつ喉元から後退していく。しかし冷たい刃は五センチほど離れた時点でそれ以上はピクリとも動かなくなってしまった。
カリンが必死に精神集中しているのが分かる。でも長い刀身は再び僕の喉元にジリジリと迫り始めていた。
これはお嬢様のサイコキネシスが弱いのか、それとも従者さんのPSI能力が高すぎるのか。
……おそらく、いや絶対に後者だ。
レドウォールドさんはもう一度僕の喉元にピタリと逆刃を当てると、怒りを押し殺した低い声で確認をしてきた。
「この刃を外すかどうかはタイセー、お前の返答によって決まる。答えろ、こんなふしだらな場所にお嬢様を連れ込んだのはお前なのか?」
答える返事は決まってる。
「えぇそうですよ? 僕がカリンを誘ったんです」
そう即答してやった途端に無言で刃の向きが正しい位置に変わった。鋭い切っ先が完全に僕の方に向けられる。
「婚姻前の若い婦女子をこのような下劣な場所に連れ込むなど許せん……!」
「止めなさいレド!! 私だって分かっていてタイセーに付いて来たんだから!!」
それを聞いたレドウォールドさんはカリンにも冷たい視線を送った。
「……お嬢様、今のそのお言葉はタカツキ家のご令嬢としてあるまじき発言です。それにあなたはご婚約者もいらっしゃる身。このようなふしだらな真似が許されるお立場ではないことぐらいはお分かりになっているはず」
── 婚約者だって!?
なんだよそれ!?
「お嬢様がアシヤバラ家のご子息を好いていらっしゃらないのは私も存じております。婚約破棄を望まれたゆえにこのようなはしたない真似をなされたのですか?」
「ち、違うわ!」
「信じられませんな。婚約を白紙に戻すため、フルリアナスの入学を二ヶ月も遅らせて抵抗し続けたお嬢様ならやりかねません」
「エェッ!?」
カリンが二ヶ月もフルリアナスに来なかった理由を今初めて知って愕然とする。
呆然としてカリンに目を向けると、いつもの強い目力を存分に発揮して勝気なお嬢様は美形の従者さんにきっぱりと言った。
「勝手に決め付けないで! 婚約を破棄したいからこんなことをしようとしたわけじゃないわ! 私はこの人が、タイセー・イセジマが好きだからよ!」
「……輿入れ前の女性が男に肌を許すなどもっての他です。そのようなふしだらな行いは、この私の目の黒いうちは絶対にさせません」
「何よレドの石頭!!」
「あらゆる災厄から貴女をお守りし、貴女を正しき道にお導きするのが我が使命。何と罵られようとも結構です」
「早くタイセーを放しなさい!! これは命令よ!!」
柄を握っているレドウォールドさんの手がピクリと一瞬だけ揺れた。
「……貴女のご命令に従うのも我が使命。では仰せのままに」
レドウォールドさんはそう言うと喉元から刀を外し、僕の背中をドンと強く押した。
いきなり突き飛ばされたので床にペタリと膝を着いてしまったその瞬間、全身をものすごい電気が隅々にまで一気に流れる。
「うわぁああああああああああああっっ!!!!」
「タイセーッ!?」
「ぐぅっ……う、ううぅ……」
身体を襲ったその強い衝撃に、膝だけではなく両手まで床に着けて無様な四つんばいの姿を晒してしまった。
すっ、すごいや……。
ほんの一瞬電気を流されただけなのに、口からは呻き声しか出せないし、まだ身体に全然力が入らない。目からは見えない火花まで出ているような錯覚すらしている。
だけど床にへたりこんでいる僕を見たレドウォールドさんは「ほう」と意外そうな声を上げた。
「意識が飛ばなかったのは予想外だ。その華奢な見かけと違って意外と頑丈なのだな、タイセー・イセジマ」
「レド!! あなたタイセーになんてことするのよっ!?」
強い眼差しで憤っているカリンに対し、レドウォールドさんは冷静に告げる。
「ご命令には従いました。こうしてタイセーを放したではありませんか。攻撃をするなというご命令は受けておりません」
「そんなの屁理屈よ!! タイセーに謝りなさい!」
「お嬢様、勝手ながらそのご命令はきけません。なぜなら私がこの者に謝る理由がないからです」
……あ、やっと力が戻ってきたみたいだ……。
二度左の手のひらを軽く握ったり開いたりして今はちゃんと意思通りに動く事を確認する。
また肌の表面はピリピリと痺れているけど、これ以上カリンの前でカッコ悪いところを見せたくない。
よろけながらもなんとか床から立ち上がり、冷たい視線のレドウォールドさんを見上げた。
「レッ、レドウォールドさんって、電撃系が得意なんですね……」
「あぁ、この超電撃は私の十八番だ」
「十八番…ってことは得意中の得意ってことですよね?」
「そうだ。効いたはずだぞ」
「えぇ、そうですね、確かに効きました。でもフルリアナスの予鈴よりほんのちょっとキツいくらいでしたけど」
わざと皮肉を言ってやる。
でもフルリアナスの関係者ではないレドウォールドさんは僕のこの皮肉が分からなかったらしく、「それはどういう意味だ?」と怪訝そうだ。
── ここまできたら最後まで意地を張ってやるっ!!
「あぁそっか、レドウォールドさんにはちょっと分からない例えでしたね」
痺れの残る口元を無理に動かす。
「フルリアナスの予鈴には音波機能が付いてるんですよ。校舎の外で予鈴を受けると、肌の表面にわずかな刺激が走るようになっています。だから今のあなたの雷撃は、その予鈴よりほんのちょっとキツイぐらいのレベルだったっていう意味で言わせてもらいました」
それはヘタレな今の僕にできる精一杯の強がりだった。
レドウォールドさんは感情をほぼ捨て去った抑揚の無い声で「タイセー・イセジマ」と僕の名を呼ぶと、今の発言の真意を復唱する。
「……つまり私のダイナモは大したことがなかった、貴殿はそう言いたいわけだな?」
「その通りです」
口の端を歪めて言い放ったこの強がりを挑発の言葉と受け取ったレドウォールドさんの目つきがゆっくりと変わっていく。ほんのわずかの後悔を抱えながら、無力な僕はそんな従者さんの様子をただ黙って見ていることしかできなかった。