一応僕だって男ですから
一刻も早く自分の家から離れたくて闇雲に走る。
シヅル姉さんなら多分大丈夫だと思うけど、キサラ姉さんは感応力がかなり強いから、僕が家のすぐ側まで戻ってきていることを感知されたら大変だ。
「タイセー、もう私走れない……」
カリンの辛そうな声で我に返り、足を止める。
後ろを振り返ると、カリンは本気で苦しそうだ。僕も一緒にはぁはぁと息をつきながら、「ごっ、ごめん」と謝った。
でも良かった。なんとか姉さんたちには見つからなかったみたいだな……。
……待てよ?
自宅が見えないくらいの距離にまで来てから気がついた。
もしシヅル姉さんがさっき僕らを見つけたとしても、姉さんは幼い頃のちっちゃなカリンしか知らない。だから今僕が連れているこのとっても美人な女の子が、成長したカリンだとは分からなかったんじゃないか?
胸元を押さえ、喘ぐような息づかいのカリンを改めてじっくりと見てみたけど、見れば見るほどその考えは正しいように思えてくる。
姉さんの姿を見かけて思わずこんな逃避行動を取ってしまったけど、もし見つかってしまってもカリンの名を出さないで、「この子はフルリアナスのクラスメイトだよ」としか言わなければ切り抜けられたかもしれない。
……いや、でもこれで良かったんだ。
キサラ姉さんが僕とカリンのツーショット写真をアルバムボードからためらうことなく削除してしまったり、「それは要らないデータだ」とシヅル姉さんもすぐに同調していたことを考えると、やっぱり逃げて正解だったような気がする。だって僕の偏見かもしれないけど、女の人って妙にカンの鋭いところがあるから。
シヅル姉さんがこの娘を見てカリンだと気付いてしまったら、姉さんはあのクールさに一層の磨きをかけて冷徹にカリンを責めるような気がした。
例えそれが僕のことを思ってくれての行動だったとしても、僕はカリンが責められるのは嫌だ。それにそんなシヅル姉さんをみたら僕は大好きな姉さんを嫌いになってしまうかもしれない。
だってカリンは何も悪くない。
僕がPSIを使えなくなったのはこの娘のせいじゃない。
「いっ一体どうしたの? 急に顔色を変えて走り出して……」
カリンはまだ息が上がったままだ。
さっきも僕から逃げるためにあれだけ必死に走っていたのに、こうして僕がまた無理やり走らせたせいで今は息も絶え絶え状態になっている。
きっと昨日の事もあるから、落ちこぼれな僕に気を使って超能力を使わないで走り続けてくれたんだろうな……。カリンみたいな生粋のお嬢様にこんな全力耐久マラソンみたいなことをさせて悪い事をしちゃったのかもしれない。
いや、今はそれよりもなんとかうまい嘘をついてこの場をごまかさなくっちゃ……!
「えっ、えっとそれは……」
あぁでも何を言えばいいんだろう!? 全然思いつかないよ!!
姉さんたちのことには一切触れずに、カリンを納得させられるようなビシッとした一言……!
「きっ……、きみと早くふたりっきりになりたかったんだ!!」
カリンはまた昨日みたいに真っ赤な顔で「ふっ二人っきり!?」とあたふたとしている。
や、やった! 成功だ!! しかも恋愛スキルの低い僕にしてはすごくうまいことが言えたよ! 僕の本音と話題逸らしを、今の一言にぎゅっと凝縮して詰め込む事ができたんだから!
よ、よし! 決めたっ! ここは一気に押すぞ!
ついさっきまで一時的ではあったけどヘタレじゃなかったんだし、もうちょっとだけ勇気の出力を続行だ! ここをチャンスのターンに変えてレドウォールドさんにもっと差をつけてやる!
「うん! だからこれから僕とデートしてください!! お願いしますっ!!」
歩道でそう叫ぶとカリンの顔がますます赤らんだ。
昨日久しぶりの対面をした時はちょっぴり高飛車でお嬢様然としていたのに、今の初々しい様子がこれ以上ないくらいのいいギャップになっていて、どんどんと胸が高鳴ってくる。
「いっいいよねっ!?」
グイと身体を近づけてそう強く念を押すと、今にも頭から湯気が出そうなくらいにまで上気した顔でカリンはコクコクと頷いてくれた。
いやったぁー!!
天に向かって拳を突き上げたい気持ちを抑え、「行こう!」とまたカリンの手を引っ張る。
あぁ、どうしよう。僕、有頂天になりかけてる。
逢いたくてたまらなかった女の子にこうしていきなり逢えて、しかもヘタレのくせにデートに誘ってOKまでしてもらえたんだから、ハイテンションにならない方がおかしい。
でもどこに行けばいいかな。
もう夕方だし、帰りが遅くなりそうな遠いところへの移動は今からじゃ難しいだろうし……。
こんなことならさっきの本屋で漫画と一緒にデートスポットのガイドでも買っておけば良かったな。
「カリン、どこか行きたいところある?」
こういう時はまず相手に行きたい場所を尋ねるべきだ。それくらいの機転はさすがの僕でも分かる。
するとカリンはもじもじとはにかみながら、「あなたと一緒ならどこでもいいわ」と小さな声で答えてくれた。
あぁもう! 可愛すぎだよ! 大好きな娘に恥じらいの顔でそんなことまで言われたらもうこっちだって色んなところが納まらないよ! こうなったら行くとこまで行ってやるぞ!
「どこに向かってるのタイセー?」
僕に手を引っ張られながらついてくるカリンに、前を向いたままで「二人っきりになれるところに向かってるよ」とだけ簡潔に答える。まだどこに行くかを分かっていないカリンは、その情報だけを聞いて嬉しそうに手を握り返してきた。そんなことされるとますます緊張してきちゃうよ!
現在はヘタレ返上中、超ポジティブ精神に溢れている僕の頭の中にある二人っきりになれる場所の候補は一つだけだ。
目指すエリアについてその通りを歩くと、色とりどりのちょっぴり猥雑なネオン看板が目に付き出すようになった。気のせいなのは分かっているけど、漂う空気までうっすらとピンク色に染まっている感じがする。
……うわヤバい、緊張で手のひらに汗をかいてきたよ……。手を繋いでいるカリンにヘンに思われたらどうしよう!?
まさか今日カリンとこんな美味しい展開になるなんて思ってもいなかったから、心の準備がしきれない。大体、元々草食動物な僕がちょっとだけヘタレを返上したからって、いきなり猛々しい肉食動物になれるわけがないんだよな……。
「タ、タイセー、ここってもしかして……」
カリンが顔を赤らめながら僕に尋ねてくる。今僕らが突入しているエリアがどんな地帯なのかが分かったみたいだ。お嬢様でもやっぱ分かるんだな、こういう場所の独特の空気。
「は、入っちゃダメかな?」
カラカラに乾いた口でカリンの気持ちを確認してみる。するとカリンは今までで一番真っ赤な顔で「入るの!?」と叫んだ。
「う、うん。君と、入りたい…です」
まさに今日一番頑張った瞬間だと思う。
いつもの僕なら絶対に言えないストレートなその本音を口にすると、カリンは僕以上にパニックになってしまったみたいでパクパクと口だけを動かしている。おかげでこっちまで声が出なくなった。
言葉に出来なきゃ行動あるのみだ。
握った白い手をグイと引っ張って、一番近くにあった建物の中に強引に入る。
きらびやかな外観の建物の中に入ると、中のロビーは反対にシックな基調だった。
いや、シックというよりはなんとなく薄暗い。
天井にはシャンデリアもあるけど、照明の強さを一番最低の基準にまでわざと落としているような感じがする。
「ここ、本当に営業しているの? あそこに誰もいないけど……」
人気の無いガランとしたフロントを指さし、そう僕に尋ねるカリンは不安そうだ。このロビーが薄暗いせいもあってますます僕の腕にしっかりと抱きついてきている。
僕としては嬉しい誤算の発生だ。まるで幽霊ホテルのようなこの雰囲気にしてくれていることに全力で感謝したい。
でもカリンの言うとおり今日は開いてないのかな……。
ここに誰もいないからこの後どうしたら部屋に入れるのか、そのシステムが全然分からないからカリンの柔らかい身体の感触もいまいち楽しみきれない。
「ねぇタイセー、 これ何かしら?」
次にカリンが指さしたのは僕らの足元。
下なんて見ていなかったから今まで気付かなかったけど、大理石の床に直径一メートルくらいの白いラインでかたどられたサークルがたくさん描いてある。その丸い円は僕らが近づくとうっすらと発光するようだ。
「この中に数字が書いてない?」
「うん。書いてるね」
僕らは身をかがめて一番近くにあったサークルの中の数字を見た。
「上には “ 206 ” って書いていて、下には “ 3500 ” って書いてるわね」
「こっちも同じかな? ……あ、違う。こっちは “ 405 ” で “ 5800 ” って書いてあるよ」
「これは “ 902 ” で “ 12000 ” ……。どういう意味かしらこれ?」
「うーん……」
周囲のサークルもすべて見てみたけど、上の数字の列は一つもかぶっていないけど、下はいくつか同じ数字がかぶっているものがある。なんだろうこれ……?
この謎のサークルから放たれている突然のミステリーに僕らは頭をひねった。
まさかカリンと二人きりになろうとしている最中にこんな探偵ゴッコをする羽目になるとは思わなかったよ。
「分かったわタイセー!」
無人のフロントに近づいたカリンが僕を呼ぶ。
カウンターの上には “ Welcome! ” と書かれたボードが置かれてあって、【 ご希望のお部屋がお決まりになりましたらそのサークル内にお二人でお入りください 】 と続けて書いてあった。
「きっとあの丸の中に入ればいいのよ」
「入ったらどうなるのかな?」
「分からないけど、ここにそう書いてあるから入ってみればいいんじゃない?」
「じゃ、じゃあ入ってみる……?」
「えぇ」
一番手近にあったサークルの中にこわごわ一緒に入ってみると、僕らに反応したサークルが発光を始めた。
ひ、光ったぞ!?
『 ご利用いただきありがとうございます。秘密口からお出にならずにそのままでお待ちくださいませ 』
サークルから流れる音声案内と、突然足元から勢い良く噴き出してきた白い光が僕らを包みこむ。
こ、この感じは……!
身体が熱くて、
呼吸が苦しくて、
目の前が真っ白で頭がぼんやりとしてきて……!
僕、これを前に体感したことがあるぞ! コダチさんに抱きつかれてフルリアナスの屋上に一瞬で連れて行かれた時とおんなじだ!
ということはこれは遠隔操作移動!?
「カリン僕に掴まって!!」
どこに飛ばされるのか分からない。
バラバラにされないようにカリンをしっかりと抱きしめる。
耳元でキィンと嫌な音がした。
黒板を爪で引っかく音にすごくよく似ていて、背筋がぞわっとする。
くっ……、慣れれば快感しか感じなくなるってコダチさんは言ってたけど、なんでテレポートってこんなに息苦しいんだよ! 襟首をつかまれて無理やり真水の中に顔を突っ込まれている気分だ!!
たぶん転送させられていた時間はたった数秒だったと思う。だけど超能力が使えない僕にはその十倍以上の長さに感じた。
強引に押し込まれた白い光のトンネルを混濁した意識で抜けると、そこは剣と魔法に支配された異世界……ではなくて、部屋の玄関内だった。
玄関先で抱き合ったまま、僕らはきょろきょろと室内を見回す。
この室内も少し照明が弱いけど、ロビーほどの薄暗さではない。
うぅ、それよりもテレポート慣れしていないせいでまだちょっと頭がクラクラするよ……。
「すごいわ! あの中に二人で立つと直接部屋に転送する仕組みになってるのねっ」
結構なダメージを受けている僕と違って、テレポートができるカリンは全然平気そうだ。
興味津々の眼差しで、僕から離れて元気に部屋の中を歩き出している。そしてその差にちょっとへこむ僕。
「あ!カリン、靴、靴!」
うっかり者のお嬢様が靴を履いたままで室内の探索を始めたので慌てて呼び止めた。するとカリンは赤い顔で僕のところに戻ってくると靴を脱ぎ、玄関先に並べてあった室内用の上履きに履き替えるとまた室内を物珍しそうに歩き回り始める。
「タイセー、私こういうところに入ったの初めてよ」
「ぼっ、僕だって初めてだよ!」
「あら、何かしらこれ?」
カリンが室内の一角に備え付けられていた冷蔵庫みたいなBOXの前で足を止める。
「タイセー、これ飲み物よね?」
「どれ?」
僕も靴を脱いでカリンの側に行く。
すごく大きいダブルベッドの横を通った時、また心臓の鼓動が早さを増したのが分かった。
冷蔵庫の前の扉部分はガラスになっていて中がよく見えるタイプだ。
庫内は大小いくつかの区画に仕切られていて、それぞれのスペースに何かが入っている。
「この冷蔵庫ヘンよね。ほら、5番のプレートがついているところは飲み物が入っているけど、6番のこれは……化粧水? どうして化粧水を冷蔵庫に入れてあるのかしら? それにこっちの12番と14番に入っているこれは何かしら? 面白い形よね。ねぇタイセー、これが何か分かる?」
こ、これってもしかしてっ……!
僕、この冷蔵庫もどきの中に入っている内容物が大体分かったよ!! でもとても僕の口からは説明できないです!!
「ごめんっ僕も分かんない!」
直立不動で嘘をつくと、カリンは5番の飲み物を指し、天使のような無垢な笑顔で僕におねだりをする。
「これ、ピンク色で美味しそうよね。飲んでもいい?」
「えええーっ!?」
興奮して鼻血が出そうだよ!
あのですねカリンっ、それをお買い求めになる前にどうか5番に入っている飲み物のラベルをよく見てやって下さい!
それは確かに飲み物だよ? 飲み物だけどさ、それは喉の渇きを潤す目的じゃなくて、別の機能を応援してくれるドリンクなんだよ! ほら書いてるよねっ、そこのド派手なラベルに【最高級のまむし抽出液を贅沢に配合】ってさ!
それに6番はおそらく君の言う化粧水なんかじゃないしっ、12番と14番に寝かせて入れられているそのマシンは超有名なグッズなんです! 僕も今までは雑誌の広告でしか見たこと無かったけど!!
「お金ってどこから入れるのかしら?」
【 ― 今宵お前は猛虎となる ― 】と雄雄しいうたい文句付きの無双ハッスルドリンクを買おうと、コインの投入口を探しているカリンの手を慌てて掴む。
「待って! そっそれはたぶん女の子が飲むものじゃないから!」
「あら、タイセーもこれを飲みたいの? でも一本しかないみたいだから半分こしましょっ!」
「ぶはっ!!」
ダ、ダメだ、もうこのお嬢様の天然攻撃に耐えられそうにないです。
何も知らないって、なんて最強なんだ……!