僕はカリンに逢いたいです
「あの時の怪我でPSIが使えなくなっただと……!?」
家族以外は誰も知らない僕の秘密を知り、レドウォールドさんが言葉を無くしている。端麗な顔の色が今は少し青ざめているように見えた。
「はい。だからこの事は絶対にカリンに言わないで下さい。もしこの事を知ったら、きっとカリンは僕に今以上の罪の意識を持ってしまうと思うんです。僕はそれが嫌なんです」
「し、しかし……、お主は本当にそれでいいのか!?」
「はいっ!」
生真面目な従者さんにこれ以上の心配はかけたくない。
そう思ったせいか、今の返事はヘタレな僕にしては少々不似合いな凛とした声だった。
「お金を積んでフルリアナスに入学させてくれただけでもう充分です。僕はこれ以上カリンに何かをしてもらうことを望んではいません。償いなんて要らない」
レドウォールドさんなら僕の秘密を絶対に誰にも言わないだろう。
たった今持てたその強い確信が僕の口をとことんまで軽くしていた。おかげで昨日から心の中にずっと溜めまくってきた気持ちが堰を切ったようにどんどんと溢れ出てくる。
「僕、昨日久しぶりにカリンと再会していきなり好きって言われたんです。すごく驚いたけど、でもとても嬉しかった。だからカリンには何も言わないでください。僕はあのケガで右手が少し不自由になっただけで、PSIが使えないのは僕が単に元々能力の無い落ちこぼれだからだってことにして下さい。僕はちっぽけな人間だから、もしカリンがこの事実を知ってしまえば、僕を好きだって言ってくれるその気持ちがカリンの純粋な想いから出ているものだと思えなくなる。本当は僕に対する贖罪なんじゃないかってきっと疑ってしまう。何よりそんなことを常に考える自分がすごい惨めでたまらなくなる。だからカリンには何も言わないでほしいんです」
ここまで一気に言い終えて顔の筋肉を少し緩めてみたら、自分でも驚くぐらい素直な笑顔が出せた。
みっともなさを隅々まで曝け出したせいで、とってもスッキリしたせいかもしれない。
しかもカリンに好きだと言われたことまでさりげなくレドウォールドさんにアピールもできたし。
もしレドウォールドさんがカリンのことを好きだったとしても、今なら僕の方がこの従者さんより一歩先を行っているはずだ。
だから、早くPSIを使えるようにならなくっちゃ。
カリンが僕を好きでいてくれる内に。
そしてこの完全無欠の従者さんにカリンを奪られないように。
「タイセー……、お主という男は……」
僕になんと言葉をかけていいのか戸惑っているレドウォールドさんに、感謝の意味も込めて明るく答える。
「でもカリンのおかげでせっかくフルリアナスに入学できたんです。僕、このチャンスを絶対に無駄にはしません。明日の放課後から担任の先生に個人授業をしてもらえることにもなりました。これから一生懸命PSIの特訓をします。そして少しでもまた超能力を使えるようになりたいんです。カリンに少しでも引け目を感じないように」
「なぜお嬢様に引け目を感じるのだ……?」
それはレドウォールドさんにしてみれば、本当に何てことのない、ただの小さな疑問だったのかもしれない。でもその質問につい頭にカッと血が昇った僕は思わず叫んでしまった。
「僕だって本当はカリンを守りたいんです!! あなたのようにっ!!」
相手は僕より遥かに年上なのに怒鳴りつけてしまった。でももう一度口にしたことは取り消せない。
するとレドウォールドさんはそんな僕の気持ちを分かった上でなのか、物静かな口調で諭すように教えてくれる。
「お嬢様を守るのは私に任せておけ。だがカリン様は鋼のような精神をお持ちの方だが、非常に脆い部分もおありになる方だ。だからお前はお嬢様が打ちひしがれそうになった時の心の支えとなる存在でいてほしい。おそらくそれは私では出来ぬことだからな」
「僕がカリンの心の支えになんてなれるんでしょうか……?」
「それにはまずお主がそのおかしなこだわりを捨てねばな。お嬢様にそんな引け目を感じているようでは心の支えにはなれんぞ」
「それは強者の言い分ですよ」
歪んだ口元からついまた本音を吐き捨ててしまった。
自分の秘密を洗いざらい話したことでこの従者さんに大しては吹っ切れた部分ができたのかもしれない。一時的ではあるけれど、ヘタレじゃなくなった僕はあらたな本音を無敵の従者さんにぶつける。
「レドウォールドさんは今までPSIがまったく使えないという状態になったことがありますか?」
「いや無いな」
「ですよね。ならきっと一生かけても僕の気持ちは分かりませんよ。超能力が使えないということが生きていく上でどれだけ重く、自分の心を縛り付けるものなのか、それは想像だけでは到底理解できないと思います」
気のせいか、レドウォールドさんは少し僕に呑まれているような顔をしている。僕はそんなレドウォールドさんを強い視線で射抜くように見上げた。
「僕が昨日カリンに八つ当たりしてしまったのも、力が使えない僕をカリンがずっと守ってあげるって言ってくれたからなんです。僕を心配してくれているからこその発言だったとは思います。でも好きな女の子に守ってあげるって言われた事が僕にはショックだった。レドウォールドさんも男だから僕のこの気持ちが少しは分かるでしょう?」
「…………」
僕の鬱屈した気持ちがほんの少しでもレドウォールドさんに届いたのかもしれない。最強の従者さんはわずかに目を伏せる。
そんなレドウォールドさんに僕は更に質問をかぶせた。
「レドウォールドさんは今まで心の底から恐れたものって何かありますか?」
無いな、という言葉が一言だけ返ってくる。
予想通りの返答に思わず苦笑してしまった。
「さすがですね。きっとレドウォールドさんならそう言うと思いましたよ。でも僕にはあります。 “ このまま一生PSIが使えないかもしれない ” という自分自身の存在がとても怖いです。夜、なぜかどうしても寝付けない時とかベッドの中で震えがくるぐらいに怖くなる時がある」
僕のこの剥き出しの本音にレドウォールドさんはまたしばらくの間言葉を失っていた。
やがて、微動だにしていなかったその口元をほんのわずかだけ開く。
「……貴殿は今までカリンお嬢様を恨んだことは無いのか……?」
「えぇ、無いです」
その返事にレドウォールドさんの表情にわずかに驚きの色が浮かんだような気がした。
「PSIが使えなくて子どもの頃苛められていたのに、カリンを憎いと思ったことは一度もありません。ホントどうしてなんでしょうね? 自分でも不思議ですよ」
「……タイセー・イセジマ。貴殿のその崇高な志に心から感謝する」
レドウォールドさんが厳かな顔で再び自分の胸に手を当て、僕に敬意を表してくれた。
「や、やだな、レドウォールドさんがお礼を言うようなことじゃないですよ」
「いや、私のせいだ。私がもう少し早くあの場に辿り着けていれば……」
「もういいんです。カリンはあの時無事だったし、何も知らずに今も元気に過ごしている。僕はそれでいいんです」
「……タイセー、貴殿の力を取り戻すために私にも何か協力できることがあれば言ってくれ。このレドウォールド・アレトゼー、貴殿のためならどんな協力も惜しむつもりはない」
「ありがとうございます」
ペコリと頭を下げる。
やっぱりいい人だな、レドウォールドさんは。
でもこんなにカッコイイからこそ僕は焦るんだ。
この人といると僕の存在価値なんて全然無いように思えてしまうから。カリンの側にいてはいけないように感じてしまうから。
「お嬢様にこの事を話すなというのならこの命に代えても約束は守ろう。だがこのままではお嬢様はしばらく学校にはおいでにならないかもしれぬな」
カリンにしばらく逢えない──。
そう思っただけで予想以上のショックがさざ波のように広がる。気付けば無意識の内に新しい本音を口にしていた。
「……僕、カリンに逢いたいです。逢わせてもらうことはできませんか?」
「それなら貴殿に屋敷に来てもらうしかあるまい」
「行ってもいいですか!?」
「あぁ。私がお嬢様と逢えるよう手はずを整えよう」
「お、お願いします!」
「あぁ任せておけ。今夜貴殿を迎えに行こう。出られるな?」
「今夜……ですか」
色よい返事を返せなかった僕にレドウォールドさんが怪訝な視線を向けてくる。
「都合が悪いのか?」
「夜は家に姉たちがいるんです」
「それが何か問題なのか?」
「えぇ。姉たちは今もカリンのことを許していないんです。僕がこんな風になってしまったのはカリンのせいだってずっと思ってる。だからカリンの所に行くと知ったら……」
それは僕の家族の中ではまだ終わっていない確執だった。
姉さんたちは今もカリンを許していない。それはヤマダさんが家に来た時に見せたアルバムボードのカリンの写真をためらうことなく消去してしまったことで分かっていた。
テンションが下がった僕に合わせるように、レドウォールドさんは押し殺した声で「……了解した」と頷く。
「では私はカリンお嬢様の従者ではなく、貴殿の友人として迎えに行こう。それなら問題はあるまい?」
「友人!? そ、それはちょっと無理があるような……」
「そうか?」
「だっていったい僕らにどんな接点があるっていうんですか?」
「む……」
僕の質問にレドウォールドさんは初めて少し困った表情になり、必死に打開策を考えているようだ。そしてやおら僕に尋ねる。
「タイセー、貴殿は猫は好きだろうか?」
「ネコ、ですか?」
コシミズさんの使い魔たちがとっさに頭に浮かんだ。
ネコは別に嫌いじゃないけど、きっとネコが僕を好きじゃないと思う。
「特に好きでも嫌いでもないです」
「そうか。では好きになれ」
「好きになれって……なんでですか?」
「私は猫が好きでな。休日をいただいた日はよく猫カフェに行くのだ。そこで知り合った友人、ということにすればいいだろう」
「ね、猫カフェ!? レドウォールドさんが!?」
「な、なんだそのリアクションは……。私が猫で癒されるのがおかしいか?」
「す、すみません! なんかその、ちょっと意外だったもので」
人の性癖にあれこれいうのはおかしいとは思うけど、なんだか意外すぎてビックリだ。
「では私たちは猫カフェ友人ということで行くぞ。とにかくお嬢様の名は一切出さない。それなら貴殿の姉上たちも騙せるだろう」
「分かりました。じゃあ今晩待ってます」
「では一旦自宅にまで送ってやろう」
「いえ、ここから一人で帰ります。もし上の姉が帰ってくる所に鉢合わせしたらまたレドウォールドさんと夜に一緒に出かけるのが不自然になりますから」
「そうか。では貴殿の携帯番号を教えてくれ。手はずが整ったら迎えにゆく」
「はい」
僕らは番号を交換しあい、その場で別れた。
もし僕もレドウォールドさんのように高レベルの精神感応ができたらこんなことをしなくても直接やり取りができるのに……。
メトロに乗って帰り道に本屋で雑誌の新刊をチェックした後、キサラ姉さんの待つマンションに戻った。
家の中に入ろうとマンションの入り口へ向かっていた僕の視界に、正面の電柱の影で心細げに佇んでいる亜麻色の長い髪の女の子の後ろ姿が目に入る。
「カリン!?」
思わず叫ぶと、女の子がビクリとして振り返る。薄紫色のベストにミニスカートを履いている女の子はやっぱりカリンだった。
カリンは僕に声をかけられたことを知ると、一瞬硬直した後で走って逃げ出し始める。
「あっ待ってよカリン!!」
慌てて後を追う。
だけどカリンは立ち止まってくれない。焦るあまり何度もカリンの名前を呼ぶ。
「カリン! 待ってよ! 行かないでカリン! 君に謝りたいんだ!!」
どうしよう! もしここで遠距離移動でも使われたら僕には絶対に追いつけないっ!
カリンは夢中で走り続けている。
でもただ走るだけだったのでさすがに女の子の脚には追いつけた。細い右腕を後ろから必死でつかみ、逃げるカリンをようやく立ち止まらせる。
逢いたくてたまらなかった女の子が今ここにいてくれることが信じられなくて、俯いてはぁはぁと荒い息を吐いているカリンを背後から強く抱きしめた。
「僕に会いに来てくれたの……?」
抱きしめたままでそっと尋ねる。
荒い息を吐きながらも小さく頷くカリンに、愛しさがこみ上げてくる。
「昨日は怒鳴ってごめん」と謝りさらにしっかりと抱きしめると、カリンは俯いたまま、震える声で僕に尋ねた。
「……タイセー、私のこと嫌いになった……?」
「まさか! 嫌いになるわけないじゃないか」
「タイセー、これだけは信じて……。私、あなたを見下したりなんてしていない……。た、ただ、あなたを守りたくて…」
「うん、分かってる! 分かってるよ! 僕が勝手に卑屈になっていただけなんだ。本当にごめん!」
一度手の力を緩めてからもう一度ぎゅっとカリンを抱きしめる。
その時、僕の右側の視界の中にシヅル姉さんの車が見えた。あぁっマズい! 姉さんが帰ってきた!!
「カリン! こっちに来て!」
カリンの身体を引っ張り、近くの生け垣に身を隠す。茂みに押し込まれたカリンは葉っぱに覆われた状態でビックリした顔をしている。
「ど、どうしたのタイセー……?」
「いいから動かないで! 頭もっと伏せて!」
カリンを上から覆いかぶすように自分の身体で隠すと、僕らはしばらくの間大きな庭石のように生け垣の中でじっとしていた。そしてシヅル姉さんの車がマンションの駐車場の中に消えていったのを横目でしっかり確認してからカリンを引っ張り出す。
「行こうカリン。ここにいない方がいい」
カリンの身体についてしまったいくつかの葉っぱを払ってあげると、「どうして?」と不思議そうな顔が僕を見つめる。でも、僕の姉さんたちが君のことをものすごく嫌っているから慌てて隠れたんだ、なんて言えるわけもない。
「どうしても! さ、行こう!」
僕はカリンの手をしっかりと握ると、姉さんたちと暮らすマンションから大急ぎで離れた。