こんな僕でも、支えてくれる人たちがいるみたいです 【 3 】
「どうタイセー? ランコが本気になればなんだって出来ちゃうんだから! さっきのランコの姿を見てクラクラしたでしょっ?」
新鮮な空気をたっぷりと吸い、ベッドから元気に起き上がったコダチさんの勢いはますますヒートアップする。カシムラさんを真似たさっきの格好で僕を完璧にメロメロにしたと信じ込んでいるようだ。
しかしおめでたいというか何というか……。
自信家な性格もここまで気持ちよく突き抜けられると思わず感心してしまいそうになる。でもこれ以上勘違いされたら困るので、「いや全然しなかったよ」とだけは伝えた。
でもストレートに言い過ぎたみたいだ。完全にコダチさんの機嫌を損ねてしまう。
「なんで!? なんでよ!! あんたはクルミみたいなズンドー体型の子がいいんでしょ!?」
……やっぱりこの娘の考え、間違ってるよ。その事をちゃんと伝えなくっちゃ。
ベッドの側にあった丸椅子をよいしょと引き寄せ、シーツで胸元を押さえているコダチさんときちんと向き合った。
「あのさコダチさん」
「なによ!?」
「コダチさんはそうやって見た目のことばかり言うけど、女の子の魅力って外見だけじゃないだろ?」
「何言ってんのよっ、見かけは大事じゃないっ!!」
「うん、もちろんそうだとは思うよ。でもさ、いつもあったかい気持ちにさせてくれるような笑顔とか、相手を思いやれる気持ちの優しさとか、そういうのも同じくらい大事だよ。少なくとも僕はそう思う」
コダチさんの口元が何かを言いたげにほんの少しだけ開かれる。でも結局悔しげに唇を噛んだだけなので僕のターンはまだ続いた。
「コダチさんはすごく美人だし、色んな男が君に夢中になるのもよく分かるよ。でもね、昨日カリンの胸のことをあんな風に言って傷つけたコダチさんは全然魅力的じゃ無かった。それは事実だよ」
「それは単にタイセーが貧乳好きだからでしょ!? だからおっぱいの全然無いカリンを庇ってるのよ!」
「違うってば。そういう理由じゃないよ」
「じゃあ聞くわ! 見た目はまったく同じ女が二人いて、片方は全然おっぱいが無くって、もう片方はおっぱいが大きかったら、タイセーはどっちがいいのよ!?」
「……その質問、ズルくない?」
「ズルくない! 答えなさいよ!」
「そ、それはないよりあったほうがいいかもしれないけど……」
……あぁどう話せばこの娘に分かってもらえるのかな。口下手な自分がもどかしい。
「胸があったほうがいいの!? ならどうしてランコに興味ないのよ!?」
「だから大きさじゃないんだって」
「ウソばっかり言って! 本当はカリンやクルミみたいな貧乳がいいんでしょ!? だからランコも同じ格好をしてあげたのにどうしてタイセーは喜んでくれないの!?」
「だってそんなの全然嬉しくないもの。喜べるわけないよ」
「何よ! タイセーのためにランコはこんなに苦しい思いまでしたのにっ!!」
「あ…」
── そうか。そう言われて気がついた。
自分の気持ちをコダチさんに分かってもらおうと熱心になるあまり、僕もコダチさんの気持ちを全然汲み取ってあげていなかった。何をやっているんだろう僕。
「コダチさんは僕が喜ぶと思ってそんな痛い思いまでしてくれたんだよね……。ありがとう」
「今頃何よ!? 嬉しくもなんともないんでしょ!?」
「ううん、そんなことないよ。わざわざあんな格好をしてくれたのは嬉しくないけど、でも僕のために、って思ってしてくれたその気持ちはすごく嬉しいよ」
「…………」
「でもさ、コダチさんは僕のこと別に好きじゃないよね。カリンに負けたくないからってだけだろ? そういうのってやっぱりなんか違うと思うんだ。だから僕が喜ぶと思ってしてくれたその気持ち、コダチさんが好きな人に向けるべきだよ」
「ランコが好きな人…?」
「うん」
「なにそれ!? 意味が分かんないんだけど!? だってランコの周りの男はみんな勝手にランコのことを好きになるもんっ!」
「そ、そうなんだ、さすがだね……」
「とっ、当然じゃないっ!!」
僕らの会話は尻切れトンボ気味にそこで途切れてしまった。
完全に手詰まりだ。これ以上何を言えばコダチさんの考えを改めさせる事ができるのか思いつかない。やっぱり恋愛スキルの低い僕じゃ上手く伝えられそうに無いな……。
そう諦めかけた空気をぶち壊すように、胸元のシーツを両手でギュッと握りしめたコダチさんがポツリと呟く。
「……ねぇ、ランコがあんたを好きになったら迷惑?」
「えっ!?」
「迷惑かどうかって聞いてんのっ」
コダチさんは僕とは正反対の方向にツンと顔を背け、再度同じ問いを投げかける。
「……ごめん」
「ちょっ、あんたのためにここまでした女の子に向かってよくそんな即答できるわね!?」
ものすごい勢いで再び僕に顔を向け、コダチさんが怒る。
「それってカリンが好きだからってわけ!?」
今度はすぐに答えられなかった。
たった二文字の肯定の言葉がスムーズに出てこない。
出てこないのなら一度頷けばいいだけなのにそれも出来ない。
黙り込んだ僕にコダチさんがそっと手を伸ばす。いきなり髪を触られたので驚いてしまった。
「な、なに!?」
「……髪、はねてる。だらしないわ」
さっきミズノさんに頭を強く撫でられたから髪の毛の一部が逆立っていたみたいだ。
コダチさんの白魚みたいな綺麗な指が僕の髪をゆっくりと梳いていく。髪のはねを直してくれるその手の動きがなんだかとても温かく感じて、最後までおとなしく身を任せてしまった。
髪を梳き終わったコダチさんが「昨日カリンと何かあったの?」と不意に尋ねてくる。二度目の驚きで今度は上半身がビクンと跳ねた。
「なっなんで!?」
「カリンの名前を出す度にあんたの気が乱れるの。今も何かに脅えてるみたいに乱れてるわ」
「そっそんなことないよ! 何もないよ!」
必死に否定した僕にコダチさんはそれ以上何も問い詰めてはこなかった。
代わりに今度は傷のある頬に手を触れる。
「ここ、どうしたの?」
「ネ、ネコに引っかかれて……」
「まったく相変わらずドン臭いわねタイセーは。これ、まだ治療の途中でしょ?」
「うん」
「しょうがないわね。じゃあランコが治してあげる。じっとしてて」
コダチさんの手のひらが僕の頬にピッタリと当てられる。すると傷の部分がハッカを塗られたみたいにスゥッとした感触がし始めた。
決して早くはないけれど、ゆっくりと段階を追うように皮膚が再生されていくのが分かる。この娘、回復系の能力も使えるのか……。
「はい、こんなもんでしょ。でもまだ完全には戻ってないから最後の仕上げは後でここの人にやってもらって」
指の腹で左頬を触ってみると、さっきまでくっきりとあった十文字の傷跡がもうほとんど感じられない。鈍い痛みも無くなっている。
「すごいねコダチさん。テレポートだけじゃなくて再生系もできるんだ?」
「こんなの軽いもんよ」
コダチさんは冷めた口調で呟く。
「あっ、じゃあ胸もやったら? 僕、席を外すから」
「ランコのおっぱい、ひどかった?」
「うん、あんなにキツく縛ってたからあちこちうっ血してたよ」
「ウソ!?」
急にコダチさんがシーツをガバッと身体から離したので超焦る。
今は傷ついているとはいえ、これ以上あの立派なヤシの実を見ると妄想が止まらなくなりそうなので、慌てて目線を逸らした。
「うわぁなんかすっごいグロテスク……。自分のおっぱいじゃないみたい……」
「あっ、痣になりかけてるみたいだったし早く治した方がいいよっ」
でもそっぽを向いた僕のこの再三の勧めにも、結局コダチさんは首を縦に振らなかった。
「……いい。治さない」
「どうして? 痛くないの?」
「痛いわよ。さっきからずっとジンジンしてる」
「じゃあ治したほうがいいよ。だって出来るんでしょ?」
「いいの、このままで」
コダチさんはまた胸をシーツで隠すとその上に視線を落とし、「この痛みはすぐに消さない方がいいような気がする」と独り言のように呟いた。
「……なんか疲れた。少しここで休むわ」
「うん、少し待ってて。急いでケアスタッフさんを探してくるから」
丸椅子から腰を浮かせると、
「余計な事しないでよ」
とベッドに横たわったコダチさんに叱られる。ここはおとなしく退散すべきと考え、丸椅子を元にあった所に戻した。
「分かったよ。じゃあ僕は教室に戻るね。治してくれてありがとう」
お礼を言ったけどコダチさんは返事をしてくれなかった。
おかげでベッドからスマートに離れるタイミングを掴み損ね、ギクシャクとした動きで入り口に向かう。
「タイセー、ちょっと来て!」
入り口へ向かっていた僕をコダチさんが強い口調で呼び戻す。
「なに?」
僕がもう一度近づくと、コダチさんが急にベッドから起き上がる。そしてあっと思う前に首の後ろをグイと掴まれたかと思うといきなり唇を乱暴に塞がれた。
「んんーっ!?」
ごっ、強引過ぎるよコダチさんっっ!!
慌てて身をのけぞらし何とか唇を外すと、コダチさんが僕にキッと鋭い視線を向ける。
「もうカリンとキスしてるでしょっ!?」
「エ!?」
「なんとなく分かるわ」
コダチさんはそう言うと気の抜けたつまらなそうな表情になり、再びベッドにドサリと横になった。
「……行ってタイセー。少し一人になりたい」
その命令に素直に従い、メディカルルームを出ることにした。
だってカリンとキスしたのは事実だけど、実はフルリアナスでキスした女の子は君で四人目になりました、なんてこと、とてもじゃないけど言えやしないよ……。
コダチさんに頬の傷をほとんど治してもらったからミズノさんにも取り急ぎでの用事は無くなってしまったし、後は教室に戻るだけだ。
だけど教室へ戻るルートをわざと外す。
カリンの名前が出ただけで今の僕はこんなにも心が乱れている。ここまで気持ちに揺らぎが出ている状態で、明日カリンと話なんかできないよ。
テレパシーが出来ないから伝わりはしないけど、心の中でイブキ先生に「授業をサボッてごめんなさい」と言い、一人になれそうな屋上に向かった。
── 考えなくちゃ。
自分の気持ちを明日までにしっかりと見極めなくちゃダメだ。
僕自身の人生に見切りをつけないためにも、ヨナ・コシミズに指摘されたように不誠実な人間にならないためにも。
屋上に行くと授業中だからやっぱり誰もいなかった。
そういえば昨日はここでカリンとコダチさんが大喧嘩をしたんだよな……。
巻き添えになったカシムラさんは屋上から転落しそうになるし、僕も嫉妬の炎に燃えたイブキ先生に空気拳骨を喰らいそうになるしで、昨日は散々だった。
でもこの醜くてぐちゃぐちゃした気持ちを抱えてしまった今では、昨日のトラブルもなんだか遥か遠い昔の出来事みたいだ。
手摺に近寄るとぼんやりと青空を眺め、カリンと初めて出逢った時の頃を思い返していた時、遠慮がちな声が背後から僕に向かってかけられる。
「イセジマくん?」
「!」
身体が電流を流されたみたいに大きく震える。
さっき体感した予鈴のパルスなんてまったく目じゃないくらいの強力な電流だ。
振り返ることができない。
一切反応をしない僕に、声が届いていないと思ったのかもう一度僕の名を呼ぶ声がする。
── よりにもよってなんで今現れるんだよ……。
この時僕はまたしても自分の本当の気持ちを分かっていなかった事に気付いた。
今僕が一番会いたくない人物はヨナ・コシミズじゃない。
「イセジマくん」
三度目の優しい声がかけられる。
脅える気持ちを抑えてゆっくりと後ろを振り返ると、一人の少女が立っていた。
長い黒髪が柔らかく風にそよぎ、眼鏡の奥にある二つの瞳は僕を心配そうに見つめている。
ナナセ・ヤマダ。
僕の心をぐちゃぐちゃにしている大原因の一つが穏やかな表情でそこに佇んでいた。