お願いです 僕を買いかぶらないでください
そういえばコシミズさんとも気まずい別れ方をしていたんだった……。
裏山へと走っている最中、昨日の放課後の事を思い出してしまう。
キレた僕にいきなり口元を乱暴に塞がれ、脅えていたコシミズさんの黒い瞳が記憶の中に鮮明に残っている。
接触感応で勝手に過去を覗かれたことが頭に来たからとはいえ、「喋ったら絶対に許さない」という脅迫めいた捨て台詞まで吐いて、廊下に座り込んだコシミズさんを置き去りにしてしまった。彼女にもきちんと謝らなくっちゃ。
どうかコシミズさんがいますように、そう祈るような気持ちで走っていた僕に、少し舌ったらずな声がかけられる。
「あーっ! いたいたぁ~! タイセーくんみっけですぅ~!」
僕を見つけて喜んでいるのはクルミ・カシムラだ。手には僕が昨日貸した折り畳み傘をもって、それをぶんぶんと振り回している。
「タイセーくん、おはよーです!」
「あ、カシムラさん。おはよう」
足を止めて挨拶をすると、カシムラさんはぴょこぴょこと跳ねるような歩き方で僕の側に来る。
「カサ貸してくれてありがとーでした! クルミ、とっても助かりましたぁ! タイセーくん、あの後濡れちゃいませんでしたか?」
「うん、大丈夫だよ」
「良かったです~!! もしタイセーくんがカゼを引いて今日学校に来なかったら、クルミのせいだって心配だったの!」
お日様のような笑顔のカシムラさんを見ていると自然と眦が下がってきてしまう。無邪気なその愛らしさに、よしよしと頭を撫でてあげたくなってくるのをガマンするのが大変だ。
「じゃあこれ返しますね! あっそれとタイセーくん、早く逃げたほうがいいですよぉ?」
「それ、どういうこと?」
「ランコちゃんがタイセーくんを探してるのです!」
「コダチさんが僕をっ!? な、なんで!?」
「ランコちゃんはカリンさんに負けたくないからすっごく気合が入ってるんです! さっき教室で会った時、朝一でタイセーくんを絶対に捕まえるって言ってましたぁ!」
早朝から狩りかよ!?
襲われる! 絶対に襲われるよこれは!
超能力が使えない僕があのコダチさんに拉致られたら一体何をされるのか、その結果は火を見るより明らかだ。それに純粋に僕のことが好きだって言うならともかく、女同士の意地の張り合いで僕を狙うなんて人をバカにしてる。
幸いにも裏山はすぐそこだ。あそこなら隠れる場所もたくさんある。ダッシュで逃げ込もうとしたその先に、ウェーブのかかった長いモカ色の髪の毛が優雅に舞っているのが見えた。
「おっはよ! タァーイセッ!」
女豹キマシタ──────!!!!!!!!
進行方向にふわふわと浮かんでいるのは美しきエロ神、ランコ・コダチ。残念ながら逃亡叶わずだ。
淫欲の女神様は逃げ遅れた僕の前にフワリと着地する。
「顔が青ざめてるけどどうかしたの?」
「は、はは……」
それは君が現れたからです、……とは言える訳もなく、引きつった笑いを浮かべる。するとそんな僕の心情を知らない淫欲狩人は、自信満々の様子でご自慢の二つの巨乳をツンと逸らした。
「かわいそうに、きっとイロイロ溜まっているのね! じゃあランコが絞りきれるだけ絞ってスッキリさせてあげる!」
しっ、絞るって何をさ!? しかもまた身体が動かなくなってるし! 早速拘束モード発動ってわけかよ! お約束すぎるだろ!
「んふっ、タイセーってば本当にウブねっ。超魅力的なランコがお相手だからってそんなに緊張しなくていいのよ?」
身体の自由をほぼ奪われ、恐れおののく僕の首にすかさずコダチさんが両手を絡めてきた。そして「さぁランコの流れるような舌遣い、上から下までたっぷり味わうといいわ」と僕の耳元で囁く。
「ままま待ってよコダチさん!!」
カリンの他にイブキ先生とも昨日キスしちゃってるのに、これ以上色んな女の子と手当たり次第にこういうことをしまくってたら自制心がゼロになっちゃうよっ!
「ダーメ。待たない」
コダチさんのうっすらと上気した綺麗な顔が目前にまで来る。
「ランコちゃんってばダメですよっ!!」
あともうちょいで完全にチュー、という絶妙のところでカシムラさんがコダチさんの身体を引っ張って止めてくれた。邪魔をされたコダチさんはムッとした表情でカシムラさんを見る。
「何よクルミ。っていうか、あんたいたの?」
「ひど~い! さっきからずっといましたぁ~!」
この場の登場人物にカウントされていなかったと知ったカシムラさんが頬を膨らます。
「クルミはランコちゃんよりも先にここにいたんだから!! それよりタイセーくんにそんなにくっつかないで下さい! タイセーくんはクルミの彼氏になるんですからぁ!」
「プッ、何それ? 言ってる意味が分かんないんだけど」
コダチさんは明らかにバカにしたような仕草でカシムラさんを笑う。しかしカシムラさんはめげる様子も無く、逆に意気揚々とコダチさんを指さした。
「クルミは目標であるランコちゃんを乗り越えるために、ランコちゃんのターゲットになっているタイセーくんをゲットすることに決めたんです!」
「あははっ、ますます意味分かんないんだけど~? そんなお子さま体型のくせに本気でランコに勝てると思ってんの?」
コダチさんは腕組みをした自分の両腕に巨乳を乗せ、わざと見せ付けるようにカシムラさんの方に向ける。みっしりと詰まっていて、とっても重量感のありそうなバストだ。
「そ、それはランコちゃんみたいにすぐにボンッキュッボンにはなりませんけど……」
貫禄の巨乳から視線を逸らし、もごもごと敗戦の弁を口中で呟くカシムラさん。
「分かってんなら引っ込んでなさいよクルミ」
「ヤです! タイセーくんをメロメロにすることならクルミにだってきっとできるもんっっ!」
そう言うとカシムラさんは僕の左足に思い切り抱きついてきた。そしてウルウルとした瞳で僕を見上げる。
「タイセーくん、昨日クルミのことカワイイって言ってくれましたよね?」
「う、うん」
「それに手だってちゃんと繋いでくれたし、クルミのこと、好きでしょ……?」
カ、カワイイッ……!
僕の脚にしがみついて必死にお願いをしてくるカシムラさんの姿があまりにもキュート過ぎて、つい頬が緩んでしまう。
昨日シヅル姉さんの衝撃な暴露話を聞いたせいで、父さんと母さんにイロイロと頑張ってもらって妹が欲しいという気持ちは見事に無くなったけど、その分、この女の子を妹にしたいという欲求がどんどんと膨らんできて止まらない。
「まったく相変わらず単純ね、クルミは! ちょーっとカワイイって言われたぐらいで勘違いしちゃってカッコ悪いったらありゃしないわ! 大体そんなレベルの褒め言葉はただの社交辞令に決まってるでしょ! お世辞よっ、お・世・辞!」
「そ、そんなことないですよねタイセーくん!?」
そうは言いつつもおどおどと心配げな表情で僕を見上げるカシムラさん。でもそんな自信無さげな表情ですら、今の僕には萌えの感情しか湧き起こらない。
「社交辞令なんかじゃないよ? カシムラさんは可愛いよ。すっごく可愛い」
本気で言っていることを伝えるために一言一言、区切るように話すと、カシムラさんがさらに強く抱きついてくる。
「ありがとうですタイセーくん!!」
くっ……、抱きしめ返したいっ!!
こんなキュートな物体にぎゅっと抱きつかれて抱きしめ返さないなんて、もはやヒトとして間違っているような気さえしてくるような……って、あれ? 僕、ヘンな方の道に進んでいってない?
なんだか急に心配になってきた。
何せ僕の姉たちは二人ともちょっとアレな方々なので、同じ血を引く僕も、そのうち人前で口外できないようなおかしな性癖に目覚めてしまうという可能性はゼロでは無いはずだ。
いや、むしろどちらの姉もレッキとしたヘンタイなのだから、僕もやがてその血が覚醒する可能性は大いにあると考えたほうがいいのかもしれない。
マズい、それは非常にマズイです。イセジマ三姉弟が揃いも揃って皆アブノーマルだなんて、僕らを生み出してくれた父さんや母さんに申し訳なさ過ぎる。
「ちょっとタイセー! ダメじゃないの、そんな罪作りなことしちゃ!」
煩悶する僕をよそに、女の子たちのバトルはさらに熱を帯びてきた。
「きちんとあんたの本音を言ってあげたほうがクルミのためにもなるのよ!? それにタイセーだってさ、お子さま体型のクルミより、スタイル完璧のランコがいいに決まってるでしょ!? 正直に言いなさい!!」
「タイセーくん! 最近ますます天狗さんになってるランコちゃんにビシッと言ってやって下さいです! タイセーくんはクルミとランコちゃんなら、クルミの方が好きですよね!?」
「えっ」
どうしよう、すごい二者択一がきてしまった……。
でも “ 異性としての好意を持っているか ” 、という意味合いで言えば、どちらの女の子も当てはまらないんだけどな……。
「ほら! グズグズしてないで早く言っちゃいなさいよタイセー!!」
「どっちですか!? どっちなんですかタイセーくんっ!!」
僕を凝視する二人の視線が身体に突き刺さりまくる。
「ぼ、僕が好きな子は……」
「さっさと言いなさいタイセー!!」
「早く言うですっタイセーくんっ!!」
上から強引に押さえ込まれるような凄まじいプレッシャーに為す術がない。
どちらのご令嬢もそれぞれのオーラで見事に殺気立っておられます。もしここで曖昧な返事をしたり、僕はカリンが好きなんですけど、なんて言っちゃったら、即この場で公開処刑でもされそうな勢いだ。
あーもうっ! 一体どうしろっていうんだよ!? 僕は早くコシミズさんを探しに行きたいのに!!
「ここっ、こっちですっっ!!」
カシムラさんのちっちゃな頭に手を置いてそう答えた。
でも、これはある意味僕の本音だ。なぜなら「愛でる」もしくは「猫可愛がりする」という気持ちだけなら、僕の中でクルミ・カシムラはすでに最強の存在だから。このジャンルの気持ちならカリンすらもとっくに超えている。
「わぁーい! タイセーくんがクルミを選んでくれたぁー!!」
カシムラさんの顔がパァッと明るくなる。一方のコダチさんは完全にフリーズだ。顔から表情が消えている。
だ、大丈夫かなコダチさん……。切羽詰まってつい別方向の本音が出ちゃったけど、これ以上この娘のプライドを粉々にしたらものすごく厄介なことになりそうな気がする。
「あ、あの、コダチさん……」
おそるおそる声をかけてみると、コダチさんはキッと眦を吊り上げた。
「なによっ、タイセーってば結局ロリ好きだったんじゃないっ! でもこれでようやく納得だわっ! クルミみたいな娘がタイプならいくらランコが魅力的でもなびかないわけよね! あーあ、なんだかバカらしくなっちゃった!」
プイとそっぽを向くコダチさん。やっと僕に愛想が尽きたみたいだ。
僕は別にロリコンじゃないけど、でもここはそういうことにしておいた方がこれ以上コダチさんを傷つけないですむかもしれない。面倒なことにもならなさそうだし。
「それにクルミ! あんたも調子がいいわよね!」
かけられたロリ疑惑に僕が一切反論しなかったので、コダチさんは怒りの矛先を勝者のカシムラさんに変える。
「どういう意味ですか、ランコちゃん?」
「あんた前に “ クルミよりダメダメな人がこの学園にいるなんて驚きです~!! ” ってタイセーのことをバカにしてたじゃないっ!」
「あっ……、そっ、そんなこと言ってないですぅ……」
そう否定したものの、それまですごく嬉しそうだったカシムラさんは明らかに動揺した様子で気まずそうに目線を地面に落とした。そのせいでそれまでピッタリとくっついていた僕とカシムラさんとの間に遠慮がちな隙間ができる。
「言ってたじゃない! PSIが全然使えない人なんて初めて見たってはしゃいでたじゃないの! あれだけタイセーをバカにしていたのに手のひら返したようにすり寄ってさ、いくらランコに勝ちたいからって節操が無さすぎなのよ!」
「あ、あれはタイセーくんをバカにして言ったんじゃなくて、その、えっと……」
追い討ちで強く責められたカシムラさんは深く俯き、僕ら三人の間に何ともいえない奇妙な空気が流れた。
……どうしよう、すごくいたたまれない。
でもこれは当然の事なのだろうとも思う。名門フルリアナスに超能力が全く使えない落ちこぼれがいるなんてどう考えたっておかしい話だ。
だからきっとカシムラさんだけじゃない。
たぶん入学してすぐの頃から僕の存在は陰で相当な噂になっていたんだろう。だけどそれは仕方の無いことなんだ。だって僕がダメ人間だという事は嘘偽りのない事実だから。
「とにかくタイセーがロリ好きだってことはよく分かったわ! スタイルが完璧なランコには難しいジャンルだけど、でもランコに不可能はないってことを見せてあげる! おとなしく股間を洗って待ってなさいタイセー!!」
そう言い捨てるとエロな女神様はその場から走り去っていった。
……あ、あれ? コダチさん、僕に愛想が尽きたんじゃ……っていうかまさか今のってリベンジ宣言!? 諦めてないのかよ!?
コダチさんがいなくなり、カシムラさんと二人きりになってしまった。僕とカシムラさんの間の隙間はさっきよりもさらに広がっている。
「タイセーくん……。ひどいこと言ってごめんなさいです……」
目を伏せたままで僕に謝るカシムラさん。
小さな身体がプルプルと震えていて、まるで天敵に見つかって脅えている子兎みたいだ。なんだか僕が苛めているみたいな気持ちになってきたので、もう一度カシムラさんの頭に優しく手を置く。
「大丈夫だよ。全然気にしていないから」
だけどカシムラさんはまだ震えている。
「ク、クルミ、タイセーくんをバカにしたんじゃないんです! クルミはお菓子の当たりを見分けるくらいしか自慢できる能力がないし、フルリアナスにも補欠でギリギリ合格だったし、それでクルミが一番のダメダメっ子だと思ってここに入学したから、だ、だから、その……」
「だから僕みたいな落ちこぼれがいて安心したんだよね? 本当に気にしてないからさ、そんなに怖がらないでよ。別に怒ってないから」
できるだけ優しいトーンで話しかけたのでようやくカシムラさんは安心したみたいだ。おずおずとだったけど、僕に向かって顔を上げてくれた。
「あのぉタイセーくん……」
「なに?」
「……クルミのこと、嫌いになっちゃいましたか?」
「ううん、そんなことないよ。カシムラさん可愛いし、フルリアナスで僕が一番ダメな生徒なのは本当のことだしね」
「あっあのっタイセーくんは確かに今はダメダメかもしれないけどっ、本当はやればできる子なんですよね!?」
「ハハ……それはどうかな……。ダメだと思うよ、たぶん」
「そんなことないですよ! だって昨日救護室でカリンさんが言ってましたもん!」
心臓がドキンと波打った。
さっきのマツリの会話に続いて、またしてもカリンの名前が唐突に飛び出してきたので大きく動揺してしまう。
「タイセーくんはテンセーだからっ、本当のチカラが目覚めたらうちのクラスの子なんてだぁーれも敵わないって! 乱暴なマツリちゃんを一撃でやっつけるくらいのチカラを持っているカリンさんがそこまで言うんだもんっ、きっとタイセーくんはすごい人なんですよっ!」
全力で熱弁するあまり、カシムラさんのほっぺが薄いピンク色になっている。息もハァハァと荒い。
「だっだからこれからここで一所懸命がんばれば、タイセーくんも超能力がフツーに使えるようになりますっ! クルミはそう思いますっ!!」
「……ありがとうカシムラさん。頑張るよ」
ニッコリと笑った後、もう一度カシムラさんの頭を撫でる。
触れられたくないコンプレックスを新たな人にえぐられたせいで僕の手はかすかに震えていたけど、それを隠すために今回は少し強めに撫でたからカシムラさんには気付かれなかったみたいだ。
「エヘヘッ、クルミもお菓子の当たり以外にちゃんとしたチカラを使えるようにいっぱい頑張りまぁす!」
「そうだね、一緒に頑張ろう」
「はぁい!!」
── カシムラさんの笑顔が無垢すぎて辛い。
胸の中心をギリギリと締め上げられているようなその痛さに、無理をして出している作り笑顔が今にも壊れそうだ。だけど演技で笑っていることがここでバレたら、カシムラさんは過去の自分の発言で僕が怒っていると再び勘違いしてしまうだろう。
小さく口を開け、小刻みに息を吸う。
僕はシヅル姉さんやキサラ姉さんとは違って演技はすこぶる下手なハム役者だけど、あともう少しだけこの場をうまく演じきらなくっちゃ。頑張れ、僕。
……でも笑っちゃうな。僕の中に眠っている能力が目覚めたら、クラスの誰もが敵わないだって?
そんなことあり得ないよカリン。僕を買いかぶってるにもほどがある。
それに君はお金の力で僕をここに入れたんだろ?
PSIが使えない僕を憐れんでいるんだろ?
僕に天性の才能なんか無い。今はもう無いんだ。
でも優しい君はそれを知らない。




