それでも僕はこの二人が愛しいです 【 2 】
「……お前ももう高校生だ。そろそろ話しておくべきだと思っていた」
「なんの話さ?」
「これから話すことは他言無用だぞ」
気付けばシヅル姉さんは前を見たままで僕を一瞥もしなくなっている。これは言いにくいことを切り出す時のシヅル姉さんの癖だ。
「……キサラは昔から感応力が高かったろう? だからあいつは幼い頃から自分と近しい者が頭の中で考えていることを、自分の意思とは無関係に読み取れてしまっていたらしいんだ」
「 “ 近しい者 ” ?」
「私たち家族のことだ。そしてすべての事の発端は父さんと母さんが好きモノだったということが原因でな」
「スキモノ……? それってどういう意味?」
「私らの父さんと母さんが大の性交好きだということだよ」
「ぶはっっ!!!」
凄まじい爆弾発言に本気で吹き出す。しかし姉さんはそんな僕にも一切反応しない。ひたすら無表情で話は続く。
「キサラの話によると、私たちが幼い頃は野生の猿も裸足で逃げ出すほどの頻度で交わっていたらしいぞ? しかもあの二人、食卓の団欒中にしょっちゅう精神感応でエロトークをしていたらしい。私らには聞かれていないと思って、かなりえげつないことを赤裸々に語っていたようだ。 “ 昨日のエリカの〇〇〇の蕾はしとどに濡れてまるで紅く染まったバラのようだったよ ” など、そこらの官能小説に負けないくらいの卑猥さだったらしいな」
うああああ! エリカ母さんの名前まで出てきて本気で拒否反応が出てきたよ!! シヅル姉さんっ、僕っ、もうその話を微塵も聞きたくないんですけど!?
腕の表面にはっきりと分かるほどの鳥肌が立った。青ざめた僕をチラリと見た姉さんは、「な、人づてに聞いてもキツいだろ?」と同意を求める。
「キ、キツいなんてもんじゃないよ姉さん……」
「だが聞きたくないそれらのやり取りを食事の度ごとにダイレクトで毎日聞かされていたのが」
その先を僕の口から言わせたいのか、姉さんはそこで唐突に言葉を切る。
「……キサラ姉さん……?」
「そうだ」
シヅル姉さんが小さく頷く。
「耳に入り始めた当初はキサラも両親の言っている意味が分からなかったらしいのだが、成長するにつれその内容が分かるようになってからあいつの苦悩が始まった。……タイセー、お前は父さんと母さんの性交シーンやそのやり取りの一部始終を見たり聞いたりしたいか?」
「ぜっ、絶対嫌だっっ!!」
猛烈な勢いで否定する。そんなの死んでも絶対に知りたくないよ!!
「だろう? だが恥ずかしがりやのキサラはそれを誰にも言えずにずっと一人で苦しんでいたんだ。そしてその内、キサラはついに他人の寝物語も無意識にキャッチ出来てしまうようになる。外ですれ違う奴らの昨夜のエロシーンやエロトークを、聞きたくなくても読み取れてしまうようになったんだ」
「もしかしてそれが原因でキサラ姉さんはあまり外に出なくなったの……?」
「あぁ」
シヅル姉さんはやれやれ、と言いたげに頭を振る。長いポニーテールの先が困ったように大きく揺れた。
「幼い頃から体験してきたその環境のせいで、キサラは男は不純で不潔な生き物、そして性交は穢れた行為だと思い込むようになっている」
「し、知らなかったよ……、キサラ姉さんにそんな悩みがあったなんて……」
「だがキサラだって年頃だ。若い男の一人や二人と恋愛をして付き合いたいという女としての本能はきっとあいつの中にもあるはずだ。しかし今までキサラが目にしてきた実際の男共は、キサラの姿を見た途端に裸に剥いてエロいことばかりを妄想し始める。だからキサラにとって、男という存在はいつになっても不純な生き物としてしか映らない」
ちゅぱっ、と音を立て、シヅル姉さんが棒付きキャンディを一旦口の中から取り出す。
「そこでお前だ」
「そこで僕っ!?」
「そうだ。お前はキサラに邪な感情を持っていない」
「そんなの実の姉さんなんだから当たり前だよ!!」
「だからそこがいいんだ。お前はヘタレだが優しいところもあるし、幼い頃から一緒に育ってきたから家族として今まで培ってきた愛情もある。そして何よりキサラを性欲の対象として見ていない。それらのすべての要素がプラスに働いた結果、キサラはお前を愛するようになったんだ。お前になら自分の全てを捧げてもいいとな」
「だからそれはマズいって今まで何度も言ってるだろっ!?」
すると姉さんは少し苛立った様子で僕をジロリと横目で睨んだ。
「そんな事はお前に言われなくても分かっている。だがキサラをまともにするために、家族である私たちが何とかしてやらなければいけないと思うんだ」
「そ、それはそう思うけど……」
「私も色々考えたよ。キサラを連れてあのマンションで二人暮らしを始めたのもそのためだ。まずは好きモノの父さんと母さんの暮らす家から引き離すのが先決だと思ったのでな。あぁ、ちなみにあの二人、今でも毎夜全開バリバリで交わっているらしいぞ?」
うあああああ! だからそういう話、本気で聞きたくないんですけど!?
今日の下校時にカシムラさんの幼いキュートさにメロメロになって、父さんと母さんがこれから頑張って僕に妹を作ってくれないかなぁ、なんて思っちゃったあの時のバカな自分を今すぐに抹消したいですっ!!
「だが実際に二人暮らしを始めてみて、あるマイナス点も出てきてな」
「マイナス点…?」
まるでその言葉に合わせたように、車が長い赤信号につかまる。姉さんは握っていたハンドルから指を離し、額にかかっていた前髪を手で梳いた。
「マンションで暮らすようになって、キサラはしばらく元気が無くなってたんだ。たぶんお前がいない新生活が寂しかったんだろう。だが月日が経つにつれ、キサラなりに落ち着き出していたところに突然お前が転がり込んで来ることになった。あの時は正直ビックリしたよ。まさかお前があのフルリアナスに合格するなんて夢にも思っていなかったのでな」
「う、うん……」
姉さんのその何気ない一言が、僕の胸の中にある出来立ての傷をじわりとえぐる。胸の中に並々と溜まっているやりきれなさで、つい下唇を噛み締めてしまいそうだ。でもそんな内面にはびこる負の感情と戦う僕に、一番上の姉はどこまでも優しかった。
「だが私は嬉しいぞ。お前がフルリアナスに入学できて本当に良かったと思っている」
運転席からこちらに向けられた姉さんの涼やかな笑顔は、思わず胸がドキリと高鳴るくらいにとても柔らかく、そして思いやりに溢れている。
……シヅル姉さん、ありがとう。そしてごめん。
3月に合格通知書が届いたことをあんなに喜んでくれた姉さんたちには言えないけど、たぶん僕は不正な方法でフルリアナスに入学しています。こんなどうしようもない落ちこぼれの僕を哀れんだカリンが、お金を積んでこっそり入学させてくれたみたいなんだ。
「きっとキサラも同じ気持ちだぞ。それにフルリアナスに通うためにお前が越してきてからというもの、キサラはずっと有頂天だったからな。お前だってそれは感じていただろう?」
「う、うん。なんとなくは感じてたよ……」
フルリアナスから帰ってくる度に、天使のような微笑みで僕を出迎えてくれるキサラ姉さんを思い出し、素直に認める。
「あの父さんや母さんから離れ、そして同じ屋根の下にかわいがっていたお前がやって来た。キサラにとっては最高の環境だ。ところが今日、ナナセの登場によってその幸せな環境が打ち砕かれた。あいつのショックは恐らく私たちの想像以上のものだろう。だから戻ったらフォローをしてやってほしいんだ」
「でっ、でもさ、どうやってフォローすればいいの?」
「それは私にも分からん」
クールな姉さんが珍しく深い溜息をつく。
「ナナセと付き合っていないことを話し、お前がキサラに優しくしてやれば、とりあえず今日のところは収まるかもしれん。だがそれは問題をいたずらに先送りにしているだけだと私は思うんだ。だが今すぐ弟離れをしろと強く言い聞かせてもおそらくキサラは受け入れられないだろう。かといって、元はといえば親が原因で始まったことだから父さんと母さんには話せないし、まったく本当にどうすればいいものか……」
消沈するシヅル姉さんを見て僕も最善の方法を考えてはみたけれど、良い案は思いつかない。
「……実はなタイセー」
「なに?」
「ここだけの話だが、いっそのこと一度お前とキサラに一線を越えさせてしまって、性交の良さをあいつにも実感させることが出来たら、他の男にも目が行くようになるかもと考えたことがあるんだ」
「ぶふぁぁぁっ!! ごほっげほがほおぉぉっ!!!」
「いくらなんでもむせ過ぎだろお前」
盛大にむせた僕にどこまでもクールな突っ込みが入る。しかしそんなとんでもない計画を聞いた僕はそれどころじゃない。
「なっ何考えてんだよシヅル姉さんっ!?」
「長い人生、時には荒療治が必要な場合があるような気がしてな」
「そんなヘンタイ的な荒療治をしてどうすんだよ!? それにそんなことをしちゃえばキサラ姉さんは他の男に目がいくどころか、ますます僕から離れなくなるような気がするし!!」
「やはりお前もそう思うか……」
深く長いため息を吐いたシヅル姉さんの胸が一度だけ大きく上下する。
「私もその確率の方が断然高いと予想している。だから今までお前達の性交の手引きはしてこなかったんだ」
「つーかそういうこと自体考えるなよっ!!」
「だがタイセー、私が手引きしなくても、もしキサラが本気でお前と寝ようと思えば簡単に出来るんだぞ? お前にだってその理屈は分かるはずだ」
「う……」
正論過ぎて返す言葉が無い。
「キサラは念動力のレベルは低い。だがお前はPSIがほとんど使えない。よって主従関係は明白だ。もしあいつが本気でその気になれば、お前の童貞など超能力で押さえつけられて一発で吹き飛ぶさ。しかも男ってヤツは女とは違ってそこに気持ちが無くても少々〇〇〇を刺激してやるだけで簡単に勃つ、しょうもない生き物だしな」
「……頼むからそういう話はもう少しオブラートに包んで話してよ姉さん……」
「分かっていないなタイセー。言葉の伝達というものはシンプル、かつストレートに行うべきだ。婉曲な表現の多用はお互いの意思の疎通を阻む要因になりやすいんだぞ?」
ためらうことなく次々にエロ単語をストレートに口にし、しかも自信満々の顔で語るシヅル姉さん。確かに姉さんの言っている事は全部真実かもしれないけど、でもだからってなんで実の姉弟でこんなエロ話を真剣にしなくっちゃいけないんだよ……。
もうこれは罰ゲームのレベルだと強く思う。もし今までの僕らの会話をTVで全国中継でもされていたら、一体何回 “ ピー ” という音声が入れられることになるか分からないよ。
「それに僕をむりやり襲うなんて酷いことをキサラ姉さんはしないよ、絶対にね」
ようやく信号が青に切り替わる。再び車は動き出した。
「あぁ、私もそう信じてはいるさ。だがなタイセー。人間は本当に切羽詰ると咄嗟に何をしでかすか分からん生き物でもあるんだ。だからお前への強い想いに囚われて自分を見失ったキサラが万が一にもおかしな気を起こさないように、タイセーと寝るのならまず私が先だぞ、とあいつにいつも釘を刺しているんだ」
「えっ……!?」
シートに預けていた背中をガバッと起こす。
「じゃあ姉さん! いつも僕に何かするなら年功序列だとかあんなバカなことを言っているのは、僕とキサラ姉さんがおかしな関係にならないためにだったんだねっ!?」
今までこの一番上の姉に「落ち着けよヘンタイ!」とさんざん罵倒してきたことを僕は心の底から恥じた。
ごめんシヅル姉さん! 姉さんは僕のことを考えてくれていたんだね! 姉さんのその姉弟愛、僕、全然分かっていなかったよ!
感謝の心でいっぱいの僕にシヅル姉さんがクールに答える。
「いやタイセー、悪いがそれは少々違うな」
「ハイ…?」
「お前とキサラの関係を先に進ませない意味ももちろんあるが、私は別に余裕でお前とヤれるぞ? 私は生粋のショタコンなのでな。よってお前も充分に私の攻略対象内だ」
「結局ヘンタイなんじゃないかああああ──っっ!!」
僕の絶叫が車内に響く。
なんだよ、感動して損したよ……。