あなた達は、僕の気持ちを今も分かってくれていないんですね
それから約四十分後、【 イセジマ姉弟劇場 】 の幕が再び上がった。
お風呂から上がったヤマダさんを加え、リビングは女性三人のお喋りでうるさいくらいに大盛り上がり中だ。そして僕はといえば、その一角にまるでシーサーの置物のように座っているだけ。やることがまったく無い。
“ 迂闊なことは喋らないようにお互い気をつけよう ”
と、ヤマダさんがお風呂に入っている時に姉さんたちと打ち合わせはした。だけど実際に劇の第二幕が上がると、そこに僕の出る幕などどこにもありはしなかった。準主役どころか、通行人の役すらやらせてもらえていない。
しかも主役を張る姉さんたちが、探偵も顔負けの色んな質問を絶妙のコンビネーションでヤマダさんにするものだから、僕はこの一時間で彼女の個人情報をかなり知ってしまった。
まずヤマダさんの生い立ちから始まって、家族構成に住んでいる場所、ヤマダさんの携帯番号及び好きな水着の種類、そして挙句の果てにはお父さんの年収まで聞き出した姉さんたちの情報収集能力には空いた口が塞がらない。
きっぱりと言います。
もうここはただのリビングじゃありません。警察の取調室と化しています。本物の取調室と大きく違う点といえば、皆で和気藹々としている部分くらいじゃないだろうか。
しかもヤマダさんの事情聴取があらかた終わると、なぜかシヅル姉さんが僕の幼少時代の画像が収められたアルバムボードを持ち出してきて、幼い頃の僕のエピソードをヤマダさんに色々と教え始める。
何だよこの展開!? まるで個人情報のギブ&テイクじゃないかー!!
「わぁ……! 赤ちゃんのイセジマくん、カワイイ!」
ヤマダさんは楽しそうな表情でボードのディスプレイに次々と映る僕の写真を見てくれている。
だけど内心は僕の赤ん坊の頃の姿なんて別に見たくないはずだ。今の言葉だって、この場の雰囲気を悪くしない為のお世辞に決まってるよ。
……ハァ、僕はただ、この娘をずぶ濡れのまま帰すのが忍びなかったから家に連れてきただけなのに、さっきからありとあらゆる色んな目に遭わせてしまってなんだかもう本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
「この方がイセジマくんのお母さんですか?」
赤ん坊の僕を抱いている母さんを見たヤマダさんがシヅル姉さんに尋ねる。
「あぁそうだ。美人だろ? うちの母さん」
「はい。二番目のお姉さんにとってもよく似てらっしゃいますよね」
確かにキサラ姉さんは母さん似だ。
「キサラは母さんに似て良かったよな。私もお前のようにパッチリとした目になりたかったよ。父さんに似てしまった私の不運だな」
ポニーテールを揺らし、シヅル姉さんがフッと笑う。でもシヅル姉さんの切れ長の目は、姉さんのそのクールな性格にすごく合っていると思うんだけど。
「ここから幼稚園の写真ですね」
アルバムボードは赤ん坊時代から幼稚園児時代に移ったみたいだ。
オートモードにしているのでページは三秒後には次の写真へ進むようになっている。移り変わる写真を見ていたヤマダさんは「あっ」というと右下の一時停止キーをタッチして画像の流れを止めた。
「この女の子、どこかで見たような……?」
「エ?」
ヤマダさんの手元のボードを覗き込んだ時、心臓がドキリと不整脈を打つ。
ボードで表示できる範囲をフルに使用してそこに大きく表示されていたのは、幼少時の僕とカリンだった。
まだ残ってたんだ……、僕とカリンの幼い頃の写真が。
幼稚園の裏手にある草原で、僕とカリンが仲良く遊んでいるツーショット。
僕が笑顔のカリンに向かって差し出しているのは一本の四つ葉のクローバーだ。
誰に聞いたのかはもう忘れてしまったけど、これをたくさん集めると何でも願いが叶うんだって昔の僕は信じていた。それをカリンに教えたら、四つ葉のクローバーをまだ見たことが無かったカリンがすごく見たがって、それで草原を二人で一生懸命に探して僕がようやく一本見つけた時の写真だ。
このクローバー、カリンに上げたら、すっごく喜んでくれたっけ……。
当時のカリンとの楽しかった記憶を思い出し、甘酸っぱい気持ちが胸の中に湧き起こる。
そしてその女の子はカリン・タカツキだよ、とヤマダさんに教えようとした時、不意にキサラ姉さんが無言でボードの上に手を伸ばした。そして何をするのかと聞く前に削除キーをタッチする。
二番目の姉さんの命令を受けたアルバムボードは、即座に次の指示を要求してきた。
【 ■ ⇒ メモリからこの画像を消去しても本当によろしいですか? ■ 】
「キサラ姉さんっ!?」
二番目の姉が何をしようとしているのかが分かった僕は慌ててソファから立ち上がり、「NO」の項目を触ろうとした。でも出したのが右手だったので動きが遅く、一瞬早く姉さんの指が「YES」をタッチしてしまう。すると即座にカリンの笑顔は粉々のモザイクの破片へと姿を変え、ボード上から消滅してしまった。
「姉さん……」
行き場を無くした僕の右手が空中で止まる。
「け、消しちゃって良かったんですか……?」
今ではもう撮る事の出来ない昔の写真をためらうことなく削除してしまったキサラ姉さんに、ヤマダさんがビックリした顔で尋ねる。するとキサラ姉さんはニッコリと笑って「いいのよ」とだけ答えた。そしてシヅル姉さんも「あぁそれは要らないデータだ」と答え、横から手を出して一時停止を解除した。
ヤマダさんの手元のアルバムボードは何事も無かったかのように、画像の続きを淡々と映し出してゆく。しかし僕ら姉弟の間は少し微妙な空気になっていた。
ボードに向かって伸ばしていた手を引っ込め、おとなしくまたソファに座り直す。
キサラ姉さんに、どうしてカリンとの写真を勝手に削除したんだよ、と怒ることもできたけど、姉さんたちの気持ちを考えると言い出せなかった。だって全ては僕のことを思っての行動だろうから。
アルバムボード上で削除してしまった画像は通常、復元することはできない。おそらくバックアップなど取ってはいないだろう。
カリンと一緒に映っていたあの写真、取っておきたかった。
せめて一枚くらい、楽しかった思い出として残しておきたかった。
僕に記憶転写ができたなら、キサラ姉さんに消される前に自分の記憶に取り込んでおけたのに……。
……そして今回のことではっきりと分かったよ。
シヅル姉さん、そしてキサラ姉さん。
姉さんたちは今もカリンのことを許していないんだね。僕の手が不自由になったことを今も怒っているんだね。
僕が右手に大怪我を負い、カリンが幼稚園から退園した後、僕とカリンが映っていた写真や思い出の物はいつのまにか全部処分されていた。あれは僕が怪我をしたことを思い出さないようにとの気遣いからかと思っていたけど、どうやら事実は違うようだ。
でも姉さん。姉さんたちは誤解しているよ。
あれはカリンが悪いんじゃないんだ。カリンだって被害者で、僕はカリンを助けたかっただけなんだ。
そんな僕の気持ち、十年経った今でも姉さんたちは分かってくれていないんだね。
こんな身体になってしまったことは今でも辛いけど、でも僕はカリンを恨んでなんかいやしないのに。