言いたくないけど、僕の姉は〇〇〇〇です
僕が今住んでいるマンションは、フルリアナス・ハイスクールに徒歩で通えるくらいの近い場所にある。
通学距離の短さが羨ましがられそうな環境ではあるけれど、僕は手放しで喜べない。
それは今年の三月初旬、街の中心地にあるこの学園に入学する事が決まった時に、僕の家庭で大きな揉め事が起こったからだ。
僕の実家は郊外にあり、フルリアナスからはすごく離れている。
そのため、通学手段をどうするかという問題で家族の意見が割れるという最悪の事態になってしまった。
母さんが車で毎日送り迎えをすると言い張ったのがその発端。
それは僕を甘やかすことになると父さんに一喝された母さんは、お嫁さんが放てる伝家の宝刀、「ワタクシ、実家に帰らせていただきますっ!」を繰り出した。
この突然のお里帰り宣言に狼狽しまくった父さんが平謝りすることでなんとかその場は収まり、最終的にはフルリアナスに在学中の三年間に限り、学園近くのマンションに住む二人の姉たちと一緒に暮らすという選択に落ち着いた。だけどそう決まった時の父さんの言葉が僕は未だに忘れられない。
「タイセー、そこまでしてお前がフルリアナスに行く必要が本当にあるのか?」
その父さんの問いに僕は答えられなかった。だって名門フルリアナスに入学できることを一番信じきれていなかったのが当事者である僕だったから。
父さんはこの進学に懐疑的だったけど、母さんや姉さんたちはまったく逆で、フルリアナスへの入学を必死に勧めた。
この学園に入学し無事に卒業できれば他の高校を卒業するよりも箔がつくことは間違いないし、PSIが使えない僕がフルリアナスで訓練を受ける内に能力が目覚めるかもしれないという淡い期待が三人にはあったんだと思う。
……実は僕もその期待はほんのちょっぴりだけど持っていた。今日、カリンとの出逢いによってその期待は微塵に砕け散ったけど。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
雨の中を一生懸命走って、一癖ある姉たちと暮らすマンションにやっと辿り着く。エレベーターで最上階に上がり、家の鍵を開けた。
「雨の中走らせてごめんね。大丈夫?」
後ろを振り返ってそう尋ねると、ヤマダさんは息を切らしながら笑顔で頷く。
「ぜっ、ぜんぜん大丈夫よっ」
ヤマダさんの前髪から滴り落ちた雨の雫がYシャツの胸元にポタポタと吸い込まれていく。ついその動きを目で追ってしまい、慌てて目線を逸らした。
うわっ、本屋の前で会ったよりも水色ブラの透け具合が激しくなってるよ……! どうやらヤマダさんは僕のジャケットの前ボタンを止めないで走ってきていたみたいです。今はヤマダさんの胸の谷間の深さとか、ブラジャーの細かい模様の一つ一つまで肉眼でバッチリ確認できるレベルだ。
「えんろっ…、えっ、えんりょしないで入ってヤマダさん」
焦って噛んだ!
ブラに気を取られすぎだ……。さっきから僕にとってあまりにも役得なターンばかりが続いているので、気持ちが舞い上がるのを止められない。
「お、お邪魔します」
おずおずと靴を脱いだヤマダさんが家の中に足を一歩踏み入れたのを見た時、ちょっぴり感動する。
…… 僕、女の子を家に入れたの初めてだよ!!
「こ、こっちだよ」
ずぶ濡れのヤマダさんを僕の部屋に入れ、「ちょっと待ってて」というとバスルームにタオルを取りに行く。上の棚から綺麗なバスタオルとハンドタオルを出し、急いで部屋に戻った。
「はい、これで髪とか拭いて。風邪引いちゃうから」
ヤマダさんの艶々した長い黒髪は、今はたっぷりと雨を吸ってとても重そうだ。
「ありがとうイセジマくん。……あ、ちょっとだけ待って?」
ヤマダさんはそう言うと、僕の差し出したタオルを受け取る前に雨の水滴がたくさんついてしまっている眼鏡をパッと外した。その瞬間、心臓がドキリと跳ねる。
う、うわぁ……、いつも眼鏡をかけている娘が眼鏡を外すと、それだけでこんなにインパクトがあるものなんだ……! 眼鏡を外すといつもの優等生っぽさとはまた一味違った感じが出て、こっちのヤマダさんもすっごく可愛い!
「どうかしたの、イセジマくん? 私、何かヘン?」
つい、眼鏡もかけていないヤマダさんの素顔を穴の開くほど見つめてしまったので、何事かと思ったヤマダさんが僕を見る。
「なななんでもないよっ! はっ、早く髪拭いたほうがいいよ?」
「えぇ。あ、それとジャケット貸してくれてありがとう」
これ以上自分の水分で濡らさないように、ヤマダさんが急いで僕のジャケットを脱ぐ。
「でも少し濡れちゃったわ。ごめんなさい」
「いいいいい、いいんだよ! ぜぜ、ぜんぜんっ!」
ヤマダさんっ、脱ぐの早いよ!!
僕の前でそのジャケットを脱いじゃったら、君のその水色のアレがもっともっと良く見えるようになっちゃうんだってば!! 無防備すぎるにもほどがあります!!
どうしても必然的に胸元に視線が行きそうになるので、髪の水分を拭いだしたヤマダさんに背を向け、次の行動へと移る。クローゼットを開けて僕の服の中からヤマダさんも着られるような服を探してみたけど、室内着用のスウェットぐらいしかなさそうだ。でもこんな安物のスウェット姿で家に帰すのもなぁ……。
少しの間考えて、僕は一つの結論を出した。ヤマダさんにもう一度「ここで待っててね」というと二番目の姉の部屋に向かう。
部屋の前に立つと中はすごく静かだった。
あの姉さんがこんな時間に外に出かけているとも思えないし、寝ている方の可能性が高い。そこでそっとドアをノックする。
「……キサラ姉さん、いるんだろ? 起きてる?」
返事は無い。
もう一度ノックをして呼びかけたが結果は同じだった。
「開けるよ姉さん?」
ドアを開けると中は薄暗かった。昨日も夜中遅くまで姉さんの仕事であるアクセサリー作りに没頭していたようだし、やっぱり寝ているみたいだ。
たくさんのレースがついた天蓋付きのベッドに近づいて中を覗き込むと、そこには僕の二番目の姉、キサラ・イセジマがすやすやと眠っていた。よく寝てるなぁ……。
こんな少女趣味的なベッドの中、アプリコット色のふわふわした巻き毛でぐっすりと眠り込む姉さんは、まるで毒リンゴを食べて眠らされたシンデレラみたいに儚くて綺麗だ。
我が姉ながらこんなに美人なのに本当にもったいない。キサラ姉さんならいくらでもカッコイイ男を捕まえられそうなのに、この姉さんが好きな男は……。
「ん……」
人の気配を感じたのか、キサラ姉さんが急にパチリと目を開ける。そして僕が側に立っていることに気付くと、レースの掛け布団を捲り上げて僕に飛びついてきた。
「お帰りタイちゃんっっ!!」
「た、ただいま姉さん」
「タイちゃんが学校に行っている間、姉さん、今日も寂しかったわ。一人であんまり寂しいからベッドに入っていたら眠っちゃったのね」
キサラ姉さんは僕の首に抱きついてくると、すべすべした頬を愛しそうにこすりつけてくる。
「ねぇタイちゃん、姉さんとここでもう少し一緒に寝ましょ?」
「寝るわけないだろ。今何時だと思ってるのさ。まだ五時前だよ?」
「朝の?」
「夕方の五時に決まってるだろ」
「だってタイちゃん、姉さんは24時間いつでもタイちゃんと一緒に寝たいと思ってるのよ?」
「姉さん、お願いだから “ 寝たい ” は止めて。姉さんが言うと冗談に聞こえないから」
「あら冗談のつもりはないわよ? だってタイちゃんが大好きなんですもの」
「頼むから弟離れしてよキサラ姉さん……」
僕の心からの願いにキサラ姉さんはパチクリと目を見開く。
「それは無理よ! だって姉さんはタイちゃんがいればいいの。タイちゃんがいれば幸せなのよ」
「それはまやかしの幸せ、幻想です」
「うふふっ、まやかしでもいいの。実際にタイちゃんは目の前にいるんだし、姉さんはタイちゃんしか目に入らないんだからっ」
ハァ……。
いつもの脱力感が身体を襲う。僕はキサラ姉さんの前で大きな溜息をついた。
「姉さん、お願いだ。頼むから現実を見て。実の弟が好きなんておかしいことなんだって事にいい加減気付いてよ」
もう本当になんとかしてほしいよこの姉。
「そうだ、お前はおかしいぞキサラ」
背後から淡々とした声。ギクリとして振り返ると戸口には一番上の姉がいた。
「シ、シヅル姉さん……!」
帰ってきてたのかこっちの姉さんも!
黒髪を高い位置でポニーテールに結び、口中には棒付きキャンディを咥えたいつものスタイルで僕の一番上の姉、シヅル・イセジマが戸口にもたれかかる。
「私のどこがおかしいの? シヅル姉さん」
「キサラ、お前は大きな過ちを犯している」
上の姉はちゅぱっ、とどことなくいやらしい音を鳴らして、白い柄付きのキャンディを口中から取り出した。
「年功序列という言葉を知っているな? お前がタイセーを愛でるのは構わんが、それはこの私がタイセーの若い肢体を隅々まで十二分に堪能してからの話だ。何事も順番は守れ。それがこの社会に生きる者の最低限のルールだ」
「えぇ分かってるわシヅル姉さん……。私、姉さんの次でガマンする」
「よしいい子だ」
「だから正気に戻ってくれよ二人とも!!」
二人の姉のやり取りに思わず突っ込んでしまう。
「ガマンするじゃないだろっ!? 何が年功序列だよ! そんな異常なルールはうちだけだ! 社会のルールじゃないよ!」
「この私の提唱する年功序列制度に文句があるのかタイセー?」
まん丸の赤いキャンディを尖らせた舌先でチロチロと舐めながらシヅル姉さんが僕を見る。
「だからそれ以前の問題だってば!」
「あぁなるほどな。分かったぞ。つまり、年功序列ならこの私が一番ではなく、母さんが一番に来なければおかしいとお前は暗に言いたいわけだな? ……うむ、確かにお前の言う事にも一理ある。しかしなタイセー。やはり母子相姦はマズいと思うんだ私は」
「近親だって充分にマズいだろ!」
「母子よりマシだろ」
「だからマシとか言い出す辺りからすでにおかしいってことに気付けよ!」
頭が痛い……。もう嫌だ、この家庭環境。
僕の二人の姉は、実の姉でいながら二人とも僕が好きだというれっきとしたヘンタイです。
あぁ僕の人生、いったいどうしてこうなったんだろう?