君のこと、キライになるかもしれません
とりあえずもうこれ以上おかしな動きはしないことにしよう。
何かに勘付いたメデューサ様が、
「あなたの身体に訊けばすべてが分かることよ。もう一度接触感応をさせてくれるかしら?」
なんてせがんできたら大変だし。そこで精一杯の自然さを装って、話題をさりげなく変えてみることにする。
「それよりカリン、もう具合は大丈夫なの?」
「えぇ、もう大丈夫よ」
「コダチさんやカシムラさんは?」
「あの人たちも気がついたわ。二人とももう帰ったんじゃないかしら」
手近にあった椅子にカリンがストンと腰を下ろす。
あれ? まだまだ僕と話す気マンマンみたいだ。でもレドウォールドさんはどうしたのかな。
「レドウォールドさんに会った?」
「レド? えぇ、今は外で待たせてるわ」
カリンの顔がほころぶ。
僕の勝手な思い込みかもしれないけど、それがレドウォールドさんの名前を出した途端に出てきた笑顔のような気がして、また胸の中が勝手にもやもやし始めてきた。
「そうだわ、聞いてタイセー」
「なに?」
「レドったらね、フルリアナスの中には勝手に入っちゃ絶対にダメよってキツく言ってあったのに、【 体色変化 】で身を隠してメディカルルームの中に入ってきていたのよ。それでね、 “ お嬢様、お怪我などなされませんでしたか ” ってこっそり耳元で尋ねてきたの。室内に私以外の人もいたからとはいえ、姿を隠していきなり話しかけられてビックリしちゃった。主人を驚かすだけじゃなく命令にも背くなんて、従者としての自覚が足りないわ。そう思わない?」
「それはカリンのことが心配だったからだよ、きっと」
「でも私の言いつけを守ることがレドの仕事なのよ?」
すぐに否定できなかった。
だけどそれは、確かにカリンの言う通りかもと思ったから反論できなかったんじゃなく、レドウォールドさんが周囲に自分の身体を溶け込ますPSI能力も使えるんだと知って動揺していたからだ。
カモフラージュも使えるなんてさすがだよ。容姿端麗でPSI能力値も高い。まさに完全無欠の従者さんだ。
それに引きかえこの僕は、レドウォールドさんを擁護する台詞だってすぐに言えやしなかった。一体どこまで人間が小さいんだよ……。
……いや、卑屈になっちゃ駄目だ。まずはきちんと相手を認めることから始めなくっちゃ。
レドウォールドさんはスゴイ人だ。
そして僕は落ちこぼれだ。
でも、カリンはこんな僕を好きだって言ってくれている。だから例えカリンを護る役目があの人だったとしても、それでいいじゃないか。
「それは違うよカリン」
「えっ、違うって何がかしら?」
「レドウォールドさんの仕事は君の言いつけを守ることじゃない。あの人の使命はカリンを護ることだよ」
「はぁ……。よくお聞きなさいタイセー」
カリンは心外そうな顔で机に頬杖をつく。
「もう私はあなたの知っている小さかった頃の私じゃないのよ? 自分の身は自分で充分に守れるわ。だから私は自分だけじゃなく、これからはあなたも守るの。タイセー、あなたが誰よりも大切だから」
初恋の相手で、しかも今一番大好きな女の子に誰よりも大切だって言われた……。
でもどうしてだろう、今はなぜか全然嬉しくない。ひたすらに胸が痛いだけで、今のカリンの言葉を素直に受け取れない自分がいる。
一雨きそうね、とカリンが呟いたのでCALLroomの窓から外を見てみる。すると空にはまるで今の僕の心の景色を完全に具現化したみたいな黒い雨雲がどんどんと広がりだしていた。
「タイセー、大好きよ」
カリンが僕の顔を見て微笑む。
「これからは何があってもすべてのトラブルからあなたを全力で守ってみせるわ。だから、ずっとずっと私の側にいてね。約束よ?」
「……っ」
駄目だ、頷けないっ……。
大好きな女の子のお願いなのに頷けないよ……!!
「あら、返事がないようだけどどうしたのかしら?」
「…………」
「まさか私と一緒にいたくないなんてことはないわよね?」
「…………」
「タイセー?」
「………………止めてよ」
「えっ?」
「止めてくれって言ってるんだああああっ!!」
いきなり大声で叫んだ僕に、カリンがビックリした顔をしている。でももうダメだ。無理に押し込めていた心の言葉が止まらない。
「僕は君に守ってなんかほしくないよっ!!」
「どうして!? だってあなたはPSIが使えな」
「止めろおおおおお!! 僕を見下すなあああああああああ!!!!!」
絶叫がCALLroom内を貫いた。
さっき屋上で全力で叫んだせいで音量はだいぶ下がっていたけど、ここが完全防音の部屋でなければ守衛さんが飛んできたかもしれない。
「ぼ、僕だって! 僕だって、好きな女の子を守りたいんだ!! だから僕を憐れむのは止めてよ!! 君がそうやって僕を守るって言う度に、僕は自分がすごく惨めになるんだ!! だからもう二度と言わないで! もしまた言ったらきっと僕は君の事を嫌いになる!!」
「そ、そんな……、私はそんなつもりじゃ……」
「ごめん! もう今日は帰る!!」
辛い。辛いよ。もうこの場にはいられない。
カリンを残してCALLroomを飛び出した。
なんて最低なんだ僕は……!
何だよ今の? レドウォールドさんに勝手に嫉妬しただけじゃなく、自分の無能さをカリンに八つ当たりしただけじゃないか。それを「今度言ったら君を嫌いになる」だって? いったい何様だってんだよ。
自分で自分を許せない。
たった今カリンの前で見せた卑怯な自分から離れたくて廊下を必死に走る。すると左の角を曲がってきた女の子とぶつかりそうになった。
「きゃうっ!?」
「す、すみません! ……あれっ、カシムラさん!?」
「わぁタイセーくんだぁ!」
あやうく激突しそうになった女の子はクルミ・カシムラだった。これから帰るところだったらしい。
「タイセーくん、さっきはクルミを助けてくれてありがとうですぅ~!」
ツインテールを揺らし、カシムラさんがピョコンとお辞儀をする。
「あの時タイセーくんがクルミの手を捕まえてくれなかったら、クルミ、屋上から下に落ちちゃって死んじゃってたかも~! だからタイセーくんはクルミの命の恩人になりましたぁ!」
「お、大げさだよカシムラさん……」
困り顔の僕に、カシムラさんがニコッと笑いかける。
「タイセーくん、クルミと一緒に帰ろっ?」
「……えっ?」
「ね、一緒に帰ろー?」
カシムラさんのとても無邪気な笑顔が、ささくれだっている僕の心を優しく癒す。
今はカリンと一緒にはいたくなかったけど、でも一人ぼっちにもなりたくなかった。ズルくて身勝手なのは充分承知の上で、カシムラさんの誘いに頷く。
「……うん。一緒に帰ろうか」
「やったぁ~! ところでタイセーくん、カサ持ってますかぁ?」
「傘?」
「雨が降ってきそうなんですぅ~っ!」
カシムラさんが廊下の窓から外を指差した。さっきよりも黒雲が厚く垂れ込め始めている。これは本当に一雨くるかもしれない。
「持ってるよ。折り畳み傘だけど」
「やっぱりタイセーくんはしっかりしてますぅ~! きっとタイセーくんならカサを持ってるんじゃないかってクルミは思いました!」
「……もしかして傘が目当てで一緒に帰ろうって誘ったの?」
「えへへ、当たりですぅ~! クルミはタイセーくんを利用しようとしてまぁす!」
「ははっ、ヒドいなぁカシムラさん」
ちゃっかりしているカシムラさんに思わず笑いが出た。
でもなんて素直な子なんだろう。普通思っても言わないよ、そういうこと。
それに僕も一人になりたくなくてカシムラさんと一緒に帰るんだし、きっとこれでおあいこだ。
「あ、もう降ってきたですぅ~!」
校舎から外に出るともうポツポツと雨粒が落ち始めていた。
「ちょっと待って、今傘を出すから」
折り畳み傘を広げてカシムラさんを中に入れてあげる。
幼稚園に通っている年の離れた妹を迎えに来たお兄ちゃんみたいなシチュエーションにほのぼのしていると、またしてもカシムラさんが無邪気にはしゃぐ。
「わぁ、タイセーくんと相合傘だぁ~!」
カシムラさんと相合傘!?
思わず吹き出しそうになったけど、何とか笑い出すのを我慢して傘をカシムラさんの方に大きく傾ける。こんなに小さいから濡れたらすぐに風邪を引いちゃいそうだ。
「タイセーくんと一緒♪ タイセーくんと一緒♪」
適当なフシをつけ、カシムラさんが即興のオリジナルソングを可愛い声で歌い始める。今はこの娘の無邪気さに救われる思いだ。
「あ、カシムラさん足元気をつけて。そこ、泥水だから靴が汚れちゃうよ」
「はぁ~い!」
カシムラさんがぬかるみ始めている水溜りをピョコンと上手に飛び越す。その仕草も可愛くてまた少しだけ心があったかくなった。
「雨、強くなりそうだ。急ごう」
とにかく今は全てを忘れたい。さっき僕が吐き捨てた言葉で大きなショックを受けていたカリンの顔も、卑怯な自分と共に頭の中から強制的に排除する。
ごめん、カリン。優しい君にあんなヒドいことを言って……。でも、でも僕はっ……!
カシムラさんと相合傘をしながら、足早にフルリアナスを後にする。
校門を出る時も、僕は一度もカリンのいる校舎を振り返らなかった。