僕はねじれた秘密を抱えているのかもしれません 【 前編 】
はぁ……、イブキ先生からどんな尋問を受けるんだろう?
憂鬱な気分で一人CALLroomへと向かう。
しかもよりにもよってあんなに機嫌の悪そうな時にこんなトラブルが起るなんてついてないや。
気を失ったカリン、コダチさん、カシムラさんのことも気になるし、この先のことを考えると自然と視線が下へ下へと落ちてゆく。
俯いて一人トボトボと廊下を歩いていると、視界の先に小さめの靴がポツンと見えた。不思議なことにこの靴の持ち主、僕が歩いている直線上からまったく動く気配がない。
あと少しでぶつかりそうになったので仕方なく足を止めて顔を上げると、そこにはクラスメイトのヨナ・コシミズが立っていた。
「あっ、コシミズさん……」
コシミズさんはその場から動かず、黙って僕を見ている。
体育の時間にこの娘に「マットに押し倒された」なんていうおかしな嘘をつかれたせいで窮地に陥ったことを思い出し、まず何よりも気まずさが先に立つ。
「はい、コレ」
コシミズさんは手にしていた何かを僕に差し出した。
何だろう? ……あっ! もしかしてそれは僕のベルト!?
「授業中に窓の外からこれが落ちていくのが見えたからさっき校庭に出て拾ってきたの。これ、君のでしょ?」
「うん、そうだけど……。でもなんでそれが僕のだって分かったの?」
するとコシミズさんは事も無げに言う。
「物質想起で」
「えぇっ!? コシミズさんってマテリマできるの!?」
「結構得意」
別段嬉しそうな表情も浮かべず、淡々と答えるコシミズさん。
だけどこれってかなりスゴイことだよ。血の通った生命体ならまだしも、物質に滲み込んだ既往情報を引っ張ることができるなんてさ。やっぱりフルリアナスの生徒って只者じゃない高校生ばかりなんだなぁ……。それに引きかえこの僕は……。
もう後ろ向きになるのは止めようと誓ったばかりなのに体中を絶望感が襲う。
「どうかした?」
コシミズさんの声で我に返る。
「タイセー、なんとなく顔色悪い」
「あっ、い、いや大丈夫だよ! じっ、実はさ、これからイブキ先生に怒られる予定だからちょっとブルーになってるだけなんだよね、ははっ」
照れ笑いでなんとかこの場をごまかす。そうでもしないと落ちこぼれな自分が惨めで惨めでしょうがない。
でもこうして自分をただ卑下しているだけじゃ駄目だってこともよく分かってる。
だから努力して少しでも前へ進むんだ。大好きな人にずっと守られ続けるなんてみっともないことにならないためにも。
返してもらったベルトを手に、これから死に物狂いでPSI特訓をする決意を奮い立たせていると、コシミズさんは切れ長の澄んだ瞳で僕をじいいっと正面から見つめる。
「それって立たされていたのに廊下から勝手に脱走した罪でしょ」
「うん。それがどうかした?」
「…………」
コシミズさんは引き続き僕をガン見している。そうやってあまり僕を凝視しないでほしいんだけどなぁ……。
この娘って感応能力がかなり高いらしいから、こうしてじっと見つめられているだけで色んなことを見透かされそうで怖いよ。
「逃げ出して何してたの?」
「エッ? え、えっと……、ひ、一人で立っていたらあんまり退屈でさっ、学校内をブラブラしてたんだっ」
「嘘」
体育の時間に僕を陥れた時と全く同じ口調で、コシミズさんが僕のフェイクをあっさりと見破る。そして軽蔑するようにフイと軽く頭を振ったので、肩口までのコシミズさんの黒髪が大きく横に流れる。
「君って嘘ばかりついて生きてる人なのね」
「嘘ばかり……? それ、どういうこと?」
「君、隠し事があるでしょ」
コシミズさんの濡れたような黒い瞳が、僕の身体を頭のてっぺんからつま先まで探るような動きを見せる。
「……今までそんなに辛い思いをしてきているのにどうして言わないの? 君の右手がそんな風になった原因とその後のこと」
「!?」
動揺で息が止まりそうになり、思わず胸の中心を強く押さえる。
ゴクリと生唾を飲むと、身体がわずかに震えているのが分かった。
体内でドクリドクリと嫌な音もする。心臓付近の血管から大量の血液が一斉に外へと漏れ出して、止めたくても止められないような感覚だ。
「恨めしく思う時はないの? だって君がそんな不遇な身体になったのはあの人のせい…」
── 無意識だった。
怒りで頭の中が真っ白になり、気付けばコシミズさんを力づくで抑え込み、その口を左手で乱暴に塞いでいた。
「僕に抱きついた時だなっ!? どこまで視たんだよ!?」
言葉を封じられたコシミズさんの両瞳が、僕の手の甲の上で大きく見開かれてしまっている。
きっと僕が今コシミズさんに与えているのは恐怖の感情だろう。こんなに華奢な女の子に僕は今ヒドイことをしてしまっている。でも、それは言葉にしてはダメなんだっ!
「言えよ!! あの時僕に抱きついてどこまで視たんだよッ!?」
必死の形相で声を荒げる僕の歪んだ姿が、コシミズさんの二つの瞳にそれぞれ小さく浮かんでいた。そんな醜い僕を映しているコシミズさんの脅えの色が濃くなる。
「答えろよっ!!」
しかしこうしてがっしりと口を塞いでしまっていたら、彼女が答えたくてもできないことに気付いた。
不穏な空気の中、押さえていた手を離し、小さな口元を開放する。だがコシミズさんは視線を伏せ、黙ったままだ。僕の問いに答えてくれる気配はない。この場で答えが戻ってくるのを悠長に待つほど、僕も冷静ではなかった。
「言ったら君を絶対に許さない……っ!!」
そう一言だけ告げてコシミズさんを突き放し、その脇をすり抜ける。
歩き出してすぐ、背後でコシミズさんが廊下にペタリと力なく座り込んだ気配がした。気がかりで一瞬足が止まりかけたけど、頭を強く振ってこの場を足早に離れる。
目的地である四階のCALLroomに飛び込み、全力でドアを閉めた。
一人になれた気の緩みで、強く握っていたベルトが右手から落ちかける。慌てて握りしめようとしたけど今回はうまく力が入らなかったみたいだ。結局ベルトは下へと落ち、バックルが床に当たった音がカシャリと一度だけ空しく鳴る。その音があまりにも無機質だったせいか、すぐに拾う気は起こらなかった。
大きく息を吐き、固く閉めきった扉に背を預けた後、そっと自分の右腕を触る。
―― 僕の右手は今もあまり力が入らない。
それは幼い時のケガが原因だ。
いくら必死にリハビリしても、どんな高名な医者に診てもらっても、この右手の機能は完全には戻らなかった。
ケガをしたばかりの頃はかなり不自由だったけど、全く使えないわけじゃないし、右をフォローするために自然と左手の筋力が上がっていったから、成長するにつれ、特に不便は感じなくなっていった。
だから、僕はちっとも恨んでなんかいやしない。
……このハンデが、幼いカリンを事故から庇ったために負ったものだとしても。