タイセー、受難の日
なぜこのスクールに入ったのが間違いだったのか。
その一番の理由、大いなる元凶が【 女の子ばかりのクラスに男は僕一人】という、
「あの、これなんてギャルゲーですか?」
的な仕打ちをされていることだ。
普通の男子なら鼻を下を伸ばして喜びそうなシチュエーションかもしれない。でも実際に体験すると悲惨としかいえない状況だ。
だってクラスメイトがすべて女の子ということは、僕一人が異分子。
ということは、体内に侵入したウィルスが即行で駆逐されるように、僕の存在もまさにそれと同じ。例えば体育の時間になると、
「あんたわざとダラダラして私たちの着替えを見ようとしてるんでしょ! さっさと出て行きなさいよ変態男っ!」
などと罵倒されてその場から逃げ出し、ランチタイムの時は女の子特有のハイスピードトークで盛り上がる教室内にいることがいたたまれず、今度は学食へと逃げる有様だ。
しかもまだ弊害がある。
いきなりこの女人満載のクラスに入れられてしまったため、他のクラスの男子と仲良くなるきっかけを未だつかめていない。入学して二ヶ月が経とうとしているのに僕はスクール内で孤立を深めていた。
毎朝いつも気が重い。
ベッドから起きる度に “ スクールを辞めたい ” と思うようになり、家を出た後の足取りは、まるでふくらはぎに鉛のシートをベッタリと貼り付けたかのように日に日に重力が増してゆく。
しかしまさか入学したばかりで退学したいなどと周囲に言えるわけもなく、今朝も灰色の溜息をついてスクールへと向かった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「お! 今日も懲りずに来たか、エロタイセー!」
相変わらず声が大きい女の子だ。……声だけじゃなくて胸も相当大きいけど。
重い足取りで教室へ入った僕に、褐色の肌にちょっぴりクセ毛なミディアムヘアのクラスメイト、マツリ・テンマが目の前に現れ、話しかけてくる。
彼女は何の根拠もなしに僕を勝手にエロ呼ばわりし、からかって弄ぶ、少々バイオレンス的な傾向色のある女子だ。
「なぁなぁ! 今日はエロ120%で生きているお前に最高な女絡みのニュースがあるぞ! 聞きたいか? 聞きたいだろ?」
テンマさんはグイと顔と胸を近づけ、猫のような目で僕の顔を覗きこむ。ここで「うん」と頷いてやればこの娘の機嫌を損なわないことは分かっていた。でも僕にだって譲れないものはある。だから顔を背け、素っ気無い声で返答した。
「いや、別に聞きたくないよ。それに僕、エロ120%でなんて生きてないし」
「はぁ~!? 何だよその言い草は!?」
……マズい、テンマさんの表情が完全に変わった。吊り目の角度が著しく上昇してる。
「力もろくに使えないくせにこのあたしに逆らうなんていい度胸じゃん! 身の程を知らない腑抜け野郎に身体で教えてやるよ!」
そう叫んだテンマさんの猫のような目の瞳孔が一気に開く。その瞬間身体が急に軽くなった。
テンマさんの念動力で宙に浮かされた僕の身体は急激に上昇し、教室の天井に背中を強打する。天井が大きく揺れたためにライトの表面に付着していた埃が僕の目の前を薄く舞った。
「痛っ…!」
耐えるつもりだったが、思わず苦悶の声が漏れてしまった。つい声を出してしまったミスをカバーするため、できるだけ無表情を装う。
「ハハッざまぁないね! 悔しかったら反撃してみな!」
必死なポーカーフェイスの僕とは対照的に、宙に浮かされている僕を下から見上げたテンマさんは勝利に酔った表情で僕を煽ってくる。
テンマさんの得意なPSIはこのテレキネシスだ。恐らくその分野では彼女がこのクラスで最強だろう。中肉中背の標準体型とはいえ、一応は男子である僕をここまで軽々と持ち上げることができるのだから。
「どうだ! 効いただろ!?」
テンマさんは得意げな表情で被害者である僕に確認する。
早朝一番のこの喧嘩騒ぎにクラス内は騒然としているが、誰も彼女を咎めない。皆、好戦的なテンマさんに逆らうと面倒だと分かっているからだ。触らぬ神に祟りなし、ってところなんだろうな。
「どうだ! 反省したか、エロタイセー! YESかNOで答えろ!」
腕組みをしたテンマさんが今度は謝罪を要求してきた。
ここで彼女が望む答えを言わなければ恐らくこの制裁はまだ続いてしまうだろう。だから僕は言った。はっきりと。
「反省してない。だってする必要全くないし」
「お前っ…!」
テンマさんがギリリと奥歯を噛み締めた音がここまで聞こえてくる。
「もうちょい痛い目を見ないと分かんないようだな!」
身体の前面を圧迫していた力が唐突に消えた。宙に浮いていた身体がグラリと揺れ、即座に急降下が始まった。多分今度は念動力を背面に移し、このまま一気に床に叩きつけるつもりだろう。
そう思った僕は少しでもダメージを減らそうと両腕をクロスさせ、落下に供えて体勢を整えた。しかし床に身体が衝突する直前で落下がピタリと止まる。
「甘いっ!」
そうテンマさんが叫ぶと先ほどよりも加速したスピードで身体が上昇する。
もう一度背中から天井に叩きつけるつもりだったのか……。だが両腕で背後を上手くカバーすることは出来ない。このままもう一度背中を強打するしか道は無かった。
激突した衝撃でうまく呼吸できなくなるかもしれない。せめて少しでもダメージを減らそうと、背中の筋肉に力を入れて次なる衝撃に備える。
── テンマさんほどの力が無くてもいい
ほんの少しだけでも僕も自在に超能力を使えたら
思わず内心で愚痴る。
しかしこんな不甲斐ない自分が情けなくはあったが、テンマさんの言いなりにならなかったことに対しての後悔は微塵もなかった。
「行くぜ! 耐えて見せろよエロタイセー!」
激が飛んできたので奥歯を思い切り食いしばる。
しかし僕の背中は天井にめり込まなかった。
激突するその刹那、別の人間が放ったPSIが僕の背後で発動し、背中をガードしてくれたからだ。そしてそれとほぼ同時に「うわぁっ!?」と叫んだテンマさんが壁際まで吹っ飛ぶ。
テンマさんからかけられていた念動力が解けたせいで身体が急に軽くなる。引力に導かれるままに真下の床に両足で着地したが、足元から伝わってきた衝撃で先ほど強打した背中がズキリと痛んだ。
「いってー! 誰だよ! 今あたしを突き飛ばした奴は!」
不意打ちで壁に激突したテンマさんが怒りの形相で立ち上がり、クラス内を睨みつける。
「私よ」
教室の自動扉付近から聞こえてきた涼やかな声。その声にクラス全員が振り返る。
サラサラときらめく亜麻色の髪をなびかせ、凛とした表情で立っている上品そうな女の子。
この女の子が誰かは分からない。
だけど以前にどこかで出会ったことがあるような気がすごくする。
この気持ちを単なる僕の気のせいだ、として片付けるのは無理そうだ。だって、今戸口に立っているその女の子、僕の顔を遠慮など一切ナッシングの超強烈な視線でじーっと見つめてきてるから。形のいい少し薄めの桜色の唇が、何かをものすごく言いたげな形になっている。
でもこんな綺麗な女の子の知り合いなんて僕にはいない。誰だっけ、この娘……?
「誰だ、お前?」
見知らぬ顔だったため、テンマさんが怪訝な表情をする。
戸口に立っていた女の子は一度僕から視線を外し、テンマさんから浴びせられた質問に答えた。
「誰って……、私もここのクラス生だけど?」
「じゃあお前が今日から来るっていう転入生か!」
「言っておくけど転入生じゃないわ。元々四月から来るはずだったんだけど、ちょっと外せない用事があって二ヶ月ほど休学してただけ。……それよりあなた、なぜタイセーを苛めていたのかを三秒以内で速やかに答えていただけるかしら?」
今の台詞の後半に威圧的なオーラがかかった事に気付いたのは僕だけだろうか。
とても上品で丁寧な口調なのになぜか背中がゾクリとする。
目力がすごくある女の子だ。
あの大きくて澄んだ目でキッと睨まれたら、何も悪い事をしてないのに「生まれてきてごめんなさい」と即、謝ってしまいそうなくらいの迫力がある。
「あたしがこいつに何をしようとお前には関係ないだろ! それよりお前、なんでこの男を知ってるんだよ!?」
「どうして知っているのか、ですって?」
肩口にかかるストレートの髪を静かに後ろに払った後、即行で答えが返ってくる。
「それは幼馴染だからよ。……ね、タイセー?」
気高ささえ感じるその凛とした表情で真っ直ぐ僕を見るその姿。
ようやく思い出した。
── カリン・タカツキ。何年ぶりかで会った、僕の幼馴染。