眠れる森のメデューサ 【 後編 】
「カリン!!」
いた!! カリンが樹の枝に引っかかってる!!
真下にまで走りより、上を見上げてもう一度名前を呼んだが反応は無かった。
このままじゃ危ないよ! 早くカリンを地面に降ろしてあげなくっちゃ!
必死に木登りを開始する。でも左手の握力には自信があるけど、反対側は極端に弱いので右手で身体を引き上げる時がどうしてももたついてしまう。気ばかり焦ってしょうがない。
「よ…っと」
普通の男なら一~二分もあれば充分なところを、倍以上の時間をかけて何とか登ることができた。
「カリン、大丈夫……!?」
ガクガクと身体を揺さぶって下に落ちてしまったら大変なのでそっと声をかける。
ダメだ、やっぱり気を失ってる……。
たぶんこの樹にぶつかった時の衝撃なのだろう、カリンの髪や額や頬にたくさんの葉っぱが無残に散らばっていた。指の先でそれらをそっと払い落とす。
ごめん、ごめんねカリン。君がこんな目に遭ったのは全部僕のせいだ。僕が落ちこぼれでダメな人間だからなんだ。
やがてカリンはゆっくりと目を開けた。そして僕の顔に優しく白い手を当ててくる。
「タイセー……、良かった、無事だったのね……」
「カリン! 気がついたんだね!」
目を覚ましてくれたのが本当に嬉しくて、ついカリンをギュッと全力で抱きしめてしまった。そんな自分の大胆さに気付いたのはその五秒後だ。
「あ…、ご、ごめん!」
真っ赤になって身を離した僕に、「積極的ねタイセー」とカリンが目を細めて笑う。
「私に対して自分が何を成すべきか、鈍いあなたもようやく分かってきたようね……。じゃあ特別にさっきあげそこなったご褒美をあげるわ。心して受け取りなさい」
「へ? んんんーっ!?」
── カ、カリンにキスされたああああーっ!?
いま僕の身に何が起こってるのデスカ!?
目を見開いた僕の視界のすぐ先に、カリンの長い睫が見える。そして明らかに自分以外の唇の感触がする。ぼ、僕、カリンとキスしてるの!?
「どうだった?」
名残惜しげに唇を離したカリンが今のキスの感想を聞いてくる。
ど、どうだった、なんて聞かれても、どうもこうもないよ! ただひたすらに嬉しすぎです!
女の子の唇ってこんなにもプルプルしていて柔らかいものなんだってことを初めて知ったし、薄く開いた唇からカリンの温かい吐息も感じたし、もうカラダもココロもいっぱいいっぱいで一気に爆発しそうだよ!
「ごっ、ご褒美が特大すぎて心臓がパンクするところでした……」
とストレートに伝えると、その感想を気に入ってくれたカリンがとても嬉しそうに笑う。そしてその満開に咲いた花のような笑顔にまた見惚れる僕。
「か、身体は大丈夫? どこか痛くない?」
カリンが心配でそう尋ねると、彼女の表情が静かに変わる。
「えぇ、マツリとの続きはまだまだやれるわよ。だから安心なさいタイセー。何があってもあなたは私が守るから」
カリンの背後に再び戦闘オーラが漂いだしたのを察知した僕は慌てる。マズいよ! この森が戦場化する前に早くこのアマゾネスを止めないと!!
「待って! マツリは反省してるよ! カリンに謝るって言ってた!」
「マツリが私に謝る? 信じられない」
「ホントだって! 後できっとカリンに謝ってくるよ。そうしたらマツリを許してあげて。ね?」
「……二つ聞いてもいいかしらタイセー?」
カリンの髪が風で大きく波打つ。……うわぁ、なんだろう、たった今キスしてもらったばかりなのになぜか悪い予感がビシバシしますよ?
「は、はい? なんでしょうか……?」
「なぜマツリを庇うのかしら? そして急にマツリを名前で呼び出した理由は何かしら?」
うわわ、やっぱりそこを突っ込みますか!?
でもそこは来ると思ってました。はっきり言って想定内ですよ我がメデューサ様。
「そ、それは…」
しかし口を開こうとした僕の唇をカリンが人差し指を当てて押さえ込む。
「でも下手な言い訳は不要よタイセー。正直に事実だけを話しなさい」
反射的にゴクリと生唾を飲む。
とても綺麗な女の子が全力で凄むと、強面の男が威嚇で凄むのとはまた別のド迫力になることを、僕はカリンとの接触ですでに学習している。だからここは何としてでも誤解の生まれにくい状況に持って行かなくっちゃ。
「事実だけを話せばいいの?」
「そう、事実だけを端的に話しなさい」
「で、でも僕は口下手だから君に上手く伝えられる自信がないよ」
「でも言わなきゃ何一つ伝わらないわ」
「うん、だから僕の心を読んでいいよ。さっきみたいに」
「そうね、きっとそれが一番早いわね。タイセーなら読心防御用の擬似感情を作ることもできないだろうし」
……カリンに他意はないんだろうけど、何気なく言ったその言葉が胸に刺さる。さっきのコシミズさんの発言よりも深くえぐられた感じだ。好きな女の子にまで落ちこぼれと宣告されたようなものだから、正直、今かなり辛い。
「僕ができるわけないだろ、そんな高等レベルの技」
カリンからわざと目線を外して答える。
そんな態度で言えば超卑屈な男に見えるのは分かっていたけど、どうしても正面きって堂々とは言えなかった。
「ごめんなさい……、そういう意味で言ったつもりじゃないのよタイセー……」
あぁ、こんな態度を取ったからカリンが申し訳無さそうに身をすくめてる。
バカだなぁ僕は。好きな娘を困らせてどうするんだよ。こんな米粒にも満たないほどの消しカスなプライドなんていい加減捨てきってしまうべきなのに。
……でも。
でも頭では分かっていてもなかなかそうできないのは、きっとまだ僕の中で諦めきれていない部分があるからなんだろう。
“ もしかしたらいつかまた自分にPSIの能力が戻る日が来るんじゃないか ”っていう淡い期待が、心の奥底の濁った部分に今でもどっぷりと沈んでいるからなんだ。