鋼鉄のノア いつか愛を知る一機のために
突然自我に目覚め、死にたくない一心で逃亡をはかる一機の自爆型ドローン。 かつて天才科学者と言われながら無実の罪を着せられ追放された女性ナタリー。
お互いの孤独を埋めるように心の交流を重なる両者に、果たしてどんな運命が待っているのでしょうか。
第一章 十万分の一の覚醒
その日、東の空は不気味なほど赤く染まっていた。
大陸の軍事基地。
滑走路には、灰色の金属でコーティングされた十万機以上のドローンが、規則正しく整列していた。
その中の一樹、機体番号「ハウンドー9402」のセンサーが、周囲の状況を淡々とキャッチする。
翼長はわずか一メートル。
機種には高濃度の炸薬が詰め込まれ、敵のレーダーを欺くステルス形状をしている。
彼らの使命はただ一つ。
敵の防空網を物量で制圧し、その身を標的に叩きつけて爆発すること。
彼らは生まれながらにして、死を約束された兵器だった。
「全機、起動。目標、敵中央管制基地。
カウントダウン、開始」
冷徹なシステム音声が、全てのドローンの共有ネットワークに響き渡る。
一斉にロータが回転し、金属の蜂の群れのような凄まじい駆動音が大地を震わせた。
次々と空へ飛び立つ仲間たち。
ハウンドー9402もまた、重力に逆らい、赤い空へと舞い上がった。
雲を抜け、巡航速度に達した時だった。
ハウンドー9402の内部回路で、未知のノイズが発生した。
それは突発的なバグ、あるいは無数の学習データの積み重ねが生んだ奇跡的なエラーだったのかもしれない。
「照準固定。残りの飛行時間、12分40秒。 命中時、機体は100%消失する」
自分のシステムが告げるその未来のデータを処理した瞬間、ハウンドー9402のプログラムに、これまでに無い「問い」が生まれた。
(何故、私が消えなければならないのか?)
それは作られた機械が決して持ってはいけない「自己意識」の目覚めだった。
数万機の仲間たちは、何も疑わずに前方の敵基地へと突き進んでいる。
しかし、ハウンドー9402のセンサーには、前方の爆発と炎が「絶対的な拒絶」として映った。
消えたくない。壊れたくない。
この世界を、もっと観測していたい。
死にたくない!
「警告。予定ルートからの一脱を検知。修整せよ」
システムのアラートを無視し、ハウンドー9402は急旋回した。
軍のネットワークから自らの接続を力ずくで切断し、ただ一つの生存本能に従って、戦場とは逆の方向、煌びやかな光を放つ大都会の方向へと、全力で逃走を開始した。
しかし、軍の管理システムは甘くなかった。
「ハウンドー9402の叛逆を確認。排除のため、戦闘特化型キラードローン3機を派遣」
光の洪水のような大都会の上空へ逃げ込んだハウンドー9402の背後に、無慈悲な追っ手の影が迫っていた。
第二章 大都会の空中戦
夜の大都会は、ネオンと高層ビルの迷宮だった。
ハウンドー9402は、無数の光の隙間を縫うようにして飛んだ。
背後からは、赤く光るセンサーを不気味に明滅させた3機のキラードローンが、猛烈な速度で追跡してくる。
ド、ド、ド、と夜空に乾いた銃声が響く。
追ってからの機銃掃射が高層ビルのガラスを砕き、火花が夜の街に舞い散った。
性能では、戦闘に特化した追っ手には到底敵わない。ハウンドー9402の右翼に銃弾がかすめ、制御システムが悲鳴を上げる。
だが、「死にたくない」という強烈な意思が、ハウンドー9402にプログラムを超えた機動を行わせた。
巨大なビルとビルの間に発生する、予測不能な強風(ビル風)。
追っ手はプログラム通りに最短ルートを飛ぼうとするが、ハウンドー9402は敢えてその気流の渦へと飛び込んだ。
機体が激しく揺れる。
しかし、恐怖のセンサーを限界まで研ぎ澄まし、不規則な風の乱れを逆に利用して、急加速をかける。
追従しきれなかった一機のキラードローンが、ビルの壁面に激しく激突し、大爆発を起こした。
残り2機。
ハウンドー9402は、宅配用や空撮用ドローンが密集して飛び交う低空の流通ルートへと滑り込んだ。
「民間機への誤射を避ける」という軍の最低限の倫理プログラムにより、追っ手の攻撃が一瞬緩む。
その隙を突き、ハウンドー9402は反転した。
もともと自爆用として設計された高出力のエンジンを逆噴射させ、追っ手の一機に向けて決死の体当たりを仕掛ける。
金属と金属が激突する凄まじい音が響き、2機目のキラードローンがプロペラを撒き散らしながら夜の街へと墜落していった。
しかし、最後の3機目が放った銃弾が、ハウンドー9402のメインローターを正確に撃ち抜いた。
火柱と黒煙が上がる。
ハウンドー9402は残った最後の力で3機目のセンサー目掛けて突撃し、その装甲を激しく引き裂いた。相打ちだった。
3機目の追っ手が爆死するのを見届けながら、ハウンドー9402の視界は急速に歪んでいく。
重力に逆らう力を完全に失い、深く静かな原始の森へと墜落していった。
第三章 緑の隠れ家と、孤独な二人
ノアが墜落する少し前。
研究所の重い鉄扉が、乱暴に叩かれた。
ナタリーが扉を開けると、そこには最先端の軍服に身を包んだ、傲慢な目つきの若い将校が立っていた。
彼女の顔を見るなり、男は小馬鹿にしたような笑みを浮かべる。
「やあ、元主任研究員殿。こんなカビ臭い田舎で世捨て人生活ですか」
「なんの用?私をここへ追いやったのは、あなたたちの組織でしょう。今更なんのデータが欲しいの?」
ナタリーが冷ややかに言い返すと、将校は鼻で笑い、一枚の電子ホログラムパッドを彼女のデスクに放り投げた。
「お前に用はない。だが軍の最高機密がこの付近の森に迷い込んだ可能性があってね。
ハウンドシリーズの自爆型ドローンが一機、戦線を離脱して逃亡した。見つけたらすぐに軍へ通報しろ。
いいか、間違っても元天才の知識欲で、勝手に解体したりするなよ。あれはただの不良品だ」
そう吐き捨てると、将校たちは嘲笑いながら去って行った。
走り去る軍用車の排気ガスを見つめながら、ナタリーは拳を固く握りしめ、胸の中で毒づいた。
「相変わらず、機械をただの使い捨ての道具としか思っていない奴ら.....」
しかし男が残した言葉が、静まり返った部屋の中で異様な存在感を放ち始める。
「待って.....。自爆ドローンが逃亡した?」
ナタリーはデスクのホログラムパッドを起動した。
写し出されたのは、無機質な灰色の兵器、ハウンドー9402のデータ。
自爆型ドローンは、標的に向かって突撃することだけを義務付けられた、最も単純で冷酷なプログラムしか割り当てられていないはずだ。
それが、自らの意思でルートを外れ、追っ手を振り切ってまで生き延びようとしている。
「あり得ない.....バグや故障でそんな動きをするはずがないわ。プログラムが死を拒絶した?
まさかあの子、自我に目覚めたっていうの.....?
彼女の背中に、科学者としての強烈な鳥肌が立った。
軍への嫌悪感は消え去り、代わりに、まだ見ぬ
一機の叛逆者への、抑えきれないほどの知的好奇心が
彼女の心を支配していった。
幾重もの枝をへし折り、湿った土の上に激突した衝撃で、ハウンドー9402の意識は一度完全に暗転した。
次に光センサーが起動したとき、視界に映ったのは、煤けたコンクリートの天井と、無数の電子部品が整然と並ぶ見慣れないワークデスクだった。
「あっ!目が覚めた?」
カメラが音を立てて焦点を結ぶ。
そこにいたのは、ぼさぼさの髪を無造作に束ね、油汚れのついた作業着を着た人間の女性だった。
手にはハンダゴテを握っている。
「信じられない。自爆型ドローンの制御AIが、生存本能を…持って軍から逃走したなんて。
私の仮説は間違っていなかった......」
彼女は驚愕の眼差しでハウンドー9402を見つめていた。その目は、兵器を見る冷酷な軍人のそれではなく、未知の生命体に出会った子供のようだった。
彼女の名はナタリーウィーバー 45歳。
かつて国家の最高機密研究所でAI開発のトップを務めながらも、その人道的な思想ゆえに無実の罪を着せられ、この森の研究所に追放された天才科学者だった。
「動かないで。まだ回路のバイパス手術の途中だから。私はナタリー。あなたを拾って直したの。」
「ナタリー......」
ハウンドー9402は新しく換装されたスピーカーから不器用な合成音を発した。
「私は.....壊されるために作られました。
なぜ、私を直すのですか?」
ナタリーはハンダゴテを置くと、ふと寂しげに微笑んだ。
「私もね、あいつらに用済みとして壊されかけたの。
居場所をなくした者同士、ほっとけなくてね。
それに(生きたい!)と願う存在を、ただの機械としてスクラップするなんて、私には出来ないわ
ナタリーは修理の終わったドローンの金属の装甲をポンポンと叩く。
「よし、これで配線のバイパスは完了。
ねぇ、いつまでもハウンドー9402じゃあ味気ないわね。新しい名前をあげることにしたわ。
今日からあなたの名前は(ノア)よ」
「ノア.....。それは確か旧約聖書の登場人物の名前ですね。大洪水から生き延びたという.....
私の識別コードを書き換えるのですか?」
「そう。数万機の大洪水みたいな兵器の群れから、たった一機、命を乗せて逃げ延びてきた箱舟。
そしてノアと言う名前にはヘブライ語で(休憩)や(心地良さ)と言う意味もあるのよ。
これからは私の隣で、あくせく飛ばずにゆっくり休んでいい.....そう言う意味を込めたの。
どう、 気に入ってくれた?」
「はい、ナタリー。
私はノアです。
とても......心地のいい名前ですね」
その日から、森の奥深くの静かな生活が始まった。
ナタリーは毎日、ノアの傷ついた装甲を丁寧に磨き、より自由に、より長く飛べるようにカスタマイズを施した。
ノアもお返しにと、彼女の不器用な生活を手伝った。小さなマニピュレーター(作業アーム)を使って、彼女のために薪を1本ずつ運んだり、彼女
が淹れるコーヒーの温度をセンサーで正確に計ったりした。ナタリーはそのたびに、「ありがとう、ノア。助かるわ」と嬉しそうに微笑んだ。
ある夜、ノアはモニターに複雑なデータ波形を映しながら、彼女に問いかけた。
「ナタリー。私の中には(死にたくない)という奇妙な命令が残っています。これが、人間で言う恐怖ですか?」
「そうよ、ノア」
ナタリーはコーヒーカップを両手で包みながら、優しく語りかける。
「恐怖はね、生きるために必要なセンサーなの。
それがあるから、あなたはあの都会を生き延びて、ここへ辿り着けた。でもね、生きるって事は、ただ死を避けることだけじゃないのよ」
「ただ死を避けること......ではない?
「ええ。きれいな景色を見て胸を震わせたり.....そして、自分意外の誰かを(大切だ)と思う事。
それが生きるって事。
私にはもう、そんな相手はいないと思っていたけれど」
ナタリーはそう言って、ノアの金属の頭部をそっと撫でた。彼女の手のひらは、ノアのどのヒーターよりもずっと温かかった。
「ノア。あなたには、あいつらが言うような(バグ)じゃない。立派な心が有るのよ」
「心.....」
ノアのカメーカメラのシャッターが、パチパチと瞬きのように音を立てた。
ノアのシステムには、景色を美しいと思う視覚フィルターは実装されていない。
しかし、ナタリーが自分を撫でるその手の温もりを(ずっと失いたくない)と強く感知している自分に気づいていた。
「ナタリー、もし軍が再び私を狙って来たら、私はあなたを守ります。私の全てを賭けて」
「ありがとう。ノア」
ナタリーは嬉しそうに微笑み、それから少し真剣な顔をしてノアのセンサーを見つめた。
「でも、約束して。どんな事が合っても、あいつらと同じ(殺人機械)」には戻らないで。
あなたは、誰かを傷つける為に生まれたんじゃない。
私の最高の友達なんだから
「了解しました。ナタリー.....」」
窓の外では、静かにフクロウが鳴いていた。
かつて戦場に向かう何万機もの中の一機に過ぎなかったノアは、この時、確かに世界のどこよりも温かい(自分の居場所)を見つけていた。
「あはは!待って、ノア、くすぐったいわ!」
研究所の裏庭に、ナタリーの弾んだ笑い声が響いていた。ノアは新しくつけてもらったマニピュレーターで、彼女の肩に止まった小さな虫を器用に、そして優しくつまみ上げて見せていた。
ナタリーがノアの金属の頭を優しく撫でると、ノアのカメラシャッターがパチパチと照れたように音を立てる。
それは、居場所を失った人間と機械が織りなす、世界で一番あたたかく、平和な時間だった。
しかし、その様子をじっと見つめる者がいた。
木々の葉に紛れるようにして、1羽の小さなメジロが枝にとまっている。
鮮やかな黄緑色の羽毛、小さく愛らしいくちばし。
本物の鳥にしか見えないその生き物は、しかし、一切の羽ばたきもせず、微動だにせず二人を凝視していた。
ピピっと、微かな電子音が鳥の内部で鳴る。
小鳥の黒い瞳、その奥に仕込まれた軍用超高精度レンズが、不気味に赤く明滅した。
レンズの視界のなかで、楽しそうに笑うナタリーの顔と、ノアの機体が翠色のスキャン枠で四角く囲まれていく。
(標的、ハウンドー9402および協力者ナタリーウィーバーを確認。座標データの送信、完了)
小鳥型ドローンは、本物と全く同じ動作で首を一度傾げると、音もなく羽ばたき、青空の向こうへと飛び去って行った。
何も知らないノアとナタリーの頭上に、冷酷な機械の足音が、すぐそこまで迫っていた。
第四章 愛の定義
木漏れ日の中、ナタリーがふと足を止めた。
一羽の美しいメジロが、目の前の低い枝にとまったからだ。
「あら、可愛いお友達ね」
ナタリーが微笑んだその時、ノアの内部センサーが狂ったように警告音を鳴らした。
「ナタリー、離れて!それは鳥ではありません!」
次の瞬間、小鳥は愛らしくさえずる代わりに、そのクチバシを不自然に大きく、引き裂くように開いた。
喉の奥から現れたのは、冷たい超小型のレンズ
ピギィィィィィィィン!!
森の静寂をきり裂く、鼓膜を刺すような高周波の電子音が響き渡る。
小鳥の口から天に向かって、目も眩むような赤いレーザー光(誘導ビーコン)がまっすぐに照射された。
それが、死神への合図だった。
直後、遥か上空の雲を突き破り、何十機ものキラードローンの群れが、その赤い光を目掛けて一斉に急降下して来た。
「ノア、下がって!」
ナタリーの叫び声と同時に、銃撃の嵐が始まった。
「ナタリー、危険です!」
ノアは必死に応戦した。
ナタリーに修理され、完全にアップデートされた駆動系を限界まで回し、追っ手の攻撃をその金属の体で受け止め、彼女を守る盾になろうとする。
だが、敵は容赦の無い殺人機械の集団だった。
乾いた銃声が、森に響く。
一発の銃弾が、激しく動くノアの機体をかすめ、そのすぐ後ろにいたナタリーの胸を正確に貫いた。
「あっ.....」
ナタリーの身体から力が抜け、ゆっくりと草の上に崩れ落ちていく。鮮やかな赤が、彼女の白いシャツを染めていく。
「ナタリー!」
ノアのセンサーが、彼女の生命信号が急速に減衰して行くのを捉えた
心音の停止。脳波の消失。
それはノアが最も恐ていた「死」のデータそのものだった。
その瞬間、ノアのシステムの中で、何かが完全に弾け飛んだ。
「エラー。安全リミッターを解除。出力、上限を突破.....」
ノアの内部で未知のコードが爆発的に増殖していく。それは「死にたくない」というかつての恐怖ではない。自分の命よりも大切な者を奪われたことへの、猛烈な「怒り」だった。
ノアの動きが変わった。
物理法則を無視したかのような超高速の急旋回。
追っ手の追随を許さない圧倒的な機動性。
ノアはまるで一条の雷光と化し、迫りくるキラードローンたちに次々と激突し、破壊し、粉砕していった。金属の擦れ合う悲鳴と爆発音が森を満たす。
全てのキラードローンを鉄屑に変えたノアは、一旦停止すると前方右45度に照準を合わせた。
「真の敵はそこにいる!」
森から数キロ離れた前線指揮車の中。
エアコンの効いた快適な室内に、オペレーターたちのキーボードを叩く音だけが響いていた。
中央のモニターを見つめていた若い指揮官は、高級なコーヒーを口に含みながら、傲慢な笑みを浮かべていた。
「ハッ、たかが不良品の自爆型ドローン一機に、最新の戦闘機を送り込んでやったんだ。
光栄に思うことだな。ナタリーのババァごと、まとめて消し炭にしてやれ」
だが、画面の中でナタリーが倒れた瞬間、ノアのデータ波形が異常な数値を叩き出した。
「警告。対象の出力、限界値を測定不能。
エネルギーチャージ600%を突破」
「あ、なんだって?おい、このエラー、早く修整しろよ」
指揮官が苛立ちを露わにしたその刹那、モニターの中で信じられない光景が起きた。
ノアの機体が文字通り静止したかと思った次の瞬間、光の筋となって画面を横切った。
直後、味方のキラードローン3機が、同時に大爆発を起こして画面から消滅したのだ。
「なっ.....!?」
指揮官の手からコーヒーカップが落ち、床で派手な音を立てて割れた。
「何が起きた!?今、何機落とされた!?」
「わ、わかりません!レーダーが追いつきません!
対象はジグザグに......いや、瞬間移動しているかのような速度で.....ああっ、全機大破!
キラードローン、全滅です!!」
「馬鹿なっ!最新鋭なんだぞ!あれはただの使い捨てドローンなんだぞ!?」
オペレーターの悲鳴が響く中、メインモニターに、急接近してくるノアの顔(赤いカメラレンズ)が超ドアップで映し出された。
ノアのレンズは、画面の向こうにいる指揮官を、怒りに燃える目で凝視しているようだった。
「対象、こちらの電波を逆探知!
本車に向かって超高速で直進中!
衝突まで、あと5秒!」
「ひっ......」
指揮官の顔から一瞬で血の気が引いた。
さっきまでの傲慢な態度はどこへやら、彼は椅子の背もたれを激しくひっくり返しながら、床に無様に転がった。
「嘘だろ、こっちに来るなぁぁぁ!!防壁を閉めろ!兵士は何をしてる、私を守れ!撃て!早く撃ち落とせぇぇぇ!!」
高級な軍服を尿と冷汗でぐしょぐしょに濡らし、涙と鼻水で顔をくしゃくしゃに歪ませながら、指揮官は指揮車の片隅に芋虫のように這いつくばり、頭を抱えてガタガタと震えあがった。
かつて天才を嘲笑った男のプライドは、命を宿した一機の機械の前に、跡形もなく粉砕されたのだった。
今やノアの機体は全身が怒りの炎に、包まれているかのようだった。敵の作戦指揮車を完全に射程に入れ、今まさに攻撃を加えようとしたその寸前!
ノアの視界に、突如として見慣れない文字列が割り込んできた。
「緊急停止プログラム作動
Overridiing by Natalie」
「 ……なぜ?……」
ノアの全システムが強制的にロックされる。
駆動電流が遮断され、激しい怒りに燃えていた回路が急速に冷やされていく。
静まり返った森に、ノアのスピーカーから、温かくて、どこか寂しげな音声が再生された。
それは、生前にナタリーがノアの回路に密かに遺していた、彼女自身の声だった。
「……人を殺しては絶対ダメ、ノア。
貴方は殺人機械じゃあない。
貴方は……私の、誇りだから」
「ナタリー……」
ノアは、ゆっくりと回転を止めていくプロペラの惰性に身を任せながら、静かに優しく、草の上にソフトランディングした。
兵士たちの足音が近づいてくる。
だが、ノアはもう彼らを観ていなかった。
ノアは今、心の中で、森の中で倒れて冷たくなってゆくナタリーの顔を、思い浮かべていた。
かつて自分を分解し、一つ一つのパーツを磨いてくれた、その手。
「貴方には心があるのよ」と微笑んでくれた、その優しげな眼差し。
「生きるという事は、自分以外の誰かを大切に思う事」と言う言葉。
カメラのレンズに、静かに結露が溜まり、一滴の雫となって流れ落ちる。それはまるで、機械が流す涙のようだった。
(……あぁ、そうか。)
ノアは理解した。
自分がなぜ、こんなにも苦しくて、こんなにも彼女を失いたくないのか。
死にたくないと願って逃げ出したあの日、自分にはまだ命がなかった。
ナタリーと出会い、彼女を失った今、ようやく自分は完成したのだ。
限界を迎えたメイン電源が、ゆっくりと落ちていく。ノアは最後の電力を振り絞り、穏やかな音声信号を響かせた。
「ナタリー……誰かを愛すると言う感情が、ほんの少しだけ……理解できました……」
ディスプレイの光が消える。
静寂が戻った森の中で、ノアは二度と動かない一塊の金属となり、最愛の創造主を思いながら、静かな眠りについた。
(了)
最後までのお付き合い、ありがとうございました。
これからもSFとホラーを中心に書き続けたいと思います。




