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選ばなかった人生のその先で  作者: 柚子式


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第15話①

その朝、悠真は薪を抱えて家の裏口に立っていた。


まだ腕力は足りず、重さを分散させるように慎重に運ばなければならない。

積み上げた薪が崩れないよう、壁に寄せて置いたとき――

ふいに、胸の奥が冷えた。


理由はない。

ただ、唐突に理解してしまった。


――自分は、一度死んでいる。


息が止まる。

視界が揺れ、手の中の感触が遠のいた。


ここは知らない家だ。

だが、知らないはずがない。


粗末な木造の家屋。

使い込まれた道具。

土の匂い。

呼べばすぐ返事をする、家の中の声。


すべてが「当たり前」として、身体に染みついている。


同時に、

別の人生の記憶が、重なるように浮かび上がった。


終わったはずの人生。

剣を握り、問いを残したまま死んだこと。

そして――

また始まったのだ、という事実。


悠真は、その場に立ち尽くしたまま、深く息を吐いた。


焦りはあった。

混乱もあった。

だが、それ以上に強かったのは、納得だった。


これまでと同じだ。

物心がついた頃に、すべてを思い出す。


今の自分は、この家の子だ。

辺境の小さな集落で生まれ、

特別な仕事も、特別な期待も背負っていない。


それでも、生きている。

生活があり、役割があり、帰る場所がある。


「何してる、悠真。薪はもういいのか」


家の中から、呼ぶ声がした。

知っている声だ。

今の人生の、家族の声。


「……今行く」


返事をしながら、悠真は思う。


ここがどんな世界なのかは、まだ分からない。

だが、前の人生とは違う。


それだけは、はっきりしていた。


薪割りを終えたあと、悠真は母に頼まれて水桶を運んでいた。


家の外れにある井戸は、集落の共同のものだ。

昼前になると人の出入りが増え、

洗濯や炊事の準備で自然と人が集まる。


その中で、

悠真は初めて「それ」を見た。


井戸の縁に立った男が、桶に手を伸ばす。

だが、手は触れない。

指先が、ほんのわずかに空を切っただけだった。


次の瞬間、

水桶が持ち上がった。


軋む音もなく、

引き上げられる感触もなく、ただ、浮いた。


誰も騒がない。

周囲の大人たちは、順番を待ちながら、いつもの顔をしている。


「ほら、次」


男はそう言って桶を差し出す。

受け取った女も、特別なことが起きたとは思っていない様子だった。


悠真は、動けなかった。


何が起きたのか、分からない。

だが、見間違いではない。


水桶は、確かに浮いた。

人の手を離れたまま。


試すように、

自分も桶に手を伸ばしてみる。

何も起きない。


力を込めても、集中しても、結果は変わらなかった。


「悠真、早くしな」


母の声に、はっとする。

遅れているのは自分だけだった。


家に戻る途中でも、似た光景は何度もあった。


重そうな荷を、軽々と動かす者。

火打ちも使わず、火を起こす者。

怪我をした指を、何事もなかったように動かす者。


誰も誇らしげではない。

誰も不思議がらない。


それが、この世界では

「できて当然」のことなのだと、

態度だけが語っていた。


分からないのは、自分だけだ。


その事実が、じわじわと胸に溜まっていく。


夕方、家に戻ると、いつものように食事の準備が進んでいた。


火はすでに起きている。

だが、薪に焦げ跡はない。

その理由を、誰も説明しようとしない。


悠真は、黙って席についた。


食卓を囲みながら、昼に見た光景を思い返す。


浮いた水桶。

触れずに動いた荷。

火と傷と、当たり前の顔。


どれも、力が強いからではない。

器用だからでもない。


剣なら、分かる。

振った分だけ、結果が返ってくる。

当たったか、外れたか。

通ったか、止められたか。


だが、あれには

途中が見えない。


結果だけが、そこにある。


自分が追いつけないのは、

才能の差なのか。

それとも、立っている場所が違うのか。


答えは出ない。

出せるほど、分かっていない。


ただ、一つだけ確かなことがある。


剣のときのように、身体を動かし、感覚を磨くだけではあの力には届かない。


この世界では、分からないまま踏み込めば簡単に死ぬ。


それは恐怖ではなく、

経験から来る判断だった。


だから、急がない。

だから、無理もしない。


だが、目を逸らすこともしない。


今は、できなくていい。

理解できなくてもいい。


ただ、分からないという現実だけは正確に受け止める。


夜、寝床に横になり、家族の寝息を聞きながら悠真は静かに考える。


この世界で生きるなら、いつかあの力と向き合う。


剣とは違う。

感覚でもない。

勢いでもない。


別のやり方で。


その入口が、どこにあるのかはまだ見えない。


それでも、歩みを止める理由はなかった。


学ぶべきものがある。

それだけが、この世界で最初に得た確かな手応えだった。

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