第14話⑫
戦は、終わっていた。
その事実だけが、遅れて広がっていく。
剣戟の音は消え、空には煙だけが残り、崩れた壁の向こうで人々が動き始める。
勝利を告げる鐘は鳴らなかった。誰も、それを求めていなかった。
街には、戻る者と戻れない者がいる。
焼け落ちた家屋を前に立ち尽くす者、瓦礫を片付ける者、名を呼び続ける者。
助かった命も、失われた時間も、同じ重さでそこにあった。
兵たちは武器を下ろし、列を解く。
歓声はない。代わりに、短い報告と長い沈黙が続く。
剣聖の名が口にされることはあった。
だが、称える声ではない。
噂に近い、確かめるような調子だった。
「……説明できる奴、いるのか?」
「見たって言ってるのは、前線の連中だけだろ」
声は低く、短い。
誰も大きな音を立てようとしない。
「俺は、何も見てない」
「気づいたら、命令が止まってた」
噂は、断片のまま行き交っていた。
剣を振るう姿を見た者もいれば、
ただ敵の列が崩れた瞬間だけを覚えている者もいる。
共通しているのは、
――はっきりした説明を持つ者が、誰一人いないことだった。
誰も詳細を語ろうとしない。
見た者でさえ、何を見たのか分からないままだった。
悠真は、戦場の外れに立っていた。
剣は収めている。血は拭われ、刃も欠けていない。
近づく者はいない。
遠ざかる者もいない。
視線だけが、静かに交差する。
感謝とも、畏れとも、期待ともつかない。
どれにも収まらない感情が、言葉にならずに漂っていた。
戦は終わった。
だが、何かが始まったわけでもない。
残されたのは、静けさと、
その静けさをどう扱えばいいのか分からない空気だけだった。
戦後処理は、淡々と進められていた。
捕虜の引き渡し、境界線の再確認、補給の再開。
どれも決まった手順があり、責任の所在も明確だ。
記録は整理され、数字は帳面に収まっていく。
ただ一つ、扱いが定まらないものがあった。
剣聖――その存在だ。
功績は否定しようがない。
侵略軍は壊滅し、戦争は終わった。
だが、その終わり方が、制度の想定を外れていた。
表彰の案は、すぐに出た。
だが、話はそこで止まった。
何を授与すべきなのか。
その一点で、誰も答えを出せなかった。
勲章か。
爵位か。
あるいは、それ以上の何かか。
剣で名を成した家系は、この国にも存在する。
剣聖という称号も、決して珍しいものではない。
前例がないわけではなかった。
だが、今回の功績は、そのどれにも当てはまらなかった。
一戦を制したのではない。
会戦を覆したのでもない。
敵軍そのものを、単独で撃滅させた。
それによって、戦争が終わった。
その事実だけが、帳面に残り、
どう評価すべきかという問いだけが、宙に浮いたままだった。
役職の話も出た。
だが、どの組織に属させるのかで詰まる。
前例がなかった。
一人の力で戦局を終わらせる存在を、
どの枠に当てはめればいいのか、誰にも分からない。
家の者たちも、距離を測っていた。
誇りはある。恐れもある。
だが、当主ではない以上、命じる立場ではない。
国の上層も同じだった。
必要とした。使った。
だが、常設の戦力として数える気にはなれない。
強すぎる力は、常に扱いづらい。
悠真は、そのやり取りの中心にはいない。
呼ばれれば応じるが、自ら席に着くことはない。
意見も、条件も、提示しなかった。
剣は、役割を果たした。
それ以上でも、それ以下でもない。
誰かが言葉にしようとして、やめる。
別の誰かが書類を閉じる。
決まらないまま、時間だけが過ぎていく。
剣聖という名は、
称号としては確かに存在している。
だが、社会のどこに置くべきかは、
まだ誰も決められていなかった。
会議は、結論を出さないまま終わった。
決めるべきことは多い。
だが、決められないことも、同じだけ残っていた。
戦後処理の書類は整い、境界線も引き直された。
捕虜の交換は滞りなく進み、軍は平時の編成へと戻っていく。
戦争は、制度の上では完全に終わった。
それでも、剣聖の扱いだけは空白のままだった。
悠真は、屋敷に戻っていた。
迎えはあったが、式典ではない。
歓待もなければ、叱責もない。
ただ、帰ってきた、という事実だけがあった。
庭で剣を抜くことはなかった。
だが、捨てることもしていない。
壁に掛けることも、封じることもなく、
いつもと同じ場所に、いつもと同じように置いてある。
それが今の距離感だった。
家の者たちは、以前と変わらぬ態度を保っている。
敬意はある。
だが、以前より一歩、遠い。
近づけば触れてしまうものを、
無意識に避けているようにも見えた。
国からの正式な使者は、まだ来ていない。
来ないのか、来られないのか。
誰にも分からなかった。
必要とされたのは事実だ。
だが、必要とし続けられるかどうかは、別の話になる。
悠真は、それについて考えない。
考えたところで、答えが出ないことを知っている。
剣は、戦争を終わらせた。
だが、平時において、その剣をどこに置くべきか。
それは、まだ誰の役目でもなかった。
夕方、風が庭を抜けていく。
葉が揺れ、音が消える。
剣は、そこにある。
だが、その居場所は、まだ定まっていない。
それでも、急ぐ理由はなかった。




