第14話⑪
物語は、少し前にさかのぼる。
悠真が修行に身を置いていた、その時のことだ。
侵略は、ある日突然始まったわけではなかった。
国境の緊張は、以前から続いていた。
交易路での小競り合い。関税を巡る対立。
どれも、戦争に直結するほどのものではなかった。
だが、ある朝を境に、それらは意味を失う。
国境の町が落ちた。
守備隊が壊滅したという報せが、まず噂として広がり、
やがて正式な文書として各地に届いた。
動員がかかり、評議が開かれ、同盟国へ使者が走る。
対応は早く、判断も遅れていない。
それでも、侵略軍は止まらなかった。
相手は数だけでなく、戦の進め方を知っていた。
正面衝突を避け、補給線を断ち、退路を塞ぐ。
無理をせず、勝てる形だけを積み上げていく。
戦線は、静かに後退していった。
英雄の名が語られることはなかった。
切り札の話も出ない。
この戦争は、誰か一人の力に期待して
始まったものではなかったからだ。
国は国として戦い、
軍は軍として耐える。
そうして、戦争は続いていった。
三年間、戦線は崩れ続けた。
敗走ではない。潰走でもない。
守れなくなった場所を切り捨て、守れる場所へ下がる。その繰り返しだった。
将たちは愚かではなかった。
戦力差を見誤ることもなく、無駄な突撃も行わない。
補給を優先し、兵を休ませ、撤退の道を常に確保した。
それでも、侵略軍は一歩ずつ詰めてくる。
勝てる戦いだけを選び、負ける可能性がある戦いは避ける。
夜襲は少なく、奇策も使わない。
ただ、確実に削り、確実に前へ進む。
国境の砦が落ち、次に街が落ちた。
街が落ちるたび、人が減る。
人が減るたび、守れる線は短くなる。
援軍は来た。
同盟も履行された。
だが、戦力差は埋まらなかった。
来る兵より、失われる兵のほうが多い。
名のある将も、次々と姿を消した。
死んだ者もいれば、二度と剣を取れなくなった者もいる。
それでも、軍は踏みとどまった。
理由は単純だった。
退く場所が、もうない。
首都を背にした最終防衛線が築かれる。
堀を掘り、壁を補強し、ありったけの兵を集める。
勝つためではない。
時間を稼ぐためでもない。
ここを越えられれば、すべてが終わる。
だから、ここで止める。
その覚悟だけで、剣を握る者たちが並んでいた。
剣聖の名を口にする者はいなかった。
期待していなかったわけではない。
だが、期待は戦力にならない。
戦争は、誰かが来ることを前提にしてはいけない。
この三年で、皆がそれを学んでいた。
【侵略軍兵士視点】
号令は、まだ下っていなかった。
前線は整い、兵の間に乱れはない。補給も十分で、士気も高い。
ここまで押し切ってきた戦いだ。最終防衛線を越えれば、首都は落ちる。
その確信が、陣全体を支配していた。
だからこそ、異変は理解できなかった。
前線右翼――そこにいたはずの部隊が、突然「欠けた」。
爆音はない。衝撃もない。
ただ、隊列が繋がっていた場所に、空白が生まれた。
「……は?」
誰かが声を漏らした直後、隣の隊列が崩れる。
兵が倒れるのではない。順番に、消えていく。
剣で斬られた、という認識は遅れてやってきた。
だが、剣を見た者はいない。
気づけば、指揮官が倒れている。
その背後で指示を待っていた副官が倒れ、
命令を伝えようと走り出した伝令が、途中で地に伏す。
命令が、届かなくなっていく。
恐怖は遅れて広がった。
何が起きているのか分からないまま、機能だけが失われていく。
撤退を選ぼうとした。
だが、撤退命令が出ない。
出すべき者が、もういない。
誰かが「伏せろ」と叫ぶ。
だが、伏せたところで意味はなかった。
戦場にあるのは、音のない破壊だ。
見えない刃が、役割だけを正確に刈り取っていく。
これは戦闘ではない。
戦争ですらない。
処理されている。
理解した瞬間、剣を握る理由が失われた。
武器は、ただの重りになった。
【首都防衛兵士視点】
最終防衛線に並んだ兵たちは、城壁を背に立っていた。
盾は傷だらけで、剣も欠けている。
ここまで三年、退きながら戦い続けてきた結果だ。
勝てるとは思っていない。
それでも、逃げる理由もなかった。
号令を待つ、その一瞬――
敵陣の一角が、歪んだ。
崩れたのではない。
押し返されたのでもない。
削り取られた。
次の瞬間、風が巻き起こり、砂が舞う。
音は遅れて届く。
理解より先に、敵の隊列に穴が開いていく。
誰かがいる。
それだけは分かる。
だが、その動きは速さでは説明できない。
剣を振る動作も、踏み込みも見えない。
見えるのは、結果だけだ。
敵将が倒れ、
それを支えていた者が倒れ、
指示を出そうとした者が、次々に沈黙する。
戦場の中心が、消えていく。
気づいたとき、防衛軍の誰一人として前進していなかった。
押し返してすらいない。
それでも、戦線は静かに終わっていく。
敵兵たちは立ち尽くし、
やがて、剣を落とした。
追撃の声は上がらない。
勝鬨もない。
ただ、終わった。
戦場には、壊滅した侵略軍と、
何が起きたのか理解できない沈黙だけが残った。
後に、誰かが言った。
「我々が勝ったんじゃない」
「……アレが、終わらせたんだ」
その言葉は、記録に残らなかった。
だが、その場にいた者の記憶から、消えることもなかった。




