表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
選ばなかった人生のその先で  作者: 柚子式


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

31/38

第14話⑨

継承の場は、静かだった。


広間に並ぶ者たちの視線は揃っているが、そこに期待はない。儀式は何度も見てきた。

勝敗が揺らいだことも、波乱が起きたこともない。

今回も同じ――そう信じて疑わない空気が、最初から満ちていた。


当主の座に就く条件は、すでに満たされている。

六ノ式に至った時点で、継承は確定していた。


だからこれは、確認だ。

形を整えるための一手順にすぎない。


家老の一人が、短く告げる。

「――始める」


誰も、止めようとしない。

誰も、問いを挟まない。


父は前へ出た。剣を手にする姿に迷いはないが、鋭さは抑えられている。

勝つためではない。役目を終えるための構えだった。


悠真は、少し距離を取って立つ。

構えない。

剣を抜く気配もない。


それを見て、誰かが内心で思った。

――若い。

――慎重すぎる。

――儀式に慣れていない。


そういう評価が、自然に浮かぶ場だった。


父は何も言わない。

問いもしない。


この家では、剣がすべてを語る。

だから、言葉はいらない。


勝敗は決まっている。

そう思われたまま、継承の対決は始まろうとしていた。


合図はなかった。


父が一歩、踏み出す。

八ノ式――完成度の高い型だった。長年、磨き続けてきた剣だと一目で分かる。迷いも、遅れもない。


それでも、悠真は動かない。


構えない。

間合いを詰めない。

剣を抜く気配すら見せない。


次の瞬間、父の剣が走った。


――はずだった。


音がしなかった。

剣がぶつかる音も、風を裂く音もない。


ただ、父の動きが止まった。


一拍遅れて、広間の空気が揺れる。

誰かが瞬きをした。


父は、その場に立ったまま、剣を落とした。

床に触れる音だけが、やけに大きく響く。


何が起きたのか、すぐに理解できた者はいない。


悠真は、いつの間にか父の懐に立っていた。

剣は、抜かれている。


だが、振られた様子はない。

型も、軌道も、見えなかった。


父は、数呼吸置いてから、自分の身体を見下ろす。

傷はない。血も出ていない。


それでも――

剣を続けることができない。


力が抜けたわけではない。

恐怖でもない。


ただ、終わっていた。


「……そうか」


父は、静かに息を吐いた。

自分が負けたことを、ようやく理解する。


十ノ式。


技ではない。

振るった結果ですらない。


剣と人の区別が消えた、その一瞬。

それだけで、勝敗は決していた。


広間にいた者たちは、誰一人、声を出せなかった。


説明できる者がいなかった。

再現できる者もいなかった。


ただ一つ、全員が同じ事実を理解していた。


――剣聖は、ここに立っていない。


沈黙が、広間を満たした。


誰も動かない。

誰も、次の言葉を探さない。


倒れ伏す者はいない。

血も流れていない。

だが、勝敗は疑いようがなかった。


父は、ゆっくりと膝をつく。

礼ではない。敗北を示す形でもない。


ただ、剣を置いた。


その動作だけで、すべてが終わったと分かる。


家老の一人が、口を開きかけて――言葉を失う。

どう呼べばいいのか、分からなかった。


剣聖。

その称号は、ここにある。

だが、それを支えていた意味が、崩れている。


父は、顔を上げ、悠真を見る。

そこに悔恨はない。安堵とも違う。


長い間、胸に引っかかっていたものが、静かに外れていた。


「……受け取れ」


短い言葉だった。

称号を渡すための儀礼も、形式も続かない。


剣は、もう証明してしまっている。


悠真は一歩下がり、剣を収める。

受け取ったのは、名でも座でもない。


この家が、剣をどう扱ってきたか。

どこまでが人で、どこからが剣か。


それらすべてを、越えたという事実だけだった。


広間の者たちは、視線を落とす。

畏怖ではない。尊敬とも違う。


理解したのだ。

自分たちが立っている場所が、変わったことを。


この先、剣聖とは何を指すのか。

誰も、答えを持たない。


だが、少なくとも一つだけは確かだった。


ここにいるのは、

剣聖の当主ではない。


剣という生き方を、終えた者だ。


悠真は、広間を見渡し、何も言わない。

言葉は、もう必要なかった。


剣の人生は、ここで区切られた。


そして――

人としての人生が、静かに続いていく。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ