第13話⑥
朝の街道は、穏やかだった。
悠真は荷馬車とすれ違いながら、門へ向かう。空は高く、風も静かだ。
人々の表情に緊張はない。
いつも通りの一日が始まろうとしているだけだった。
門の前では、数人の住民が集まっていた。悠真の姿を見つけると、ほっとしたように息を吐く。
「来てくれたんですね」
「ええ。《一断》が来たなら、もう安心だ」
名で呼ばれることは、ほとんどなくなった。
それに違和感を覚えることも、もうない。
「状況は?」
「街道沿いで揉め事があっただけです。もう収まっています」
「念のため、見ておいてほしいと」
悠真は頷き、街の中へ入る。
人の流れは正常だ。
混乱もない。
被害らしい被害も見当たらない。
「大丈夫だな」
その判断に、誰も異を唱えなかった。
悠真は一度だけ剣に手を触れ、それから歩き出す。
敵がいれば斬る。
問題があれば終わらせる。
それができると、疑ったことはない。
街道の外れで、小競り合いが起きていた。
逃げ遅れた盗賊が数人、最後の抵抗をしているだけだった。
周囲の者たちは距離を取り、悠真の動きを待っている。
「下がっていろ」
短い指示で十分だった。
悠真が前に出た瞬間、場の空気が切り替わる。
悠真は間合いに入った瞬間、踏み込みの速度を上げた。
一人目が倒れるより早く、二人目の位置を捉える。
剣先が返り、刃が走る。
地面に影が落ちる前に、戦いは終わっていた。
「……は?」
悠真はすでに体の向きを変えていた。
逃げようとする背中。
距離は三歩。十分だ。
一歩。
二歩。
三歩目で、剣が閃く。
倒れる音は一つだけだった。
「動くな」
低い声が、場を縛る。
その一言で、誰もが足を止めた。
悠真は剣を下ろさない。
周囲を一巡し、呼吸の乱れすらないことを確認する。
敵意は消えている。残っているのは、処理された結果だけだ。
「……終わりか」
誰かが、確認するように呟いた。
悠真は短く頷く。
「終わりだ」
それ以上の説明はなかった。
誰も、それを求めなかった。
縛る者が動き出し、倒れた者を運ぶ準備が始まる。
その間も、悠真は剣を収めず、背中を預けない。
必要な時間だけ、立ち続ける。
それが終われば、次へ行く。
戦いは、そういうものだった。
一太刀。
男は地に伏す。
続けて、もう一人。
逃げようとした背中に回り込み、また一太刀。
戦いは、あっけなく終わった。
「……すごい」
「本当に、一瞬だな」
感嘆の声が上がる。
悠真は剣を収め、倒れた者たちを一瞥した。
すでに、動く者はいない。
それ以上を確かめる必要もなかった。
悠真は周囲を見回す。
街道は無事だ。
建物にも被害はない。
人も、誰一人傷ついていない。
――完了。
それだけのことだった。
「助かりました」
「これで、しばらくは大丈夫ですね」
悠真は軽く頷き、背を向ける。
やるべきことは、すべて終わっている。
今日もまた、何事もなく終わる。
そう思うだけの、十分な理由があった。
悠真は街へ戻る道を歩きながら、次の依頼のことを考え始めていた。
街は静かだった。
混乱は収まり、人の流れも落ち着いている。
倒すべきものは倒した。守るべきものも守った。
――終わった。
そう判断するのに、迷いはなかった。
その瞬間だった。
空が、暗くなった。
雲ではない。夕暮れでもない。
まるで光そのものが削り取られたかのように、空が急速に色を失っていく。
青が消え、灰が消え、やがて――黒だけが残った。
「……?」
悠真が空を仰いだ、その足元で、地面が鳴った。
低く、重い音。
次の瞬間、大地が裂けた。
一直線ではない。逃げ道を選ぶように、建物の下を縫うように、無数の亀裂が走る。
舗道が割れ、壁が崩れ、悲鳴が街に溢れた。
「離れろ!」
悠真は叫び、走った。
剣を抜く意味はない。それでも体は動く。
人を掴み、突き飛ばし、瓦礫から引き剥がす。
だが――
裂け目の向こう側が、歪んだ。
空間が、沈み込む。
吸い寄せられるように、建物が傾き、人が宙に浮く。
「な……っ」
悠真は踏ん張る。地面に剣を突き立て、体を支える。
それでも、力が抗えない。
街そのものが、空へ引きずり上げられていく。
叫び声が、途中で途切れた。
人も、瓦礫も、家も、まとめて暗黒の中心へと吸い込まれていく。
ブラックホールのような、底の見えない闇。
悠真は歯を食いしばり、剣を引き抜いた。
「……くそっ」
斬る相手がいない。
剣を振るっても、届くものがない。
足元が崩れ、体が浮いた。
視界が回転する中で、悠真は見た。
暗黒の中心。
すべてを飲み込むその奥に――**人の形をした“何か”**が立っていた。
全身は、完全な黒。
輪郭すら曖昧で、まるで深淵が人の形を取ったかのようだった。
だが、目だけは違った。
赤く、爛々と光っている。
吸い込まれそうな闇の中で、その視線だけが、はっきりと悠真を捉えていた。
「……お前……」
声は、闇に飲まれていく。
返事はない。ただ、その存在は、確かに“見ていた”。
世界が、終わっていく。
街が消え、空が潰れ、大地が引き裂かれる。
悠真の体も、抗いきれずに引きずられていく。
剣を握る手に、力は残っている。
だが、この終わりに、振るう意味はなかった。
赤い目が、近づく。
そして――
闇が、すべてを覆った。




