第13話②
剣を振るうという行為が、これほどまでに単純で、同時に過酷なものだとは思っていなかった。
構えは一つ。
動きも一つ。
覚える順序も、複雑ではない。
理解だけなら、すぐに追いつく。
だが、身体は別だった。
剣を振り下ろすたびに、腕が遅れる。
重心が崩れ、足が踏ん張りきれない。
狙った軌道から、必ず僅かにずれる。
その“僅か”が、致命的だ。
刃が通るべき線と、実際に描かれる線の差。
それは、紙一枚ほどしかない。
実戦ではその差が生と死を分ける。
汗が落ち、視界が揺れる。
握力が先に尽き、柄が滑る。
何度も剣を取り落とした。
動きを止め、呼吸を整える。
頭の中では、正解が分かっている。
次にどう動けばいいかも、
どこで力を入れるべきかも、
どこで抜くべきかも、理解している。
それでも、身体は従わない。
この世界で育った身体は、
剣を振るために作られていない。
畑を耕し、物を運び、長く働くための身体だ。
剣の動きは、短く、鋭く、無駄がない。
それは、別の使い方を要求してくる。
悠真は、自分が特別ではないことを理解した。
転生を重ねた記憶があっても、才能が生えるわけではない。
強さは、知っていることではなくできるようになることだ。
剣を握り直す。
腕は重く、
足は軋み、
息は荒い。
それでも、止めない。
ここで折れるなら、この剣は最初から意味を持たない。
悠真は、何度も同じ動きを繰り返した。
失敗を積み上げながら、
身体が、わずかに変わっていくのを待つ。
この修行は、才能を試すものではない。
残るかどうかを試している。
修行の内容は、拍子抜けするほど地味だった。
構えは変わらない。
踏み込みも、振り下ろしも同じ。
だが、剣士は繰り返し言う。
「外すな」
それだけだ。
「当てればいいわけじゃない。斬れ」
藁人形が立てられた。
人の形をしているが、顔は描かれていない。
剣士は指で、首の付け根、脇、股の内側を示す。
「ここを外せば生き残る」
淡々とした声だった。
「生き残った相手は次にお前を殺す」
悠真は剣を握る。
藁人形は動かない。
それでも、簡単ではない。
狙う位置は分かっている。
距離も、角度も、頭では理解している。
だが、身体は迷う。
振り下ろした刃が、僅かに逸れる。
藁の肩を裂くだけで止まった。
「失敗」
剣士は短く言った。
「次」
何度も繰り返す。
剣士は修正だけを与える。
腰の位置。
視線の向き。
踏み込みの深さ。
「一撃だ」
剣士は言う。
「二度振るな。長く戦うな」
英雄の剣は、
勝つための剣ではない。
終わらせるための剣だ。
藁人形が次々に替えられる。
悠真の手の皮が剥け、血が滲む。
それでも、止まらない。
ある瞬間、剣の重さが変わった。
正確には、通り道が定まった。
踏み込み、刃が落ち、藁が裂ける。
首の付け根が、深く断たれた。
剣士は、何も言わない。
ただ、次の人形を立てる。
「今のは?」
悠真が、息を整えながら聞いた。
「それでいい」
それだけだった。
悠真は理解する。
この剣は、人を殺すために十分な形になり始めている。
それは、喜びではない。
誇りでもない。
ただ、現実だった。
修行は、終わらなかった。
同じ構え。
同じ踏み込み。
同じ軌道。
それを、何度も何度も繰り返す。
日は巡り、季節が変わる。
朝の空気が冷たくなり、やがて湿り気を帯び、再び乾く。
手の皮は硬くなり、剣を握っても血は滲まなくなった。
だが、油断すればすぐに裂ける。
身体は、少しずつ変わっていく。
筋肉がついたというより、余分な動きが削られていった。
剣士は、相変わらず多くを語らない。
修正は最小限。
止める時だけ止める。
ある日、村外れの林で害獣が出た。
以前なら、騒ぎになっていたはずの出来事だ。
今は、剣士が頷くだけで済む。
悠真は前に出た。
距離を測る。
風向き。
地面の硬さ。
思考は短く、判断は迷わない。
一歩。
刃が走る。
獣は、声を上げる間もなく崩れ落ちた。
血が土に染み込み、動かなくなる。
悠真は剣を下ろす。
呼吸は乱れていない。
剣士が近づき、確認する。
「通ったな」
それだけだった。
達成感は、まだ薄い。
だが、確信はある。
ここに至るまでに、時間がかかっている。
一日や二日ではない。
数え切れない反復と、積み重ねた失敗の上に今がある。
それでも、修行は終わらない。
剣士は背を向け、歩き出す。
「続けるぞ」
悠真は頷き、剣を構え直した。
自分は、確かに強くなっている。
だが、英雄にはまだ遠い。
この剣は、ようやく“通る”ようになっただけだ。




