第13話①
目を覚ました瞬間、悠真は理解した。
空気の匂い、天井の高さ、朝の静けさ――すべてが、知っている。
同じ世界だ。
同じ村で、同じ時間が流れている。
胸の奥に、冷たい感触が残っていた。
剣を取らなかった人生の終わり。
力の前に立ち尽くし、何もできなかった記憶。
あれは恐怖ではない。
逃げでもない。
ただ、無力だったという事実だ。
身体を起こす。
動きは軽い。
この世界で育ってきた身体は、すでに準備ができている。
違うのは、意識だけだった。
今回は、迷わない。
理由を探す必要もない。
守れなかったものがある。
変えられなかった現実がある。
その結果が、どれほど重いかを、すでに知っている。
前回と同じ時間軸。
同じ巡回。
同じ滞在。
同じ選択肢が、もう一度だけ用意されている。
違うのは、自分だ。
剣を取ることは、救いではない。
英雄になれる保証もない。
それでも、何もできない場所には戻らない。
悠真は立ち上がり、外の光を受けた。
朝は前回と変わらず穏やかだ。
だが、この一日は、確実に違う方向へ進む。
その確信だけが、静かに胸にあった。
村に剣士が来た。理由や目的など知る必要はなかった。
村に剣士が滞在しているあいだ、家の空気は落ち着かなかった。
父も母も口数は少ない。
話題が剣士に触れるたび、視線が一瞬だけ悠真に向く。
期待ではない。
可能性を測る目だ。
「……あの人に、会ってみるか」
父が、そう切り出した。
言葉は慎重だった。
「年の割に、物分かりがいい。要領も悪くない」
母は反対しなかった。
不安がないわけではないが、現実を知っている。
このまま村に残れば、畑を継ぎ生き延びるだけの人生になる。
悪くはない。
守れない場面が来ることももう分かっている。
剣士は、村外れで装備の手入れをしていた。
無駄のない動き。
それだけで、力量が伝わってくる。
「弟子にしてほしい」
悠真は、自分の言葉でそう告げた。
剣士はすぐには答えない。
視線を上げ、悠真を見た。
値踏みではない。
かといって、同情でもない。
「剣は、人を殺すためのものだ」
淡々とした声だった。
「守るために使う? 結果はそう見えるかもしれん。だが、過程は違う」
剣士は立ち上がる。
「斬る。倒す。命を奪う。それを技術として教える」
悠真は目を逸らさない。
「義は、後から付いてくる。剣を振った理由として語られるだけだ」
剣士は続ける。
「弟子になれば、途中で投げ出すことは許さない。覚悟が足りなければ、ここで引き返せ」
逃げ道は示されている。
だからこそ、選択は重い。
悠真は一度息を整えた。
「分かっています」
言葉は短い。
「それでも、剣を学びたい」
強くなるためではない。
英雄になるためでもない。
何もできなかった側に戻らないためだ。
剣士はしばらく黙っていた。
やがて、静かに頷く。
「ならば、教える」
それ以上の言葉はなかった。
条件も、慰めも、祝福もない。
ただ、道が示された。
剣を渡されたのは、その日の夕方だった。
飾り気のない一振りだ。
刃は鈍く光り、柄には使い込まれた跡が残っている。
悠真は両手で受け取った。
思ったよりも重い。
腕の力だけでは支えきれず自然と腰が落ちる。
「持ち方を覚えろ」
剣士は短く言った。
構えの形を示し、足の位置、重心、視線の置き方を直す。
型は一つだけだった。
派手さはない。
連撃も、見栄えのする動きもない。
「最初に教えるのは、これだ」
剣士は言う。
「相手を殺す形だ」
言葉は淡々としている。
だが、曖昧さは一切なかった。
「振り回すな。当てるな。外すな」
一撃で終わらせるための構え。
急所へ届く軌道。
力を入れる瞬間は、ほんの一瞬だ。
悠真は、何度も振った。
木剣が空を切る音が、単調に続く。
腕が重くなり呼吸が乱れる。
それでも止めない。
剣士は見ているだけだった。
励ましも、叱責もない。
「覚えろ」
それだけが、指示だった。
日が沈み、周囲が暗くなっても、修行は終わらない。
汗が目に入る。
握力が落ち、柄が滑る。
それでも、剣を離さない。
この重さはただの鉄ではない。
人を斬るための道具。
命を奪うための技。
そのすべてを自分は引き受けた。
悠真は理解していた。
ここから先、剣を知らなかった頃の自分には戻れない。
力を持つということは、選択肢が増えることではない。
責任背負うことだ。
剣士は最後に言った。
「今日は、ここまでだ」
悠真は剣を下ろし、深く息を吐く。
腕は震えていた。
心は静かだった。
強くなれるかどうかは、まだ分からない。
だが、強くなる道には入った。
それだけは確かだった。




