第12話
同じ年頃の子どもたちと比べて、自分が浮いていることを、悠真は自覚していた。
走り回るよりも、先に片付けを終わらせる。
叱られる前に理由を考え、感情が動く前に状況を整理する。
それは賢さというより、癖に近い。
長く生きてきたわけではない。
ただ、何度も人生を終えてきただけだ。
大人たちは、それを言葉にしない。
だが、視線が違う。
危なっかしさを含まない目。
見守るというより、任せるという距離感。
年齢の割に、要領がいい。
物分かりがいい。
言われたことを理解するだけでなく、
言われなかったことも察する。
畑仕事でも、家の手伝いでも、一度教えられれば、次からは手順を変えない。
失敗を避ける動き方を、最初から選んでいる。
それが特別だとは思っていない。
むしろ、普通であることの延長だ。
だが、この世界ではそれは少しだけ目立つ。
年齢に合わない落ち着きは期待を生む。
「この子なら」という空気が、知らないうちに積み上がっていく。
悠真は、それを感じ取りながらも自分から前に出ることはしなかった。
期待は役割を連れてくる。
役割は選択を迫る。
まだ、その段階ではない。
今はただ、与えられた日常を淡々とこなす。
剣も、魔法も、まだ自分の世界にはない。
それらが遠くない場所にあることだけは薄く予感として漂っていた。
ある日村に剣士がやってきた。
理由はわからない。知らされてない。ただ、ここにしばらく滞在するという。
剣士が村に滞在しているあいだ空気が変わった。
畑の作業は続いている。
家畜も、収穫も、昨日と同じだ。
村人の視線だけが少しだけ遠くを向く。
悠真もその変化を感じ取っていた。
剣士は噂どおりの人物だった。
背は高く、姿勢が崩れない。
武具は手入れが行き届いており威圧よりも静けさが先に立つ。
村人たちは、距離を保ちながら敬意を払う。
英雄と呼ばれる理由がそこにあった。
「強いだけじゃない」
誰かが、そう言った。
「義を通す人だ」
別の誰かが続ける。
戦った話よりも守った話が多い。
殺した数ではなく止めた争いの話が語られる。
悠真は、その言葉を黙って聞いていた。
英雄という存在が、力と同時に“正しさ”を背負わされるものだということを自然と理解する。
だからこそ、親は願い出た。
「この子は、要領がいい」
「年の割に、物分かりがいい」
才能の話は出なかった。
剣を振ったことも、魔法の兆しもない。
それでも、この子なら――
という期待だけが、積み重なっていく。
剣士は、即答しなかった。
悠真を見る。
値踏みではない。
試すようでもない。
「決めるのは、本人だ」
その一言で、場は静まった。
逃げ道も、背中を押す言葉もない。
ただ、選択だけが置かれる。
悠真は、その重さを正確に量っていた。
剣を取れば、今の生活は終わる。
家族と畑から離れ、人を斬る可能性を引き受ける。
取らなければ何も変わらない。
危険は減り責任も今のままだ。
どちらも理解できる。
だからこそ、迷わない。
悠真は首を振った。
剣士はそれ以上何も言わない。
理由を聞くことも、説得することもない。
英雄は選択を尊重する。
その姿勢が、この人物を英雄たらしめているのだと、
悠真は感じ取った。
だが同時に、その距離感が示しているものにも気づき始めていた。
英雄は、力の外にいる人間を守り続けられる存在ではない。
それは、力を持たない側が引き受ける現実だ。
剣士が去る日が近づいていた。
何も起きていない。
だが、何かが確実に動き始めている。
それは、前触れもなく起きた。
剣士が村を去ってから、数日後のことだ。
畑に出ていた悠真は、遠くで立ち上る煙を見た。
一つではない。
村の外れ、街道沿い、森の縁。
風に乗って、鉄の匂いが届く。
遅れて、悲鳴が聞こえた。
走った。
理由は考えなかった。
だが、辿り着いた場所で見たものは、
これまでの人生で想定してきたどの「危険」とも違っていた。
武装した集団。
統制された動き。
個々の強さではなく、
力として完成された存在。
村人が抵抗する余地はない。
鍬も、棒も、意味を持たない。
誰かが前に出て、倒れる。
叫び声が、途中で途切れる。
悠真は、足を止めた。
逃げる判断は、正しい。
下がれば、生き延びる可能性はある。
だが、視線の先で、守るべきものが崩れていく。
何もできない。
剣がないからではない。
勇気がないからでもない。
力が、決定的に足りない。
その事実が、容赦なく突きつけられる。
胸の奥に、遅れて感情が湧いた。
――あの時、もし。
もし、剣を取っていたら。
もし、あの英雄のもとに立っていたら。
助けられたかは分からない。
勝てたとも思わない。
それでも――
何かは、できたかもしれない。
その「かもしれない」が今は何より重かった。
後悔は、静かに、しかし確実に広がる。
選ばなかった選択が初めて現実として牙を剥いた。
背後から衝撃が来る。
避ける動きは遅れた。
いや、避けられる距離ではなかった。
地面に倒れた瞬間、視界の端に空が映る。
青い。
どうしようもなく、穏やかだ。
剣を取らなかったことは逃げではなかった。
そう、今でも思う。
だが――
何もできなかった事実だけは、消えなかった。
力の差は選択の余地を奪う。
絶対的な力の前では正しさも覚悟も等しく無力だ。
息が浅くなる。
最後に浮かんだのは恐怖ではなく後悔だった。
守れなかった。
変えられなかった。
次があることをもう知っている。
だからこそ、この無力を無駄にはしない。
そう思ったところで意識は途切れた。




