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第11話 後編

父の背中が、いつの間にか小さく見えるようになっていた。


畑に並ぶ畝の間を歩く速度が落ち、

鍬を振るう回数も減っている。

無理をすれば倒れることはないが、

一日をやり切る体力は、もう残っていない。


母は変わらず動いていた。

だが、その動きは「支える側」のものになっている。


悠真は、自然と前に出るようになった。

誰かに言われたわけではない。

そうしなければ、一日が回らなくなっただけだ。


畑の広さは変わらない。

土の質も、作物も、季節も同じだ。


変わったのは、役割だった。


朝、最初に外へ出るのは悠真になる。

水の量を決め、収穫の順を考え、天候を見て作業を組み立てる。


失敗すれば、その年の食い扶持が減る。

成功しても、余裕が生まれるわけではない。


それでも、誰も文句は言わなかった。



村の中で、悠真は「子ども」ではなくなっていた。

畑を持つ家の一人として、数えられている。


親の仕事を継ぐということは、技術を受け取ることではない。


責任を丸ごと引き受けることだ。


その重さは、剣や魔法とは無縁の場所にあった。

だが、確かに人生だった。


悠真は土を掴み、指の間から落とす。

この感触を、もう何年も繰り返している。


逃げる理由はない。

代わりの道も、用意されていない。

ここまで来た以上、

この人生は最後まで続く。


その事実を悠真は静かに受け入れていた。


異変は夜明け前に起きた。


家畜の鳴き声が途切れ、次いで、遠くで木が折れる音がした。

畑の外れから、土を踏み荒らす重い気配が伝わってくる。


悠真は外に出る。

月明かりの下で、畝が崩れているのが見えた。


「来たか……」


隣家の男が低く呟く。


獣――いや、村では「モンスター」と呼ばれている存在だ。

姿は暗闇に溶けているが、体の大きさだけは分かる。


誰も武器を持っていない。

持てるのは、鍬や槍の代わりになる棒切れだけだ。


「領主の使いを呼べ」


「間に合わん」


短い言葉が交わされる。

判断は早いが、選択肢は少ない。


悠真は畑の端に立ち、進路を塞ぐ。

戦うためではない。

家畜を守るためだ。


石を投げ、火を振る。

威嚇に近い行動だ。


獣は一瞬だけ足を止めたが、すぐに方向を変え、別の畑へ突進した。


悲鳴が上がる。

何かが倒れる音が続く。


やがて、獣は去った。

残ったのは、踏み荒らされた畑と、傷を負った村人だ。


「怪我は……」


悠真が声をかけると、年寄りが首を振る。


「大したことはない」


だが、血は止まっていない。

布を当てるだけの処置しかない。


数日後、その男は死んだ。

傷が原因か感染かは分からない。


医者はいない。

薬もない。


死は、珍しい出来事ではなかった。


その後も、盗賊に作物を奪われる年があり、

領主から徴発が重なる年もあった。


抵抗はできない。

剣も、力も、後ろ盾もない。


それでも、畑に出る。

作らなければ、生きられないからだ。


悠真は理解する。


この世界では戦えない者は守れない。

守れない者から失っていく。


歳を重ねるごとに朝が遅くなった。


夜明けと同時に起きていた身体が、陽が昇ってからでなければ動かなくなる。

それでも畑には出るが、鍬を振る時間は短い。


指先の感覚が鈍り土の状態を掴むまでに時間がかかる。

作物の出来を見誤ることも増えた。


やがて、畑に出ない日ができる。


代わりに、若い者が動く。

自分がかつてそうであったように。


役割は、静かに引き継がれていった。


身体の不調は、病と呼べるほど明確ではない。

ただ、回復しない。

治る兆しがない。

医者はいない。

薬もない。

身体が弱れば、それが終わりだ。

寝床で過ごす時間が増え、

外の音を聞くようになる。


畑を踏む足音。

収穫を運ぶ声。

季節の移ろい。


すべて、よく知っている音だ。


この人生で、特別な力を得ることはなかった。

剣を握ることも、魔法を使うこともない。


だが、逃げなかった。


生まれた場所で、与えられた役割を受け入れ、最後まで手放さなかった。


満足かと問われれば、首を縦には振れない。


もっと違う生き方があったのではないか、そう思うこともある。


それでも、否定はしない。


この人生は、確かに存在した。


夜、呼吸が浅くなる。

身体の重さが、徐々に薄れていく。


恐怖はなかった。

慣れた終わりだ。


次があることをもう知っている。


だが、今回は少しだけ違った。


守れなかったものの数が静かに胸に残っている。


その重みを抱えたまま、悠真は静かに目を閉じた。


農民としての人生は、畑とともに静かに終わった。

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