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第10話

目を開けた瞬間、悠真は自分の呼吸が落ち着いていることに気づいた。


慌てていない。

恐怖もない。

それが、まず奇妙だった。


天井は低く、木目の走り方に癖がある。

何度も見てきた景色だ。

見知らぬ場所ではない。


身体を起こすと、筋肉は素直に動いた。

関節の可動域も、重心の位置も、違和感がない。

この身体で、この場所を生きてきた時間がある。


――そうだ。


ここは、自分の暮らしてきた世界だ。


その理解と同時に、別の記憶が浮かび上がる。

夜空。

願い。

そして、何度も繰り返してきた人生の断片。


思考が重なり、世界が二重に見える。


これまでの人生。

現代で生きた時間。

転生を繰り返してきた自分。


それらが、今の意識に流れ込む。

混乱はなかった。

身体は落ち着いている。

呼吸も、脈拍も、乱れていない。


この世界の時間を、すでに生きてきたからだ。


床に足をつける。

冷たさの加減も分かる。

歩けば、きしむ音が鳴ることも知っている。


言葉に詰まることはない。

考えようとすれば、この世界の語彙が自然に浮かぶ。


それでも、確信する。


ここは、異世界だ。


現代ではない。

これまで転生してきた、どの世界とも違う。


だが、特別な感情は湧かなかった。

驚きよりも、理解が先に立つ。


――願いは、叶った。


その事実だけが、静かに胸に落ちる。


窓の外から差し込む光は、どこか硬い。

空の色は、記憶の中のどの空とも一致しない。


それでも、この世界で生きてきた身体は、

その違和感を日常として受け入れている。


悠真は深く息を吸い、ゆっくり吐いた。


異世界での人生は、すでに始まっていた。

そして今、そこに別の人生の記憶が重なった。


ここから先はこれまでとは違う評価軸になる。


外に出ると、朝の気配が街路に満ちていた。


行き交う人々の足取りは早い。

誰もが周囲を見ていないようで、実際には常に警戒している。

視線は合わないが、位置取りは正確だった。


悠真は、その空気に少しだけ違和感を覚える。

理由はすぐに言語化できなかった。


市場の前を通る。

売り手と買い手のやり取りは活発だが、声は低い。

笑顔は少なく、取引は短い。


「それでいい」


短い言葉で、話は終わる。


悠真は立ち止まらずに通り過ぎた。

干渉しない方が無難だと判断したからだ。


だが、次の瞬間、背後で小さな衝突音がした。

振り返ると、荷を落とした少年が立ちすくんでいる。


周囲の反応は薄い。

誰も助けに入らない。


悠真は一歩踏み出した。


「大丈夫か」


声をかけ、荷に手を伸ばす。

現代なら、自然な行動だ。

少年は一瞬、目を見開いた。

次いで、素早く荷を引き寄せる。


「触るな」


低い声だった。


周囲の空気が変わる。

視線が集まる。

敵意ではないが、警戒が強まる。


悠真は手を引っ込めた。


「悪い、手伝おうと思っただけだ」


説明は通じた。

だが、納得はされていない。


少年は無言でその場を離れた。

周囲も、何事もなかったように散る。


悠真は、胸の奥に小さな引っかかりを残した。


助ける行為そのものが、

この世界では「余計」なのかもしれない。


路地に入ると、空気が変わる。

人通りが減り、足音が響く。


悠真は歩調を落とした。

ここで慎重になる判断自体は、間違っていない。


だが、彼は立ち止まった。


後ろから足音が増えたからだ。


振り返る。

数人の影が、距離を詰めている。


悠真は、咄嗟に考える。


逃げるか。

話すか。

金を渡すか。


現代的な選択肢が、順に浮かぶ。


そして、最も穏便な手段を選んだ。


「落ち着いて話そう」


声は、冷静だった。


だが、その判断が、

この世界では遅すぎた。


距離が、一気に詰まった。


背後から回り込む気配。

正面の影が、進路を塞ぐ。


悠真は足を止めた。

逃げ道はある。だが、選ばなかった。


囲まれた人数は三人。

武器は刃物が二つ、鈍器が一つ。


――致命的ではない。


そう判断した時点で、すでに遅れていた。


「金を出せ」


声は低く、短い。

感情がない。


悠真はゆっくりと両手を上げる。


「持っている分は渡す。争う気はない」


声を荒げない。

刺激しない。


現代なら、最適解に近い対応だった。


だが、盗賊の一人が踏み出す。

躊躇はない。


交渉は、前提に含まれていなかった。


悠真が後退した瞬間、

側面から強い衝撃が走る。


視界が歪み、呼吸が止まる。


――想定外だ。


痛みよりも先に、理解が来る。


この世界では、「抵抗しない」は「危険ではない」ではない。


「抵抗しない」は、「奪っていい」という合図だ。


膝が折れる。

地面に倒れた瞬間、背中に重さが乗った。


刃が、迷いなく振り下ろされる。


防ぐ動きが遅れる。

身体が、この判断を想定していない。


意識が急速に遠のく。


視界の端で、空が揺れた。


――そうか。


最後に浮かんだのは、後悔ではなかった。


ここでは、正しさよりも「前提を知っているかどうか」がすべてだった。


自分は、この世界を理解していなかった。


異世界は、願いの答えではない。

選び直せる場所でもない。


ただ、生き残れるかどうかを常に突きつけてくる場所だ。


息が、途切れる。


短い人生だった。

だが、評価はできる。


この世界では、まだ何も分かっていなかった。


次は――

分かったうえで、生きなければならない。


そう思ったところで、意識は完全に途切れた。

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