第9話
目を覚ました瞬間、悠真は強い違和感を覚えなかった。
それ自体が、違和感だった。
天井の色、部屋の広さ、差し込む光。
どれも過不足がない。
不快でも、心地よすぎるわけでもない。
――また、始まった。
転生しているという自覚は、呼吸と同じ速さで定着する。
驚きはない。
戸惑いも、もはや薄い。
身体を起こし、室内を見回す。
最低限の家具。
使い慣れた位置に置かれた生活用品。
誰かと暮らしている気配はない。
かといって、孤独が強調されているわけでもない。
一人で完結する生活。
だが、それは久しぶりの感触ではなかった。
これまで、何度も通ってきた形だ。
違う家庭に生まれたこともある。
違う仕事に就いたこともある。
誰かと人生を共有したことも、一人で完結させたこともある。
それぞれに違いはあった。
だが、目覚めの感触は、どれも似ている。
問題は起きていない。
不幸の兆しも見えない。
それでも、胸の奥で小さな既視感が芽を出す。
――ここも、同じ輪の中だ。
まだ何も起きていない。
それなのに、すでに先が見えているような感覚。
悠真は窓の外を見る。
街は静かで、整っている。
変えようと思えば、変えられる。
選ぼうと思えば、選択肢はいくらでもある。
それを知っているからこそ、胸の奥で、言葉にならない疑問が形を取り始めていた。
悠真は、これまでとは違う選択を積み重ねていた。
仕事は、責任を一人で背負わないものを選んだ。
評価よりも、裁量よりも、生活の安定を優先した。
「無理しなくていいからな」
上司はそう言い、実際に仕事量を抑えてくれた。
「助かります」
悠真は素直に頭を下げる。
人間関係も、深入りしない。
距離を保ち、摩擦を避ける。
「飲み会、来る?」
「今日はやめときます」
「了解」
引き止められない。
それが、心地よかった。
休日は、自分のために使う。
誰かに合わせる必要もない。
散歩をし、映画を見て、食事を取る。
やりたいことだけを、やっている。
不満はなかった。
以前より、確実に楽だ。
それでも、ふとした瞬間に思う。
――この感じ、知っている。
満たされていないわけではない。
だが、胸が動くこともない。
生活は、滑らかに進む。
問題は起きない。
それなのに、日々が重なっても印象が積み上がらない。
どこかで、同じ場所を回っている。
選び直しているはずなのに、結果の感触は以前と似ている。
悠真は、その事実を否定しなかった。
否定できる材料が、どこにもなかったからだ。
日々は、問題なく流れていった。
仕事は滞らず、生活は安定している。
誰かと衝突することもなく、大きな失敗もない。
以前より、確実に楽な生き方をしている。
それは間違いない。
それでも、時間が重なるにつれ、悠真の中で一つの理解が形を持ち始めていた。
家庭を変えた。
仕事を変えた。
人間関係の距離も変えた。
選択は、確かに違っている。
人生を振り返った時に残る感触は、どれも似通っている。
満たされなかった。
かといって、不幸でもない。
違う形を選び続けてきたはずなのに、最後に立っている場所はいつも同じだ。
悠真は、ふと立ち止まった。
これは、自分の問題なのか。
努力が足りないのか。
選び方が間違っていたのか。
そうではない、と直感する。
どの人生でも、自分は最善だと思える選択をしてきた。
それでも変わらないのなら、
原因はもっと外側にある。
――この世界では、変わらない。変われない。
個人の選択でどうにかできる範囲をすでに越えている。
そんな気がする。
諦めではなかった。
冷静な結論だった。
悠真は夜空を見上げる。
街は整っている。
秩序も、ルールも、完成している。
ここでは、どれだけ形を変えても結果の質は変わらない。
ならば――
初めて、はっきりと願う。
もし、叶うのなら。
この世界ではない場所で生きてみたい。
逃げではない。
否定でもない。
ただ、変わる余地のある世界を選びたい。
その願いが胸に落ちた瞬間、周囲の音が遠ざかっていく。
だが、まだ終わらない。
ここで、この人生は閉じる。




