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第8話

目を覚ました瞬間、悠真は天井の模様に違和感を覚えた。

見慣れないはずなのに、拒否感がない。


身体は重くない。

呼吸も安定している。

転生直後に特有の、感覚のずれだけが静かに残っていた。


――また、生きている。


その認識は、思考より先に定着する。

何度も繰り返してきた切り替わりだ。


視線を動かす。

枕元には、読みかけの本。

棚には、使い込まれた日用品が並んでいる。


どれも、置かれたというより、使われ続けてきた形をしていた。


布団の幅が、少し広い。

床には、揃っていない二足分のスリッパ。

洗面台には、残量の違う二つの歯磨き粉。


生活は、すでに始まっている。

しかも、一人分ではない。


悠真はゆっくりと起き上がり、室内を見回した。

整理されすぎていない部屋。

だが、乱れてもいない。


誰かと折り合いをつけながら、時間を重ねてきた空間だと分かる。


前の人生では、役割を選んだ。

安定を積み上げた。

必要とされる立場にもなった。


それでも、満たされきらなかった。


だから今回は、少しだけ方向を変えたのだろう。


分け合えば、どうなるのか。

孤独ではなく、共有を選んだ先に、何が残るのか。


答えは、まだ見えない。

だが、この生活は、その仮説の途中にある。


朝の光が、カーテンの隙間から差し込む。

部屋は静かだが、空白ではない。


悠真は、その空気の中で息を整えた。

この人生は、すでに誰かと並走している。


生活は、音を立てずに形を持ち始めた。


朝は同じ時間帯に起き、帰宅は前後する。

鍵の音が重なり、室内に人の気配が増える。


「先に帰ってたんだ」


相手が靴を脱ぎながら言う。


「うん。今日は早かった」


短い会話が、当たり前になる。


食卓には二人分の皿が並ぶ。

特別な料理ではない。だが、量と配置が揃っている。


「これ、買ってきた」


「ありがとう」


感謝は簡単で、やり取りは軽い。

沈黙があっても、居心地は悪くならない。


休日は近所を歩く。

目的地はなく、同じ歩幅で進む。


話題が尽きても、引き返さない。

一人で過ごすより、時間が長く感じられた。


数年が過ぎる。


仕事の忙しさが増え、生活の中心が少しずつ相手に寄る。


「今日は遅くなる」


そう告げられる回数が増えた。


「分かった」


返事は変わらない。

だが、帰宅時間を気にする癖がついた。


一人で過ごす夜、部屋は広い。

照明を点けても、埋まらない場所がある。


不満ではない。

相手を責める理由もない。


それでも、予定を決める場面で、自然と譲るようになった。


「どっちでもいい」


その言葉が増える。


善意だった。

合わせることは、関係を保つための自然な選択だった。


だが、自分の希望を考える前に、相手の都合を置く。


共有しているはずの生活が、

いつの間にか、相手を軸に回り始めていた。


悠真は、それを問題だとは断定しない。

ただ、以前より静かな揺れを感じていた。


終わりは、段階を踏まずに訪れたわけではなかった。


帰宅時間がずれ、食卓を囲む回数が減る。

休日の予定は、それぞれに組まれるようになる。


どちらかが不満を口にすることはない。

責める言葉も、理由の追及もなかった。


ただ、生活の向きが少しずつ違っていった。


「少し、距離を置いたほうがいいかもしれない」


相手は静かにそう言った。


悠真は、否定しなかった。

引き止める言葉も、思いつかなかった。


共有してきた時間が、ほどける準備を終えていたことをどこかで理解していたからだ。


荷物が減り、部屋が静かになる。

二人分だった生活が、一人分に戻っていく。


一人に戻った日常は、思ったより平穏だった。


孤独がないわけではない。

耐えられないほどではない。


温度は、確かにあった。

誰かと分け合った時間は、嘘ではなかった。


それでも、満たされきらなかった理由ははっきりしている。

自分は、幸せを相手に預けすぎていた。

関係がある間は、成り立っていた。

それは自分一人では立てない形だった。


分け合うことで、満たされると思っていた。

実際、満たされた瞬間もあった。


それでも、形が変わっただけで、

根本は変わらなかった。


夜道を歩きながら、立ち止まる。


街灯の下で、これまでの人生を振り返る。


孤独ではなかった。

温かさも、確かにあった。


どの人生でも、何かを外に置いたまま生きていた。


その理解が静かに落ちた瞬間、世界の輪郭が滲む。


意識が遠くにいくのを感じていった。

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