プロローグ
激しく降る雨が、森の木々を打ち付ける。
冷たい雨は体温を奪い、緩んだ地面は足元を奪う。
魔力はほとんど底をつき、大量の血を流したことで気を抜けばすぐに意識を失うだろう。
愛用している黒い外套はすでにボロボロで、血の気のない肌が見え隠れしている。
大事そうにエイナという銘の腰の剣を握って走る。
走る、走る。
誰かの怒号とグショグショの地面を叩く足音だけが響く。
いつまで逃げ続ければいのか、先は見えない。
急に、雨が止んだ。
地面もぬかるんでおらず、まるで急に転移したような…そんな感覚だった。
しかし、転移先は相変わらず森の中だった。
ただ違うことは、空気が澄んでいること。
「おまえは食べていい人間ってなのかー?」
…そして何故か金髪の幼女がいること。
「食べる…か。殺意がある、ということでいいな?」
「そーなのかー?わかんないけど…いただきまーす!」
しかもその幼女、闇を纏って突撃してきた。『食べる』発言といい、やはり見た目通りの幼女ではなさそうだ。
俺からすれば動きは緩慢。闇によって視認性が下がっているとはいえ、人型の構造上、鳩尾に当たる部分…ここだ。
エイナの柄の部分を使って幼女の鳩尾を的確に捉える。幼女は『ぐえっ』という声を出してぶっ飛んでいった。体重が軽いのだから、それはそれはよく吹っ飛んだことだろう。
遠くの方で、先ほどの幼女と思われる人影が木々の間から飛び立つのが見えた。魔力を迂闊に消費できない以上、撃ち落とすこともできないため見逃すしかないだろう。
おそらく別の地に転移したのだろうが、結局こちらでも追われることになるのかとため息を吐く。すでに散々、追い回されたというのに。体はとっくに限界だ。何処かで体を休める必要があるだろう。
少し歩いているとちょうどよさそうな木の洞を見つけ、そこで体を休めようと近づく。その時、背後から色とりどりのエネルギー弾が飛んできた。
「っ!」
俺は体を捻ってそのままエネルギー弾の隙間を掻い潜る。いくつかは避けきれなかったため、鞘に納めたままのエイナで薙ぎ払った。エネルギー弾の飛んできた方を見やる。紅白の巫女装束を身に纏う少女がそこに立っていた。お祓い棒と符をこちらに向け、名乗った。
「私は博麗霊夢。ルーミアから話は聞かせてもらったわ。あんたを危険因子と判断し、排除させてもらうわ!」
視界を埋め尽くすほどのエネルギー弾。避けきれるはずもない。木々を上手く盾にしながら、エイナでエネルギー弾を薙ぎ払い、霊夢と名乗った少女に接近する。一時的に意識を失わせることを目的として脇腹を狙って蹴りを放つ。しかし、それは見えない障壁によって阻まれた。
「…結界か」
「可憐な女の子を蹴り飛ばそうだなんて…随分と野蛮ね!」
「悪いが今の俺にそんな細かいことを気にする余裕はない」
すでに視界はぼやけ、音と匂い、肌で感じる気配に頼って戦っているのだ。女だからと気を配る余裕なんてない。そして、あの結界…見てからの発動だな。つまりは目で追えなければ意味がない。十分、勝算はある。
飛来するエネルギー弾をエイナで受け流し、隙間を縫うようにして移動していく。その過程で小細工を仕掛け、タイミングを合わせてエネルギー弾の隙間に入り込み、霊夢の真横をすり抜ける。結界に沿うようにして動き、先ほど仕掛けた小細工に足をかける。ワイヤーだ。
ワイヤーを蹴って別のワイヤーへ、そこからさらに別のワイヤー、次は木の枝と、不規則に跳ね回るようにして動く。俺がやったとわからないように小さな石を投げる。それは結界にぶつかって落ちた。結界は平面で展開されており、そこにどのような角度であるかわかれば、結界の中に入り込むことは簡単だ。
「っ!?まずっ」
「一歩、遅い」
俺はエイナを振り抜き、霊夢の右膝の骨を破壊した。
「ーーーーーーっ!ーーっぁ!」
声にならない悲鳴をあげる。右の膝は不自然な方向に曲がり、痛みによってエネルギー弾の攻撃も止まった。俺はその隙に走って距離を取る。すると、先ほどとは明らかに異なるサイズのエネルギー弾が飛んできた。
「『夢想…封印』っ!」
俺は木々を盾にしながら横に逸れる。しかし、エネルギー弾は追尾してくる。どうやらそういうタイプの弾のようだ。だが、追尾タイプの弾の処理は簡単だ。俺はいきなり方向転換し…弾同士を無理矢理衝突させる
凄まじい衝撃を撒き散らしながらすべてのエネルギー弾が弾けて消滅した。俺はそれを確認し、木の影に隠れながら走ることで霊夢からの追撃がないようにしてその場から離れる。しかし、ここで俺を逃がしてくれるほど現実は甘くなかった。
「『マスタースパーク』!」
「っっ!?」
極太の光線が俺を襲った。ギリギリで反応してエイナを盾にするが、剣のサイズ的に体の殆どを守ることはできない。全身を凄まじい衝撃が襲い、すでに限界を超えている肉体はさらに悲鳴をあげる。
なんとか光線を耐えきるが、全身から白い煙が上がり、体を上手く動かせない状態になっていた。だが、こんなところでエイナを持ったままやられるわけにもいかない。
「うおっ!?あっぶな!」
真横にあった木の幹の一部を無理矢理引きちぎり、手の中ですり潰すように粉々にし、それを光線が飛んできた方へ投げた。細かい木の破片も高速で飛んでこれば立派な凶器だ。それを目隠しにして、森の木々に紛れて走る。直後、側面から朱と銀の光が見えた。朱は回避し、銀はエイナてわ受け止め、持ち主であろう気配を蹴り飛ばす。
「かはっ…」
「妖夢!こんにゃろ…『スターダストレヴァリエ』!」
「『不夜城レッド』!」
飛来する攻撃をエイナを上手く盾にしてなんとか防ぎきる。気配から位置を予測し、俺がちょうど木の影に入った瞬間に立ち止まる。
「っ!消え」
「遅い」
先ほどの朱の持ち主の鳩尾をエイナの柄で殴って距離を取る。朱の持ち主が吹き飛んでいる途中で不自然に気配を消したが、それを無視してまだ反応しきれていない若干宙に浮いている光線を撃ってきたやつには脚を目掛けて蹴りをお見舞いする。
「ぐっ…うおっ!?」
地面を掴んでぶつけることで一時的な目潰しとして使用し、そのまま森の闇に紛れて気配を消す。しかし、途中で急に体の自由が効かなくなった。木の隙間から漏れる月明かりが僅かに反射して一瞬だけ見えた。
「糸…」
「正解よ」
また新手…面倒な。
「さて…変に動くと自分の力によって首が飛ぶから、動かないことをおすすめするわ。大人しく降参しなさい」
「そういうのは性に合わん」
俺は少女?からの忠告を完全に無視し、糸が食い込むのも気にせず無理矢理右手を動かす。体のあちこちから血が流れ出るが、それは気にしない。尽きかけている魔力を無理矢理引き出し渾身の力を込めていく。
「っ!?貴方、死ぬ気!?」
「俺は火が、得意でね…命の保証はしない」
魔力を固め、一つの魔法として発動させる。
「…死んでくれるなよ。第八階梯、《紅蓮烈火》!」
俺を起点とし、灼熱の炎が巻き起こる。その熱は俺に纏わりついていた糸を一瞬にして焼き払い、そのまま少女を巻き込まんと迫った…が。
「アリスゥゥ!」
先ほど目潰ししたやつが飛来し、少女を掴んだような音がした。それと同時に、一瞬だけジュッ、という肉の焼ける嫌な音がした。
「っーーー!?ぅ、ぐっ!」
「魔理沙!」
「あの、野郎は…」
「…ごめんなさい、見失ったわ」
とてつもない炎が巻き起こったその中心地となった男は、すでにその場から姿を消していた。
**********
「ハッ、ハッ、コフッ…ゲホッ」
もうまともに動けない。あまりにも血を流しすぎたし、魔力は完全に尽きた。
「…クソッたれ…!」
俺はお目当ての木を見つけると、その木に体を委ねる。中に、大きめの空洞がある木だ。
俺はエイナを鞘に入れたまま、木の空洞に収めた。穴を自分の体で塞ぐようにして隠し、体の動きを止めた。
俺は最早死ぬ以外の未来はないだろう。ここが何処かはわからないが、命を脅かされた以上、味方する陣営というわけでもないからだ。いずれは見つかり、殺されるだろう。
その時、目の前に裂け目が現れた。わかりやすく言えば、空間の裂け目というやつだ。裂け目が開くと、幾つもの目がギョロギョロと動くのが見え、大変気味が悪く、悪趣味な装飾だと俺は思った。
その裂け目から、俺が強者であると確信するレベルの力を持った女が現れた。何も知らない者が見れば妖艶な美女にしか見えないだろうが、俺は奥に隠された気色悪さを感じ取った。
「名乗りなさい。と言っても、これから死ぬ貴方には不要かもしれないけれど」
俺は今にも口から溢れ出しそうな血液を飲み込み、無理矢理言葉を吐き出す。火事場の馬鹿力というやつなのか、想像以上にハッキリとした声が出た。
「イル・クロスハート、だ」
「そう。私は八雲紫。幻想郷の賢者として、危険分子である貴方を排除させてもらうわ。何か言い残すことはあるかしら?聞いてあげないこともないけど」
「…《静寂》」
紫の言葉の後、背中を殴るようにして叩くような衝撃を感じ、紫にバレないよう小声で《静寂》の魔法を使用して木の空洞の中から生じる音を隠す。衝撃を堪えながら、俺は声を発した。
「二つ、願おう」
「…へえ、この状況で殺さないでくれ、とか言うわけではないわよね」
「言うものか。一つ、俺の死後、俺の死体はここから動かさないこと」
背中を叩きつける衝撃が強まる。
「二つ、俺の背にある木に何者であろうと近寄らせないこと。それ、だけだ」
背中への衝撃が叩くものから押し除けようとする力に変わった。俺が退く気がないことを理解したのだろう。
「…そう。そのくらいならいいでしょう。精々その死骸を妖怪達に食い散らかされるといいわ。じゃあ、さようなら」
紫が右手に扇子を持ち、それを振り上げる。俺は死の運命を確信し、全身を脱力して目を閉じた。が、脱力したのがいけなかった。
「どけぇぇぇぇ!」
「っ!?」
「え?」
《静寂》の範囲外から脱し、大きな声を出しながら俺の体を押し除けて、木の洞から少女が出てきた。そう、少女だ。
「イルの…」
紫が困惑し、イルが頬を引き攣らせている中、少女は腕を振り上げ…
「バカァァァ!」
バチン!という音と共に結構エグめの衝撃を頬に感じながら、俺の意識は闇に消えたのだった。
**********
「え、えっと…?誰ぇ…?」
「エイナ・クロスハート!このバカのお、お嫁さん…だよ!」
「そう、じゃあ退いてちょうだい。その男を殺すから」
「絶対、ダメッ!」
エイナは手を大きく広げ、気絶したイルと紫の間に入る。純粋な目で紫の顔をしっかりと捉え、一瞬だが紫をたじろがせた。が…
「幻想入りして早々に暴れたその男を幻想郷に置くわけにはいかない。さっさと処理するに限るわ」
「…んで…?」
「?」
「なんで、って言ったのよこのクソBBAが!」
「ガハッ!」
ゆ か り は 2 0 0 0 の ダ メ ー ジ
を う け た !
「妖艶な美女を演じてるつもりになってる90歳くらいのBBAみたいなもんよあんたは!」
「ゴフッ、ゴファッ!」
八雲紫、自称ーーー永遠の18歳、撃沈。紫は膝から崩れ落ちた。
「あんたみたいのをなんて言うか知ってる!?イキリBBAーー」
「もうやめて!私のライフは0よ!」
紫は涙目でエイナを制止する。どうやら先ほどまでの威厳ある姿は幻想だったようだ。
「知ったものですか!大体、イルばかり貧乏くじを引かされすぎです!家は冤罪で取り潰され、妹も行方不明になって、国を救えば逆に国から追われることになる!おかしいですよ!なんで別の世界に来てまで死にかけの状態なのに追い討ちされてるんですか!どうせ私は一人じゃ何もできないか弱い少女ですよかといって好き放題してんじゃねぇよふざけんじゃねえってもんですよ!」
エイナは捲し立てるようしてキレながら言葉を弾丸のようにぶっ放す。心をバキバキに割られた紫は言葉の圧に負け、「ひぃぃ!?」などと怯えている。…なんだかおかしな状況だ。
「はぁ、はぁ…わかりやがりましたか?自意識過剰BBA」
「ひどいっ!?死体撃ちしないで…」
「おい、返事はちゃんとしろよ」
「は、はいぃぃぃぃ!」
ここまで来れば幻想郷の賢者という肩書きも形なしだ。一人の少女に一方的に言葉でボコられて涙目になっている残念な女がそこにいるだけである。
「ここ…名前わからないからいいや、医療機関、当然あるわよね?」
「あ、ありますあります!おおありでございますぅ」
「イルと私をそこに連れていきなさい」
「へ?」
「だ・か・ら!イルと私をそこに連れて行けって言ったのよ!聞こえてんの?」
「ひっ!すみません!連れていきますぅ…」
哀れ、幻想郷の賢者。どうやら役割は、タクシーと同等の扱いであるらしい。…幻想郷の最高権力者の一人でありながら、戦闘能力のない一人の少女に言葉だけでボコボコにされる紫を見る人が見れば、永遠にネタとして擦っていくことだろう…紫にとって、その人物がどこにもいないことは唯一の救いだったかもしれない。




