第5話
お互い思っていたことを正直に言い合ったおかげか、妙な緊張もすっかりほどけていた。結果的に、それは悪くないことだったのかもしれない。
「さて――お互い変な誤解も解けたところで、改めて自己紹介といこうか。言い出したのは俺だし、まずは俺からにするよ」
そう言って、俺は彼女の方へ身体を向き直した。
部屋の中には湯気の残るマグカップと、雨上がりの湿った空気。窓の外からは、かすかに街の灯りが揺れて見えていた。
「俺は、新田敬斗。年は十八。色々あって最近、定時制の高校に通い始めた。……ちなみに、あんたを助けようと思った理由のひとつは、同じ学校の制服を着てたからだ。日中は生活のために仕事をしてたけどな」
「仕事を“してた”ですか? 今はしていないんですか?」
「正確に言えば、完全にやめたわけじゃない。ただ、事情があって仕事量をかなり減らした感じだ」
「そうなんですね。十八歳で最近入学ということは……ふふっ、年下になりますね。私、先輩になりますよ?」
「先輩? ってことは、もしかして二年生か三年生とか?」
「その反応、もしかして私を一年生だと思ってました?」
彼女が唇の端を上げて小さく笑う。少し子供っぽい表情に、さっきまでの緊張がまた少し和らいだ。
「こう見えても、れっきとした二年生なんです。ちゃんと先輩として見てくださいね、敬斗くん」
「そっか、ならよろしく頼むよ、英梨先輩。……まあ定時制だから学校で会うことなんて、そう多くはなさそうだけどな。ところで、俺は名前言ったけど、そっちの名前も聞いていいか?」
「そうですね。聞いておいて言わないのは失礼ですよね。
私の名前は如月英梨といいます。好きに呼んでください、敬斗さん」
「英梨、か。いい名前だな。――じゃあ、お互い名前も分かったところで、本題に入ろうか。『帰れない』ってどういうことだ? 俺にできることがあれば力になる」
そう促すと、英梨は一瞬だけ視線を落とした。
マグカップを両手で包み込み、少しの間、言葉を探すように沈黙する。
「……そうですね。どこから話せばいいのか……。
“帰れない”というのは、少し大げさかもしれません。実は――最近、母を亡くしたんです。母子家庭だったので、もう保護者がいなくなってしまって」
ぽつりぽつりと語られる言葉は、まるで壊れやすいガラスのように静かだった。
「親戚の方は一応いるんですが、姉妹を一緒に引き取るのは無理だと言われて……。それに、あの人たちの私を見る目が、正直怖くて。妹はまだ十歳で、幼いから大丈夫だとは思うんです。でも……私のほうは……それに、妹と離れ離れになるなんて、絶対に嫌なんです」
「……なるほどな。親を亡くしたのは、本当に大変だったな」
俺はゆっくりと頷いた。言葉を選びながら、なるべく優しい声で尋ねる。
「生活費とか、当面のことは大丈夫なのか?」
「母の貯金が少し残っているので、しばらくはなんとか。でも、保険金が入るまでには時間がかかるし……。それに――」
「その親戚が保護者になることで、遺産を狙ってる可能性があるってことか」
「はい。……簡単に言えば、そんな感じです」
彼女の手が小さく震えているのが見えた。
怒りや恐怖、そして何より、妹を守らなければという責任感がその肩を重くしていた。
――力になりたい。
だが、俺にどこまでできるだろうか。
それでも、この子は何も悪くない。妹を思って一人でここまで来たのだ。
そんな子を放っておくなんて、できるわけがない。
「少し待っててもらっていいか?」
俺は立ち上がり、ポケットからスマホを取り出した。
「もしかしたら、力になれるかもしれない人がいる」
不安げにこちらを見つめる英梨に、できるだけ穏やかな笑みを浮かべて言った。
ほんのわずかでも、安心してもらえるように――。




