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還光の月  作者: 卵掛 小保下
砂漠の墓標
11/13

10


 配管の上を伝い、かろうじて掴める錆びて破損した鉄骨に手を伸ばす。そしてそこからさらに下の配管へ。

 進むたびに砂がパラパラと落ちていき、新たな侵入者の痕跡を下に落とす。


 最初に見かけたのは人間の痕跡だったのに、やがて毛皮の欠片や角、夜獣の頭部などが増えていく。

 夜獣同士の争いの結果だろう、夜獣の食べ残しだ。


 (やっぱり腹を満たすのと、コクーを求めるのは別か。食うもん自体は変わってない。)


 地上の制御盤が施設内の夜獣を示した時、『肉食型が三頭』しかいなかった。このあたりには夜獣が密集していたはずなのに。

 

 最初は崩落に巻き込まれた数が少なかったのかと思っていたが、たぶん草食型から順に食われて、最後に肉食同士でやり合った。生き残ったのが、今フイが気にしている三頭だ。


 大多数で押してくる夜獣も怖いが、頭の回る飢えたやつは、それはそれで厄介だ。今までは互いを警戒して均衡していたが、フイが来たことで奪い合う対象ができた。もちろん獲物はフイだ。


 だからフイは配管の上や鉄骨など、獣の道から外れた場所を選ぶのだ。


 チャッ……チャッ……チャッ……。

 

 かすかに硬いものが当たる音が聞こえる。慎重な歩みだ。フイはすぐに息を殺し、下をうかがった。少し待つと、通路の曲がり角から肉食型の夜獣が姿を現す。

 港町で見た夜獣と同じく、目は空洞のように恐ろしい。そしてその姿は酷くボロボロだった。顔面には他の夜獣と争った痕があり、鼻のあたりが抉れ、歯も下半分がむき出しになっていた。


 そのまま夜獣が通路を渡り切り、曲がり角に体を半分進めたとき。どこか生々しい鈍い音がして痙攣し、そのまま通路の脇に潜んでいた別の夜獣に引きずり込まれて姿を消した。


 ――いた。息を潜めて待ってるやつ。


 フイはその瞬間を逃すことなく、無音で通路に降り立ち素早く離れた。


 今、食っているやつは、腹は満たされただろう。それでも人間を、『生きているもの』を求める欲求は収まらない。日差しのない地下だ。地上の連中よりずっと渇いている。


 さっきの鼻無しもフイを探していた。だが動いていたぶん隙ができ、別の夜獣に食われた。つまり動かずに待っていたやつのほうが今は危ない。


(頼む、ゆっくり食っててくれ。なんならそのまま寝てくれ。)


 そんなことはないと分かってはいるが、願わずにはいられなかった。


 だが、まだ姿を見せていない三頭目がいる。


 フイはそいつを警戒しながら、さらに降りる高さを探った。ある程度まで下がったところで、また配管に体を預け、別のエリアへと横移動する。崩落した区画へつながる、工場時代の補助ラインだ。獣の通り道からは外れている。


 そこから先は、砂漠の風が吹き込んでくるせいで、配管も鉄骨もきしみがひどくなった。外から運ばれてきた砂がどこかの穴からひゅうひゅう吸い込まれ、金属同士の軋みを強くする。緩んだボルトがカチカチ鳴るたびに、フイの心臓がどくどくと早くなる。崩落地点に近い。地上から落ちたものと、もともとここにあったものが一緒くたになっているはずだ。


 目的は船のコクー補給用の貯蔵庫と、地上から崩れ落ちたコクーの貯蔵庫。どちらか一方でも残っていればいい。どちらにしても、この先の広い空間に出るしかない。


 配管の端を回り込んだ先で、視界がぱっと開けた。天井が抜けていて、そこから砂と光が斜めに落ちている。真昼ならここだけ陽光が入るのだろうが、今はほこりっぽい薄明かりだ。その光の下で、一頭の夜獣が草食型の遺骸に顔を突っ込んでいた。見つけた、三頭目だ。


 遺骸はもう乾いていて古い。だが夜獣はそれを、少しずつ、ちびちびと齧って飢えをやり過ごしていたのだろう。今も夢中で肋骨のあたりを噛み砕いている。幸いなことに、その夜獣はフイの目的の貯蔵庫からはだいぶ離れていて、背も向けている。


(今だ。静かに降りて、開けて、さっさと戻る。)


 フイはほとんど音を立てずに床に降りた。砂の上を踏むようにして貯蔵庫へ近づく。金属の取っ手に手をかけ、息を止めた。錆はひどいが、まだ開きそうだ。ゆっくりと力をかけ――。


 ドンッ。


 横合いから何かに体当たりされ、フイの体は床を転がった。肩が焼けるように痛む。すぐに起き上がろうとして、見た。


 さっき貯蔵庫から離れた場所で草食を食っていた三頭目だった。


(食べ物に夢中だったはずだろ、お前……!)


 床を蹴って距離を取る。だが夜獣はフイを無視し、錆びて少ししか開かなくなっていた扉を前足でこじ開け、中へ体を突っ込む。ちび食いはそこにあったコクーを、一心不乱に、喉を鳴らすようにして食べ始める。


 フイは壁の影に身を寄せながら、その様子を呆然と見ていた。


 夜獣の体表が、見る間に変わっていく。乾いた皮膚のようだったところに、元の獣の毛並みがじわりと浮き上がる。空洞だった目に、色と焦点が戻る。まるで別の生き物に巻き戻されていくみたいだった。


 いや――戻った、が正しい。


 やっぱり、妖精と同じで夜獣もコクーを求めていたのだ。腹を満たすほうじゃない、渇きのほうを。


 フイも負けじとコクーを拾い集め、船の燃料補給用の貯蔵庫にどんどん移していく。硬く乾いた床にコクーが当たると小さく音がするので、布をかませて音を殺した。ある程度たまったところで、補給用の機械が低くうなった。眠っていた装置が燃料の反応を嗅ぎ取ったらしい。床下のパイプがわずかに震え、どこかで弁が開く音がする。補給が始まった。


(動いた……!)


 フイは急いで残りも放り込む。補給用の貯蔵庫がいっぱいになったところで、蓋を硬く閉め、何度も確かめた。これで船はまだ飛べる。また、服の中でぐったりしていたクラゲを取り出し、ちぎったコクーを食わせる。クラゲの透けた体に、ほのかな光が戻る。


(……よかった。戻る。)


 それで、床にあったコクーはほとんど残らなくなった。手元に残ったのはひとかけらだけ。握っているだけなのに、不思議と力が湧いてくる。体の奥で、何かが潤う。


 (人間にも効くのか……)


 そのときだった。


 ドン……ドン……。


 天井のさらに上、崩落口のもっと向こうから、鈍い落下音がした。鉄と砂と重たいものがぶつかるあの音。もう一度、今度ははっきり。


 ドン……!


 フイは光の差す崩落口を見上げる。はるか上の、まだ陽のあるはずの地上から影が落ちてくる音だった。


(まだ日は出てるのに……なんで今――)


 さっき自分に体当たりしてきた夜獣を思い出す。あいつはフイではなく、コクーに行った。


(……コクーを察知してるんだ。)


 コクーの貯蔵庫は、不思議と中にしまい込んだものの気配を消す効果があった。だから今まではバレなかった。しかし一度扉を開けてしまえば話は別だ。濃いコクーの気配が通路にも、崩落口にも、ひいては地上にも抜けていったに違いない。


(やべえ……。今ので、辺りにいた夜獣みんなこっちに向かってるとしたら――!)


 フイはあわてて元来た道を戻ろうとした。だがそこに、口元を赤く染めた夜獣がぬるりと立ちふさがる。先ほど鼻無しを引きずり込んだやつだろう。どこかで何かを食ったばかりの色。


 夜獣は迷いなく飛びかかってきた。フイは身をひねってよける。夜獣はそのまま、さっきコクーを食べて元の姿に戻った動物のそばに着地した。


(来る!)


 フイは構えたが、夜獣はフイを見なかった。振り向きもせず、元の動物の姿に戻ったばかりの三頭目を噛んだ。ミチリ、と肉の切れる音。たったいま「生きたもの」に戻ったやつを、夜獣は人間を見たときと同じように襲った。


(……やっぱり、コクーを食べて光が戻った、動物に戻ったやつを優先して食ってる。人間と、コクーで満たされたものを、同じ匂いで見てるってことかよ……!でも!)


「どうすりゃいいんだ!」


 思わず声が出た。地上からはまだドン……ドン……と夜獣が落ちてくる。その一方で、さっき自分が通ってきた細い通路のほうからも、気配に釣られた夜獣がぞろぞろと現れる。

 配管を伝わねば来られないはずなのに、奴らは塞がっていたはずの瓦礫を無理やりこじ開け、貯蔵庫の上を這い上がってきた。


 フイは鉄骨を掴んで配管の上へ跳んだ。するとその横の通路から別の夜獣がこちらを目がけて飛び掛かってきて、配管の上に爪を立てて飛び乗る。

 

 即座にフイは壁のはしごに飛び移り、錆びた段を一気に駆け上がる。下では夜獣が配管を少しずつ伝って追ってきた。フイは結局逃げ場を失って、広場の天井近くまで伸びるクレーンに飛び移った。


 ここが一番高い。だがここから移れるところはもうない。


 下を見ると、さっき元に戻った三頭目は、抵抗むなしく集まった夜獣に食われていた。何頭もが上にのしかかり、頭を噛み、腹を裂く。昔、町で見た処刑と同じ光景。今度は自分がああなる番だ。


 クレーンがぎしぎしとひどく揺れる。もともと崩落で支柱が歪んでいたのだ。フイの重さに加えて、下から夜獣がよじ登ろうとする力まで加わる。


(せめてクラゲだけでも……!)


 そう思った瞬間、クレーンが耐え切れずゆっくりと折れ始めた。斜めに沈む。フイと夜獣の距離がみるみる縮まる。鉄骨越しに夜獣の口ががちがちと鳴る。もうほんの一跳びの距離だ。


(もう、ダメだ――)


 そのとき、腹に響くような重低音が周囲に鳴り響いた。


《……こちら、──製場統括AI。……設内での破壊活動を……検知。対象に追放を命じ……ま……。該当の……舶AIは直ちに乗務員を回収せよ。繰り返──》


 言葉はところどころ欠けている。だが「乗務員を回収せよ」ははっきり聞こえた。フイが顔を上げると、頭上を大きな影が覆った。砂漠の陽を遮る影。自分たちの船だ。出しっぱなしにしていたはしごが目の前をかすめる。


「っ!」


 フイは折れる勢いをそのまま利用して跳んだ。指先がはしごを掴む。ぶら下がった瞬間、船はぐいっと浮上を始める。下の夜獣が伸ばしたかぎ爪が、すんでのところで空を切る。クレーンはそのまま夜獣の群れの中に崩れ落ちた。


 フイは足を振ってバランスを取り、船内へ転がり込む。床に背を打ちつけたとき、また音声が流れた。


《……内の状況を把握。侵略と認定。……設内の浄化を行いま……。職員は速やかに……》


 船は崩れかけた天井すれすれを抜け、砂漠の光のほうへ上がっていく。はるか後方で、大きな爆発が起きた。廃工場の上に火の玉がふくらみ、砂煙に混じって黒い煙が立つ。


(あの炎の中には、どれだけの夜獣がいたんだろうな……。こっちに積んだコクーがあれば、何頭か戻せたのかもしれねえけど――)


 フイは首を振る。


(こっちだって渡す気はない。これは俺たちのぶんだ。)


 そのとき、胸元がもぞもぞと動いた。クラゲだ。無事、目が覚めたらしい。透けた体の内側に、さっき食わせたコクーの光がふわっと灯る。


「……はは、寝汚ねえな! ようやく起きたのかよ!」


 寝起きで何が何やら分からないとでも言いたげに、クラゲがきょろきょろする。フイは笑った。こんな苦労、いちいち話してやる必要はない。


「船の燃料の補給はとっくに終わってる。コクーも寝てる間に食わせたからな。食いすぎてまた落ちるんじゃないか?」


 ぷに、と触手が伸びてフイの頬をつねった。


「って、いて! つねるなっての!」


 二人でひとしきりばか騒ぎすると、フイは少し真面目な声に戻した。


「なあ、ちと寄りたいところがあるんだが、いいか?」


 クラゲはふわりと浮き上がると、触手で〇のマークを作り、そのままフイの頭にぽすんと乗った。


 船は砂漠の上を進み、背後ではまだ、浄化の煙が空を汚していた。

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