いつか迎えに来るよ
時刻は15時30分。 ここは新潟県のほのかに潮風香る町。
舞台は木造2階建、 佐橋家のリビング。 俺は人生の節目を迎えた。
「えー、 メールで何となく察してると思うけどさ」重たい空気を割って話し始める。着慣れない紺色のジャケットが窮屈だった。
「うん 」
「今日は大事な報告があって彼女を連れてきました」 自分の家なのにこんなに緊張するんだな。
「うん」
「こちらの水島由奈さんと結婚することに決めました」 結婚って大変なんだなぁ。
「‥‥‥うん 」
「お義父さん、 今日からお義父さんの娘としてよろしくお願いします」最愛の由奈ちゃんが深々と頭を下げる。今日のために買った水色のワンピースがよく似合っていた。
「‥‥‥ふぅ。そうか、 だそうだ母さん」曖昧な返事で、親父は、若い姿のままのお袋の写真に語りかけた。
12畳ほどのリビングに4人掛けのテーブルが1 脚。3席は人間用で1席は幽霊用。 親父の隣にお袋はいた。 物がごちゃごちゃ端にあるが、これでも一生懸命片付けたんだろうな、と息子だから分かる。 前に来た時には無かった、お袋との写真が、窓枠など至る所に飾ってあった。 親父は元々筋肉質だったが、若い頃の写真より今の方が痩せている。 やつれたわけではなさそうだが‥‥‥。
「まぁお茶でも飲みなさい」白いポロシャツにグレーのスウェットを履いた親父は、2ℓのペットボトルのお茶をグラスにいっぱい注いで、俺たちに渡した。 氷が3つずつ入っている。 何も変わらない実家の風景。
「いただきます 」俺は少し口に含んだ。 由奈ちゃんはゴクゴク半分以上飲んだ。 緊張してるんだな、 こんな親父相手でも。
「遠慮なく飲みなさい 」親父はまた由奈ちゃんのグラスにいっぱい注いだ。 何だか可笑しくて、少しだけ空気が柔らかくなった気がした。親父から質問ラッシュが来る。
「何年付き合った?」 ドラマで見る、取り調べみたいなテンションだ。しかもベテラン刑事だ。
「3年半になるかな 」 自信がなくて由奈ちゃんを見たら、手で丸を作ってくれた。優しい。
「喧嘩はするか?」親父はグッと前のめりになった。占い師に、明日から大殺界、と脅されてるような、強烈な圧。‥‥自白するしかない。
「たまにはするよ 」俺は視線を逸らした。
「デカい喧嘩はしたことあるか?」何だその質問。さっきと分ける必要あったのか?
「まぁ‥‥‥ある 」この回答に親父は大きく頷いた。何を想像しているのだろう。やめて欲しい。
「由奈さん 」ターゲットが変わる。
「はい 」
「こいつは頼れますか?」本人を目の前に「いいえ」はあり得ないが、由奈ちゃんなら言いかねない。
「っはい」 半笑いで答えやがった。今の親父は刑事で占い師だからバレるぞ。
「明るい家庭になりそうですか?」親父スルーした!
「もちろんです 」由奈ちゃんは、真っ直ぐ親父を見つめて答えた。その自信がとても嬉しい。
「そうか、 ‥‥‥‥こんなこと聞くのも失礼ですが、 健康ですか?」 確かに失礼だ。一か八かな質問をするな。
「はい。 会社の健康診断で褒められます」
「おぉそうか!それはでかした!」
親父は嬉しそうに立ち上がると冷蔵庫に向かい白い液体の入ったビンを持ってきた。
「これ、 お向かいの清水さんがお取り寄せした新鮮な牛乳だ。 美味くてびっくりするぞ。 飲んでみて」さっきまでの重厚な雰囲気の親父から、いつもの気さくな親父にガラリと変わった。
「そんなに飲み物ばっかりじゃ腹タプタプになるよ 」俺の緊張も解けてきたみたいだ。
「私、 飲みたいです!」由奈ちゃんは親父を前に優等生モードに突入している。
「大丈夫?」 さて俺はどっちのサポートをすればいいのか。
「そうだった、 これ最近見つけたチョコレートだから食べて」嬉しそうに引き出しの中から板チョコを取り出す親父。
「ありがとうございます! 」由奈ちゃんは喜んでいるが、どうせ近所のスーパーのチョコだ。
「ねぇ、ちょっと、準備不足じゃない?」俺の渾身のツッコミは空を斬った。
親父は止まらなかった。 この日のために残しておいたバームクーヘンやシフォンケーキを次々と俺たちに振る舞った。 消費期限は大丈夫か、とか色々気になったが、火が通ってれば大丈夫だろうと信じて食べた。 でも「美味いか?」 「美味しいです!」 のラリーだけで、俺たちは肝心な話を一切していなかった。
「親父ストップ!!」ボクシング団体統一戦のレフェリーよろしく、俺は一瞬の隙をついて、暴走を止めた。
「あぁ、 晩ご飯もあるしこれくらいにしとくか」 親父は、新喜劇のヤクザの去り際みたいなセリフを放ったが、全然ズレていた。
「じゃなくて自己紹介まだしてないよ!」どうやら今日は、俺がしっかりしないといけないらしい。
「あれ?そっか、 いっぱい食べてくれて嬉しくなっちゃった。 ごめん」 そう言って席に着いた親父は、背筋を伸ばして両手を膝に置き、優しい眼差しで由奈ちゃんを見つめた。
「では改めて由奈ちゃん、 どうぞ!」
「はい。 改めまして水島由奈、 29歳です。 太誠の1つ年上です。 生まれは茨城県の取手市で、 現在は東京の会社で経理の仕事をしています 」由奈ちゃんは、2人で練習して来た挨拶を間違えずに言うことが出来た。
「おー茨城県の子なんだね。 では俺も。 私は佐橋博将60歳です。 せっかちな妻が早々に天に旅立ち、現在は独身です。 工場勤務残り5年です。 早く自由になりたいです」わざと小学生がする発表のように、ハキハキと自己紹介する親父。
「フフフッお勤めご苦労様です」由奈ちゃんの顔がほころぶ。
良かった、 良い雰囲気じゃんか。 ここらでサプライズ情報出すか。
「由奈ちゃんの母方のおばあちゃんは韓国人なんだよ」親父は驚くだろう。 外国とは無縁の男、 それが博将60歳。
「えっそうなの?親戚に韓国人が加わるのか〜。 まだご健在なの?」意外とすんなり受け入れたな。
「はい!祖父とは離婚していて、韓国で元気に一人暮らししてます 」"離婚"という言葉を由奈ちゃんは元気いっぱいに話したが、離婚に馴染みの薄い佐橋家では、ちょっとだけ浮いてしまった。
「そうですかー。 いつかお婆様にもご挨拶できるといいなぁ。 海外旅行なんかしたことないのに、急に親戚に外国人なんて驚いたな 」親父は牛乳の入ったコップをブランデーのように軽く回した。
「私は日本育ちなので、ほとんど韓国語も話せないですけどね」由奈ちゃんは、そのことに、元々謎の劣等感を感じていたが、親父に早々に話せて良かった。
「へぇ〜そういうものなんだね〜。 韓国で思い出の食べ物とかある?」親父は牛乳に口をつけた。
「犬は思い出深いですね」由奈ちゃんは満面の笑みで答えた。
「へ?犬?」親父の鼻の下に牛乳の髭が出来た。
「はい。 今は法律で禁止されてますけど、 規制がかかる前は母と祖母の3人でよく食べてました」由奈ちゃんは斜め上を向いて、いかにも思い出に耽っている体勢になった。この漫画の様な分かりやすい人柄に俺は惚れていた。のだが‥‥
親父の顔色が曇り始めた。 出来ればこの話題は、まだ避けたかった。 やっぱ日本人にはショックが強いよなー。
「‥‥‥‥そうか。 食文化だから色々あるよな」息子の嫁だから、ドン引きするわけにもいかず、親父はポジティブに受け入れようとしていた。
「え、 あの、 なんかすいません」由奈ちゃんは後悔を絵に描いたような、悲壮感漂う表情でこちらを見つめる。 (助けてー)のテレパシーが痛いほど伝わってくる。 もちろん助けますとも。
「親父、 俺も犬食べたことないけど別に気にしたことないよ。 牛食うのだって大して変わらないだろ?どちらも命いただいてるのに変わりない」俺は、言われるまでもない、当たり前のことを言った。
「んー。 酪農やってる人だって牛食べるしな」親父は牛乳を飲み干した。
「そう言うこと!」
「んー。 そーいうことだよなー‥‥‥」親父がスマホで何やら検索している。
「なるほど、 韓国では古くから健康に良い食べ物として犬は食べられていたんだな。 由奈さんの健康の秘訣ってやつか 」歩み寄る親父。頑固親父じゃなくて本当に良かった。
「そうです!残念ながら、もう食べられませんが」
由奈ちゃん、 それは煽ってるよー。
「不思議だよなぁ、 時代によって食べられる物が変わるってのも」 なんか腑に落ちてる。 良かった、おかげで危機は脱したみたいだ。
ふと時計の針を見るともう17時になっていた。
「親父、 連絡した通り今日は俺たち泊まっていくけど晩ご飯どうしよっか?」 外食にするか家でまったり食べるか、 どちらにせよ買い出しは必要だろう。
「もう用意してあるぞ 」親父は腕をストレッチしながら言った。
「そうなの?」
「晩飯の用意で忙しかったから、お茶でバタバタしてたんだぞ」 親父は肩甲骨を回している。
「なんだ緊張じゃなかったのか 」今日の親父は頼れる。 一体何を準備したんだ?
「お前の大好きなアレ捌いた 」珍しく勿体ぶる親父。
「アレ?」
親父はキッチンに向かうと、冷蔵庫の中から大きな皿を取り出した。ダイニングテーブルに持ってきて、ラップを剥がし、全貌が明らかになる。
「ジャジャーン。 皆んなでいっぱい食べようなー」赤い身の刺身が綺麗に並ぶ。魚とは違う肉の刺身。 俺の大大大好物。
「今日は鯨の刺身でーす」
「やったー!霜降りの刺身もこんなにあるし最高じゃん!」つい子どものようにテンションが上がってしまう。 鯨の刺身は好物のランキングをつけるとするならば第3位くらいに入る。
「今日は奮発したぞー。 高くてデカいの買ってきたからなー」親父は得意げに話した。
俺の脳内は 〈感謝〉 の文字で埋め尽くされている。 親父ありがとー ーー!
「よっしゃー!由奈ちゃんって鯨食べたことあったっけ?‥‥‥‥あれ?」
俺は思わず二度見した。 由奈ちゃんは人間が可能なMAXまで顔を引きつらせていた。 こんなに嫌そうな顔は初めて見る。というか由奈ちゃんって、変顔得意なんだな。意地悪かもしれないが、記念に写真に収めたいくらいだ。
真っ赤なパトランプが佐橋親子の脳内で高速回転している。
「由奈さん、 鯨ダメだった?」親父が切なそうに聞いている。 仕方ないよ、 誰にだって好き嫌いはある。
「鯨って食べていいんですか?」プードルって食べていいんですか、のテンションで由奈ちゃんは訊ねてきた。
そこからー?
「えーーーーー?えーっとー 」親父がまたスマホで何か検索している。 頑張れ親父!
「韓国でも鯨食べるって書いてあるよ!しかも禁止はたぶんされてないぞ!」
たぶん なのか!でもいい情報だ!
「あぁそうなんですか。 私は韓国では食べたことなくて、 もちろん日本でも」何がそんなに悲しいのか、由奈ちゃんは、同僚を亡くした新米刑事みたいに、落ち込んでいる。ここは俺からも力を貸さねば。
「由奈ちゃん、 鯨はすごい美味いんだぞ!馬肉みたいで最高だぞ!‥‥‥あ、 由奈ちゃん生肉食べられないんだ」
おわた
「えっそうなの?嫌いなのか?」本日絶好調の親父もショックを隠せないようだ。
「生の肉を食べるっていう感覚があんまり受け入れられなくて。 悍ましいじゃないですか」自分の身体を両腕で抱きかかえるようにして、怯えるポーズをとる由奈ちゃん。アカデミー賞ものの、演技力である。
「そうかーー。 (犬の方が抵抗感あるけどなぁ)それなら難しいなー」親父は白髪を優しく撫でた。
たぶん犬は食えるのに変わった人だな、とか思ってるんだろうな。
「親父、 今日の飯ってまさか?」
「あとは米と漬物と鯨汁だけ」
「Jesus」
「えっ由奈さんなんて?」
グラグラグラグラ
「地震だ! 結構デカいぞ!」
「アラーム鳴らないから大したことないんじゃん?」
「テレビつけましょう!」
『繰り返します。 先程17時16分頃に新潟県佐渡沖を震源とし震度5強の地震が発生しました。 津波注意報が発令されておりxx沿岸部では0.5mの津波が到達すると予想されています。 海には絶対に近付かないでください。繰り返します』
「5強!?アラーム鳴らなかったですよね?」由奈ちゃんがスマホを開いて訊ねる。
「皆んな、 高い所逃げるぞ!」親父は考える間もなく、指示を出した。
「でも親父、 0.5mだから大丈夫じゃない?」俺は比較的落ち着いていた。
「今は由奈さんをお預かりしてるんだ。 万が一があってはいけないんだ」親父はこういう時に、冗談を言わない男だ。
我が家は海から徒歩10分くらいで、海抜7mの位置にある。 確かに大きな津波が来たら危ない立地だ。 別に今回の0.5mなら、海にいなければ問題ないと思うが、親父は納得しないだろう。 親父は慣れた様子で、真っ赤なウエストポーチを着けて、俺たちを先導し始めた。
「お寺さんに行くぞ!」親父は靴下も履かずにスニーカーを履いた。
「えー、 しょうがないかぁ」俺と由奈ちゃんは、 別に大丈夫だよねという表情で顔を見合わせたが、親父を強く否定する気にもならなかった。
実家は海と山に挟まれた平地にある。すぐ近くの小山の中腹にある寺には車では行けない。 徒歩しか方法がないので、俺たちは駆け足で山側の坂を登って行く。 坂の住宅街の道を縫うように100mほど走り抜けるが、誰1人外に出ている人がいない。苦しい。 寺の石段が見えてきた。 さすがに体力がキツい。
「ハァ、 ちょっと休憩」親父は階段の前で30秒ほど休ませてくれた。
ハァハァ
「よし!行くぞ!」
親父の後をついて寺の長い石段を駆け上がる。 太腿が千切れそうだ。 由奈ちゃんはランニングが趣味の元陸上部だったので、ちゃんと着いてきてくれた。 ワンピースの裾を掴み上げての全力疾走。由奈ちゃんがシンデレラだったら、ガラスの靴を落とすことはないだろう。むしろ俺の方がキツかった。数分間のダッシュ、 親父の体力にドン引きしてしまう。
ハァハァ着いた。
寺の敷地の芝生に3人座り込む。 しばらくの放心状態の後、 俺は疑問をぶつけた。
「親父さ、 避難方法これしかないの?」そんなはず無いと分かっていて訊ねる。
「まぁ地域の避難場所は、車で行ける公民館なんだけど、 あそこはそんなに高い場所じゃないんだよ。 信用できない」親父はゴモゴモと、分が悪そうに答えた。
信用できないって役所が決めたことだろ?
「でも地震の度にコレは無理がありませんか?」由奈ちゃんが俺の代わりに、言いたいことを言ってくれた。
「災害は人間の都合なんて知ったこっちゃないだろ?やれることはやらないと」親父は自分自身に言い聞かせるように、俺たちに伝えた。
俺と由奈ちゃんはまた顔を見合わせて、 お互い何とも言えない表情をした。
芝生のエリアには電灯が一本あるだけで他に明かりはない。 背後には、控えめに照らされた本堂と墓地がある。 お盆の時期には親父と懐中電灯を点けて、お袋の墓参りをしているが、 明かりが少ないとこうも心細いものか。
「揺れましたね 」
「ウヮーーッ!びっくりしたーー!!」
住職が背後から声をかけてきた。 勘弁してくれほんとに。
「皆さん津波注意報が出たからここまで来たのですか?」有難いを通り越して、厳つい部類に入る頭。いつ見ても見事だ。毎朝剃ってんのかなぁ?
「はい。 念には念で」親父が力強く答える。
「後悔してからでは遅いですからね。 情報が全て正しいとも限りません。 それくらいで丁度良いと私も思います。 ゆっくりしていってください」この徳の高い話し方は何歳ごろに身に付けたのだろう。
「ありがとうございます 」佐橋家は揃ってお辞儀した。
「佐橋さん、 こちらの女性は?」剃刀負けしないのかなぁ?
「あ、 息子の嫁になる人です」親父は正確な紹介をした。
「はじめまして、水島由奈です」由奈ちゃんはまた優等生モードに入った。
「そうですか。 おめでとうございます。 結婚のご挨拶に来たということですか?」相変わらず、坊さんはコミュ力高いな。
「はい 」
「それはそれは。 お2人のお住まいはどちらになるのですか?」T字剃刀って可能性も?
「職場は東京なんですが、 住まいは神奈川で探してます」由奈ちゃんが耳たぶを触った。面倒くさがってるな。
「そうですか。 檀家がまた減ってしまいますね」
「あ、すいません」
「いえいえ、 政治が悪いのです。 そうだ、 佐橋さん、 里砂子さんにはご報告されました?」化粧水と乳液塗らないと荒れるよなぁ。
「あーーそうですね!折角だからお墓参りしていきます」
「お仏壇だけではなく、お墓にも同じようにご挨拶されると良いと思います。 では私はここで」
そして住職は日本で1番綺麗なお辞儀をして去って行った。
「はい、 ありがとうございました」
行ってしまった。ツルツルのことだけ考えてたら、俺だけ住職と話しそびれてしまった。 まぁどうでもいいことだけど。 そんなことより。
「親父。 仏壇にも挨拶してなかったな」
「良いこと教えてもらったな」
墓地に点在する薄い明かりの中、 佐橋家の墓を目指す。数十基の墓が綺麗に整列しているが、来慣れているので、暗くても道は分かる。ベテランの親父が先頭なら心強い。
「おっとっと」 親父が躓いた。
「段差あった?」
ピカッ
由奈ちゃんがスマホのライトを点けてくれた。
「確かに最初からこうすれば良かったね」俺としたことがうっかりしていた。
「ありがとう由奈さん。帰ったらやり方教えて」去年までガラケーだった、ラストサムライは検索するしか能がない。
「フフフッ分かりました」優しい先生が出来て良かったな。
これからは、ここに 3 人で来ることになるのか。
「由奈ちゃん、 ここだよ」
佐橋家の墓、 灯篭には家紋が記されている。ここにお袋とじいちゃんたちが眠ってる。
「我が家はあんまり長生きしないから俺もそのうち逝ってしまうかもな」 ボソッと嫌なことを親父が呟く。
「墓の前で縁起悪いこと言うなよ」 本当にそうなる気がして、すごくムカついた。
「あれだけ走れるからまだまだ心配ないですよ」
「そうかぁ?俺が死んだら墓じまい頼むぞ 」 親父は色々考えてるらしい。未来というより、終わり方を。
「次は今どきのハイテクでカッコいい墓に入れてやるよ」俺は無理矢理ふざけた。こんな暗い場所で暗い話するもんじゃない。
「ハハハ、 楽しみにしとくよ」
「さぁ数珠も線香も無いけど祈ろう」
(お袋、 じいちゃん、 ばあちゃん、 あと他のご先祖様、 佐橋太誠は隣にいる水島由奈さんと結婚します。 盛大にパーティーしちゃってね。 ご冥福をお祈りします )
俺が顔を上げると親父と由奈ちゃんはまだ祈っていた。
「‥‥‥よしっ!全部祈った!」さっきより元気そうな親父。
「長かったな」 こうして見ると、少し背が縮んだだろうか?
「結婚とか健康診断の結果とか報告祭りだったからな 」
「えっ、健康診断悪かったの?」 息子に内緒にする話じゃないだろ。
「年相応だ!気にすんな!じゃあ由奈さん、 ライトよろしく」誤魔化されてしまった。これで良いのか?
「はい!」
ともあれ、由奈ちゃんと親父がそこそこ打ち解けられたみたいで良かった。 相性は割と良さそうだ。芝生の場所に戻るとそれぞれ何も言わずにスマホを開いていた。
「津波到達したみたいですね 」
「特に問題無さそうじゃん?」
「良かった。 帰ろうか」
さっき駆け上がった石段を今度はゆっくりと降りて行く。 坂道を歩いて住宅街を抜ける。 他所の家はとっくに日常を再開している。 親父は本当に由奈ちゃんがいたから避難したのだろうか。
「なぁ親父。 そのウエストポーチ何入ってんの?」
「ん?通帳とか最低限必要な物」
「いつから用意してんの?」
「前に能登の地震あったろ?あれでいよいよこの辺りも何かあるんじゃないかって思ってさ」
「そっか。 そりゃ心配にもなるよね」
「人生それまでどんなに幸せでも寿命で死ねなきゃやってらんねーだろ?」
「そうだよな」家でひとりぼっちの親父を想像する。
実家が見えた。 やっぱり親父と避難しておいて良かったと強く思った。
「皆んな、 俺は大事なこと思い出したぞ」 玄関の前で親父が宣言した。
「私はずっと覚えてました」 由奈ちゃんの一言で俺も思い出した。
「すっかり忘れてた」
リビングに戻った3人は1時間近く常温で放置された大量の鯨の刺身を凝視して固まった。
「1時間放置なんて居酒屋なら普通じゃん?」俺はまだ刺身を諦めきれない。 でも乾燥して美味しくないかも。 処分だけは避けたい。
「でも由奈さん鯨食べられるの?」
「ゔぅっ。 生肉は‥‥‥ごめんなさぃ」す、すごい困ってる‥‥‥。最愛の女性がここまで言うんだ。未来の旦那は心を鬼にして、刺身を諦めるしかない。
「んーなるほどねぇ‥‥‥ 」親父はまたもやスマホで検索し始めた。 頑張れ!諦めるな親父!
するとスマホ片手に親父がスッと手を挙げた。 その手がゆっくりサムズアップする。
「太誠!なんかすき焼きに出来るらしいぞ!」 ま、まじか親父!
「由奈ちゃん!頼む!これ以上の譲歩は無理!」 墓の前より真剣に拝む!
「お義父さん!すき焼きでお願いします!」
キタ!由奈ちゃんが一皮剥けた!
「よーし、任せなさい!」
ありがとう、由奈ちゃん、佐橋家へようこそ!
***
親父は一人暮らし歴が長い。 よって料理の腕前は、世間一般的な主婦より、少し劣るレベルまで上達していた。
「割り下良し。 ネギ良し。 椎茸良し。 豆腐は絹ごしだけど良し」 白髪の料理長が、工場の指差し確認みたいなことをしている。
「親父、 鯨汁温めとくよ?」俺はキッチンで汁係。
「頼む。 由奈さん、 鍋持って行くよー?」熱々の鍋を持ち上げる。
「はーい、 カセットコンロOKでーす!」アシスタントもナイス連携だ。
テーブルの真ん中にすき焼き鍋をセット。 刺身の皿を親父のそばに置いて鍋奉行は任せた。 米と漬物そして鯨汁が出揃いやっと食事が始まる。
「じゃあビール持とうか。 親父よろしく」
「えーでは、 太誠と由奈さんの結婚、 はまだか。 入籍もまだだしなんて言えばいい?」
「何て言うんだ?」
「何て言うんでしょう?」
「‥‥‥家族になった記念?向こうのご両親に挨拶したのか?」
「これからだよ 」
「んーー。 ‥‥‥‥結婚内定を祝して?」
「お義父さん何でもいいです 」
「‥‥‥‥これからよろしく!乾杯!」
「乾杯!」
モグモグ、 ズズズズ
いっぱい走って腹ペコの3人はしばらく無心で食べて飲んだ。 野生の油の旨みがたっぷりの鯨汁と初体験のすき焼きは勝利の味がした。いわばゾーンに入っていた俺たちの沈黙を破ったのは由奈ちゃん。
「まさか鯨がこんなに美味しいなんて‥‥‥ 」彼女の瞳はうっとりしていた。
ーー例えばこんな言葉を俺は作った。由奈ちゃんはこの時、 〈静かなるハイテンション〉 だったのだ。 不思議かつ不可能とも言えるリアクション。食べたことのない人間には、到底想像することの出来ない深み。だが、食べたところで、分からない人には分からない。良かった。由奈ちゃんは鯨の深みに到達出来たようだーー
「だろー?由奈さん、 刺身なんか絶品だったんだぞ?」親父はここぞとばかりに、刺身をアピールする。
「俺は初めて鯨の刺身食べた時、 脳天に電撃が走ったよ」不思議なことに全く盛っていない。
「いつか生肉にも挑戦してみたいです。 それくらい美味しかったです」由奈ちゃんにここまで言わせるとは、鯨って違法な薬でも入ってるのかな?
あっという間に料理は空になった。 酒も飲み終えてあとは風呂入って屁こいて眠るだけになった。一番風呂はゲストの由奈ちゃんになった。
テーブルを囲んで親子でくつろぐ。
「由奈さん喜んでくれて良かったな 」本当に良かった。親父の安堵は俺の安堵だ。
「大逆転だったね。 あんなに嬉しそうに食べるなんて、さっきまでだったら考えられないよ」俺は首をゆっくり回して、疲れたー、と呟いた。
「あの感じだと刺身もいけるかもしれないな」
「挑戦する気になっただけでもえらい違いだよ」
親父がグラスに入った水をグイッと飲み干す。 こうして贅沢した後にチェイサーで水道水を飲んでいるのが楽しい。 これが炭酸水とかミネラルウォーターとかにならないのが実家らしくて好きだと思った。
「あのさ、 前に来た時よりリビングにお袋の写真増えてない?」俺は、 遊園地のマスコットの両脇で、ダブルピースをキメている両親の写真を指差した。
「息子が嫁さん連れてくるって言うからこっちも負けじとイチャイチャしてやろうと思ったんだがな」
「だがな?」
「写真に囲まれてるだろ?なんか結界みたいな気になってきたんだよ。 母さんが俺を悪いものから守ってるみたいな」
変な話になってきた。 スピリチュアルな人間にでもなったのか?
「悪いものに狙われてんの?」核心をつかずジャブを打つ。
「世の中悪いものだらけだろ?詐欺は多いし、警察官が犯罪したり、老人ホームで殺人事件が起きたりさ。 中学生が闇バイトでこの家狙うことだってあり得ない話じゃない」親父の瞳が暗く濁ったみたいだった。確かに怖い話は絶えない。
「物騒な世の中になったよな 」俺はどこか他人事だったのかもしれない。
「物騒なのは昔からだよ。 震災も怖いしな。 母さんの結界はお前らが帰ってもこのままにしておくよ」 親父の顔は険しい。 諦めの感情も少し感じる。
「お風呂ありがとうございました!」 重苦しい雰囲気を由奈ちゃんが破った。
「はいよ。 次は太誠入りな」
「ありがと 」
ザパーン
(親父由奈ちゃんに何話してんだろう)湯船に浸かりながらぼーっと風呂場を眺める。
去年リフォームした風呂は綺麗に掃除してあった。 しかしパッキンにうっすら黒カビが残っている。 おそらく俺たちが来るから大掃除をしたはずだ。 それでも生き残ったカビさん。 親父の気持ちがよく分かる。 風呂のカビはなかなか落ちないんだ。
一人暮らしをしていた頃、 由奈ちゃんが家に遊びに来て、風呂がカビだらけだったのを見られた時、大喧嘩になった。 「こんな所に住んでたら死ぬよ!」 と大声を出されたのが隣人に聞こえたようで、それを大家さんにチクられたのが懐かしい。 やれやれ湯船に入ると不思議なことが思い浮かぶな。
「親父、 風呂いいよー」
「おう」
テーブルにはドライヤーが雑に置いてある。 由奈ちゃんは既に髪を乾かし終えて先程の牛乳をまた飲んでいた。 お袋の隣の席に移ったようだ。
「親父とどんな話してたの?」俺は由奈ちゃんの正面に座った。
「お義母さんの話いっぱいしたよ。 すごく愛されてたんだね」穏やかで優しい空気が流れた。変な話はしなかったようだ。
「俺の話は?」
「全然。 ずっとお義母さんの話だよ。 面白かったなー。 それでね、 お義父さんと約束したんだ」 由奈ちゃんは、いたずらっ子のような無邪気な笑顔で俺の目を見た。
「約束?」俺はドライヤーを手に取りコンセントに向かう。
「『由奈さんは長生きしてくださいね』 だって。 私涙チビっちゃった」そう笑いながら、由奈ちゃんは目を擦っていた。
「ハハハ、 チビるって小便に使うでしょ普通」とか言いながら不覚にも俺も涙チビってしまった。パジャマの袖で目頭を抑える。親父、そんなこと言ったのか‥‥‥
ブォーーーーーーーー
「ウチのドライヤー使うとめっちゃ熱くなるんだよね。 買い替えれば良いのに」 俺はドライヤーをテーブルに雑に置いて改めて由奈ちゃんの正面に座った。
「ねぇ、 将来的に親父と一緒に住むとかアリかな?」言うかどうか迷ってたことを勢いで言ってみる。
「えっ?あーどうかなー?えっと急にどうしたの?」由奈ちゃんは分かりやすく困惑した。 気持ちは分かる。
「ここに独りで住むってさ、 今は問題ないけどいつか限界が来ると思うんだ。 老いぼれてから今日よりずっと大きな地震が来たら、多分逃げられない」本当は親父のメンタルを気にしていたが何故か言い出せない。
「まぁそうだね。 いつかは一緒になるか‥‥‥」由奈ちゃんがお袋の写真を見つめている。 微妙な沈黙。 まるで時計の針の音がうるさいみたいな静けさ。
「皆んな!」親父がドアを勢いよく開いた。
「うわぁ!何だよ!」
「俺は大事なこと思い出したぞ!」 なぜか今日は勿体ぶる親父。
「何ですか?」
「俺たちまだ仏壇に挨拶してない」
「確かに!」
親父ナイスタイミング&聞かれてませんように。
帰省中ずっと閉めていたリビングの隣の襖を開ける。
シャーーーー
6畳くらいの和室に敷き布団が敷いてある。 部屋の中央奥に、昔ながらの大きな仏壇が壁に格納されている。
「へぇーこんな立派な仏壇があったんですね」由奈ちゃんが興味深そうに仏壇を観察していると、親父は喜んだ。
「カッコいいでしょ。 ここは今は俺の寝室だから、お客さん来たらずっと閉めてるんだよ。 だからついついご挨拶忘れちゃったわけ」
寝る時も親父はお袋と一緒がいいんだな、 なんて思いながら、 3人揃って正座をして数珠を付ける。親父は真ん中で座布団に座った。
「地震あると怖いから蝋燭は割愛な」
チーンチーン
(遅くなり失礼しました。 私、 佐橋太誠は隣にいる水島由奈さんと結婚をします。 お袋たちどうか見守って下さい。 親父のこともよろしく)
俺が顔を上げるとまたもや2人の方が祈りが長かった。 一体何を祈ればそんなに長くなるのか不思議だった。
「よし!任務完了!寝るぞ!」
何だそれ!と思いつつ、 親父の号令がかかるとキビキビと2人で2階の寝室に向かった。 これからテレビを見たりスマホを見たりしても良さそうだが2人とも親父に従ってすぐ眠った。 不思議だ。なんだか小学生の頃に戻ったようなピュアな体験だった。
***
翌朝
「おはよー」「おはようございます」俺と由奈ちゃんはパジャマでダラダラとリビングに降りてきた。
親父は着替えを済ませ、既にお袋と席についていた。
「おう、 遅かったな」親父は欠伸をしている。
「まさかまた早く起きちゃったの?」俺は親父の睡眠不足を心配していた。歳取ったら皆んなこうなのだろうか?
「4時に目が覚めてもう眠れん。 俺もすっかりジジイだ」
昨日のダッシュを見て、親父が痩せたのが運動のおかげだと思っていたが、もしかしたら寝不足のせいかもしれない。 本当に大丈夫なのだろうか。
「パン焼くから待ってな 」親父は朝飯も作ってくれるようだ。 何から何までありがたい。
ジュワーー
「とっておき塗るぞ。 美味いぞー?」 親父は黒いジャムみたいな物を食パンに塗った。 とっておきなら楽しみだ。
「召し上がれ」 白髪のシェフは食パンを皿にも載せず、直に手渡しした。野生的だ。
「熱っ、いただきます」
パリッ
「うまっ。 何塗ったのこれ?」香ばしくて甘い、珍しい味がした。
「テレビでやってた黒胡麻と蜂蜜を混ぜたヤツだぞ。 香ばしいだろ?」なるほど、納得の味だ。
「これはウチでも真似します」由奈ちゃんは指まで舐めていた。
「気に入ったか!」親父嬉しそうだ。
いい雰囲気に水を差すようで悪いがもう話さないといけない。
「ねぇ。 明日の仕事の準備あるから朝飯食べたら俺たちもう帰るよ?」
「えっ!そうなの?‥‥わかった 」帰省の度に見せる親父の寂しそうな顔。 今回は2人分寂しそうに見えた。
***
ガラガラガラガラ
「じゃもう行くわ」
親父は玄関の内側で、 俺たちは外に出て別れの挨拶を交わした。
「お義父さん、 また来ますね!」 由奈ちゃんが優しく声をかけた。
「素敵な娘が出来て最高の気分だ。 太誠を頼んだよ」 今生の別れか、とツッコミたいが我慢。
「アハハハ、 任せてください」
マズい、親父の顔がぐずってきた。 歳とって涙もろくなったか。
「親父、 これからは時々電話するよ」
「そうか、 あんまり期待しないで待ってるよ」
「私からも促します」
「心強いね。 ありがとう」
「じゃっ!またね!」
「お邪魔しました!」
「おう、 またなー!」
ガラガラガラガラ
キャリーバッグのタイヤの音が悲しく感じるのは初めてだった。 ドアを閉める音が聞こえなかったから、親父はまだ見送ってくれてるのかもしれない。 照れ臭いから振り返るなんてことはしない。
クルッ
「あ、 まだお義父さんいる!さよーならー!」
「おーい馬鹿!振り返るな!次回以降も同じこと期待するようになるだろ!」
もう表情は見えないが、道路まで出て来た親父は目一杯に手を振っていた。 まさか泣いてるの?笑ってる?
ガラガラガラガラ‥‥
この音。心が満たされる音‥‥。
「親父、 いつか‥‥‥‥‥」
ボソッと口から何かが出かけた。
「え?なに?」
いけない、由奈ちゃんにちょっと聞こえてしまったか。
「別に何でもない!」
「そーう?」
「そう、何でもないよ」
時刻は9時30分。
今日もこの町は海の良い匂いがする。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
いつか太誠が博将を迎えに来る日は来るのでしょうか?意外と博将が引越ししたがらないパターンもありますし、家族って一筋縄にはいきませんよね。めんどい!
この作品では明るい希望を感じながら終わりたかったのでこの様なシメになりました。いかがでしたか?
ではまた!




