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結婚とは

作者: 小深純平

 

「絶対だめだ、どうしても賛成できん、娘は25歳だぞ、あんたは幾つになったんだ、40だろー、どこの親が賛成するんだ」僕が彼女と結婚を前提におつきあいしたいと、彼女の父親に言いに行った時の開口一番である。僕は親としては当然だろうと得心して家に帰った。

 そもそも僕が40になってしまったのには訳がある、僕には2歳上の姉と2歳下の妹がいる、僕の母は姉の結婚にはひどく神経質になっていてなにがなんでも幸せな結婚をと望んでいた、母は姉が結婚するまでは僕の結婚には賛成できないと常日頃から言っていた、僕は20代のころには何度か結婚のチャンスはあったが、母が常に反対をしていて姉も常に不愉快そうだった。姉も結婚願望はあったが、なんだかんだと高望みをしていて35歳でようやく結婚をした。僕も33歳になってしまったので少し年齢的な機会を逃した感はあったが、山登りだのギターだのと趣味に没頭していたので時間の経過には無頓着だった。気が付いたら40近くになっていたということである。

 僕は自分の姿勢をはっきりと決めるべく彼女の本気度を確認した、彼女は僕と結婚することに迷いはないと言ってくれたので、僕も「よしっと気合」が入った。

 僕はその後、彼女の父親に何度か会いに行ったが玄関払いだった、最早、話にはならないということだった。僕は9回ほど訪ねてみたが、いささか紺も尽きてあきらめの境地になっていた。その時友人のM君に相談をしたら「結婚なんて本人次第だろう、親なんか先に死んでしまうんだから、自分の本心を通したらいいんだよ、ちゃんとやっていけばいいんだよ、」M君の言葉には妙に自信と説得力を感じ、なぜか勇気がわいてきた、「そうだ自分次第だ」と思い納得し感心してしまった、M君が普段は誰にも意見など言わない男だからインパクトがあったのだ。

 僕は行動あるのみと開き直りの境地になっていた、自分の人生なんだ、誰かに譲歩しても誰も喜ばない、もう突っ走ってやるぞ、来るなら来い、という覚悟をした。

 たまたま友人の父親が持っているアパートが空いていた、僕は決行の日をきめ、彼女と実行に移した。

 僕はとりあえず寝泊まりをする布団を用意し、彼女は1週間の着替えをバッグに入れてきた。最低限の準備ではあるがアクションを起こすには充分であった。

 その晩は静かに横になり眠れない夜を過ごした。

翌日、案の定、蜂の巣をつついたような騒ぎになり、彼女の父親は警察に捜索願を出したり、僕の母親を攻め立てたりと、右往左往していた。

 結局、周囲の人は比較的冷静で父親だけがひと通りの騒ぎをした。

 何日か経つと騒ぎは収まり2人の生活が徐々に始まっていった。

2人は勢いで始まった生活であるので食器すらもなく旅人のように時を過ごしていた、食事は外食で済ませ彼女は自由気ままに過ごしていた。

 時がたつにつれ2人は日常をとり戻し、僕も自営の建築設計の仕事に復帰した、彼女も炊事洗濯やらと普通の主婦のような生活を始めだしていた、

2人はなんとなく生活のリズムが出来上がり精神的にも肉体的にも安定を取り戻してきた、

 ある日彼女は生活に変化が欲しいと言って、かねてからやりたかった水泳教室に通いたいといった、僕は大いに賛成をして、いつでも自由に泳げるコースに入会をした。彼女は日々上達をしていき肉体的にも精神的にも健康な状態を取り戻していった。食生活も変わり以前はあまり食べなかった肉類のメニューも増え、体力もかなり感じられるようになった。

 僕も最近彼女の食生活に合わせるようになったせいか少し太り気味になった。彼女は炊事選択をこなし僕の仕事も手伝い、生活のリズムが出来上がりすっかり普通の新婚生活になってきた。

 時がたつにつれ周囲の関心も薄れ2人の精神状態もすこぶる健康的になり生活に安定度が増してきた、2人は時々外食をしたり旅行に出かけたりと自由気ままな生活を楽しんでいた。

 そんな生活が数年続き、僕はこんな生活で年を取っていくのかなと思った矢先、彼女の体に変化が起きた、どうやら妊娠したらしい、

 N病院へいくとやはり妊娠したということだった。僕は一瞬、わけのわからない衝撃でクラっと来た、その後医者の説明があり、流産の恐れがあるかもしれないということで入院を勧められた、こういう場合母親がなにかと頼りになるのだろうが、彼女は「大丈夫よ、誰でも経験することだし、自分のことだから」と気丈な顔を見せた。僕は内心申し訳ないと思いながら「そうだね」と頷いた。

 入院生活が始まり、僕は毎日のように病院を訪れた。彼女の両親のフォローがない分少しでも精神的な安心を補おうと必死に通った。

 ある日看護師さんが僕に「おじいちゃん、毎日大変ですね」と声をかけてくれた。僕は一瞬、「えー」とおもってしまったが、世間はこう見るんだなと思いため息をついた。

 やがて臨月をむかえて予定日が近づいてきた、彼女は腰の痛みを訴えて助産師さんが頻繁にさすってくれるようになった、ぼくはその様子を呆然と眺めていると助産師さんが「だんなさんはどうしたのかしらね」と要求するような言葉を発した。僕はきまずそうに「あの僕がそれなんです」と口をもごもごとさせた。

 予定日が3日過ぎた早朝、分娩室から泣き声が聞こえてきたかとおもうとそれが徐々に大きくなっていった。僕は少し興奮を覚えながら武者震いをした。間もなくドアが開くと助産師さんが「おとこのこですよ」と晴れ晴れとした声で言った。僕はほっとして全身の力が抜けていくの感じていた。戦い抜いた達成感みたいなものを感じていた。早速赤ちゃんに会うと大きく見開いた眼で1点を見つめながらやはり何かをやり遂げたような表情にも見えた。彼女も達成感と安堵感のような表情でとてもリラックスしていた。

 それから1週間が過ぎて退院の日を迎えた、僕は車で迎えに行き、彼女に実家に寄ろうかと提案したが、彼女は首を横に振った。

 家に着くと早速用意していたベビーベッドにねかせた。赤ちゃんは最初、体をよじりながらぐずったが、僕が頭をなでながらじっと見つめると穏やかな表情になり静かに瞼を閉じた。

 部屋の中が静かになると2人は顔を見合わせてため息をついた。「やっと一段落したね」と僕が言うと彼女は頷きながら手足を広げて横になった。

 2時間くらい寝たであろうか、2人は赤ちゃんの泣き声で目が覚めた。

 この時から果てしなく続くかと思われるミルクとおむつ交換の日々が始まった。この作業は昼夜なく続き親の都合など全く関係なかった。

 僕は自分の母親が「自分の子はかわいいからできるんだよ」と言っていた言葉をおもいだした。僕はかわいさも手伝って四六時中赤ちゃんに神経を使っていた。自分の年齢も体力も忘れて全力で育児に立ち向かっていた。

 毎日があっという間に過ぎていく、1日のほとんどを赤ちゃんに関わっているような気がする。その合間に仕事をやっている状況だった。

 10年1日のごとしで時間が過ぎていき、最早時間の感覚はなくなっていた。子供の生活のリズムがすべてであった。

 また子供をちゃんとした大人として自立させなければと、親としての使命感と義務感も次第に強くなっていく。

 あっという間の時間感覚で、小学、高校、大学へと進み、そして家を離れていく子供。

 そして親も安堵感と共に子供と育った魂も離れていくような気がする。これは僕もそうだが彼女も同じように感じていた、子育てへの気迫と魂が抜けた2人は抜け殻のように感情の起伏も消え毎日が夢遊病者のようにただ同居人として暮らしていくのだろうか。

 






 





 




















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