おばあちゃんは、話さない【AI生成挿絵付】
「暑い……、相変わらず暑すぎる……」
あまりの暑さに、ヘルメットを急いで脱いだ。
リュックの底に押し込んだペットボトルの水も、すっかり生温かくなってしまっている。
だが、そんな水ですら美味しく感じるほど、暑い。
実家からバイクを飛ばして2時間30分、周囲には何もないこのド田舎に母の実家がある。
5年前まで最寄りの無人駅からバスが出ていたのだが、それも時代の変化を受けて無くなってしまった。
「さて、もうひと頑張り」
飲み干したペットボトルを、いつ、誰が回収しているのか見当もつかない自販機横のゴミ箱に押し込むと、ヘルメットを被り、バイクに跨った。
蝉の声と、風の音。
明らかに不釣り合いなバイクのエンジン音が山に響き渡る。
もう20分も走らせれば、ばあちゃん家に着く。
「はぁ……」
ほんの少し憂鬱だった。
もちろん、この時期に田舎に来る理由が、エンジニアの仕事が超繁忙期だからだということもある。
オフィスを持たないフリーランスのエンジニアにとって、集中できる場所は貴重だ。
特に、実家暮らしならなおさら。
この超繫忙になると、うるさい実家から静かなばあちゃん家にいくことで業務を快適に終わらせる。
5年前から実践しているこの対策が功を奏し、今年もまたお仕事を頂けた。
業務量倍プッシュのオマケ付きだ。
ただ、それ以上に憂鬱にさせるものがある。
それは、この4年間、ばあちゃんが口をきかないのだ。
もちろん、完全に無口ということではない。
簡単な挨拶や受け答えはしてくれるし、ボケている素振りもない。
高齢にしては足腰もしっかりしているし、食事なんかも作ってくれる。
考えられる理由は、ただ一つ。
この対策を始めた5年前、この時期にばあちゃん家に来た時の話だ。
その時は、自分もエンジニアの技術的に未熟だったところも多く、今考えると少なすぎる業務量に四苦八苦していた。
当時は、ばあちゃんもよく話しかけてくれていた。
晩御飯のことだったり、洗濯物のことだったり、母のことだったり。
しかし、そんな話をゆっくりしている余裕は自分にはなく、かなり雑に対応していたことを覚えている。
「集中するためにココに来てるんだよ! 頼むから邪魔しないでくれよ!」
そんなひどい言葉を、ばあちゃんに浴びせたのを覚えている。
それくらい、余裕がなかった。
ばあちゃんの作ってくれた食事を無言で頬張り、直ぐに部屋に戻って仕事。
その言葉を発してから、ばあちゃんから何か干渉してくることはなくなった。
そんな状況になった、滞在最終日の晩。
ばあちゃんが、家からいなくなっていた。
仕事が一区切りついて、飲み物を取りに部屋を出ると人の気配がない。
慌てて探し回ったが、どこにもいなかった。
仕事で余裕がなかったこともあって、直ぐに警察に電話した。
幸い、ばあちゃんは直ぐに見つかった。
山道に向かって、一人で歩いていたそうだ。
なんでこんなことをしたのか聞いても、ばあちゃんは何も言わなかった。
表情だけは、とても悲しそうな顔をしていた。
まさにこの時から、ばあちゃんは何も話さなくなった。
田舎にある家という比喩表現がピッタリな、ばあちゃん家が見えてきた。
バイクを家の片隅に停め、エンジンを切る。
「あっつ……」
ヘルメットを取ると、少しヒンヤリとした風が首元を通り抜ける。
「よしっ!」
荷物を持つと、ばあちゃん家の玄関へ向かう。
「今年こそは、謝ろう」
何度そう思いながら、この古臭いインターホンを押しただろうか。
ピンポン、と部屋の中から音がする。
ドタドタと歩く振動音で、ばあちゃん家の無事を確認する。
「よく来たね」
たった一言。
無表情・無感情で紡がれた言葉が、さっきまでの決意を押し流す。
「うん……」
何も言えず、家へ入る。
「ごはん、今日はいらないから」
返答は、ない。
4年前からずっと同じ始まり。
まるで、録画映像を何回も見せられてるような、そんな感覚……。
押し寄せる罪悪感を打ち消すために、いつもの部屋に入るとPCに電源を入れる。
こんな田舎でもWi-Fiが使えるのは、進化の賜物だろう。
すぐに起動する高性能ノートPC。
考える余地なく、タスク画面が開く。
今の自分には、このスピード感は本当に助かる。
すぐさま、業務に着手する。
カタカタと、キーを叩く音だけが家の中に響き渡る。
誰も何もしゃべらない。
何も動かない。
本当に、ここは現実なのかと錯覚するくらい、何も音がなかった。
カタタンッ、という音が聞こえ、手を止めた。
「あ、もうこんな時間か……」
毎年聞こえる、ばあちゃんが寝所に入った音。
ばあちゃん家についてから、既に数時間が過ぎていた。
部屋を出て、台所へ向かう。
台所に置かれた机に、ずんだ餅が置かれている。
これも毎年、ばあちゃんが作ってくれる自分の大好物。
小さい時から食べている『お約束』だ。
「よしっ、決めた」
ずんだ餅を頬張りながら、カレンダーに目を向ける。
5年前、ばあちゃんが突如出かけたあの日、何があったのか。
なぜ、ばあちゃんは外出したのか。
なぜ、口を開かなくなったのか。
この原因を見つけよう。
「そうと決まれば、仕事だ」
ばあちゃん家に滞在する最終日。その前日からフリーの時間が欲しい。
それまでに、仕事をすべて片づける。
最後のずんだ餅を無理やり口に押し込むと、急いで部屋へ戻った。
最終日前日、
「ご馳走様でした」
ばあちゃんは微かに笑みを浮かべるものの、応答はない。
「あ、そうだ。今日はちょっと出かけるから」
ばあちゃんは、驚いた表情を浮かべた。
それもそうだ。出かけることなんて、この4年間で一度もなかった。
「そうかい。気を付けてね」
「あ、あの……さ……」
言葉を発した時には、ばあちゃんはもう台所にいなかった。
「ふぅ……」
気持ちを切り替えるように息を吐きだし、外に出かけた。
相変わらずの暑さではあったが、今日は近くの町に行くだけだ。
軽装が故に、大変涼しい。
近くといっても、バイクで十数分かかるのだが、この際細かいことは言いっこなしだ。
バイクにエンジンをかけ、町へ向かう。
この田舎の町へ行くのは、もう十年ぶりくらいになる。
昔は、このあたりで遊んだこともあったっけ。
古い神社があるあたり。
よく兄弟で、虫を取って遊んだところ。
渓流があるあたり。
家族で、水遊びをしたところ。
少年時代の夏の思い出。
そんなアンソロジーに浸りながら、バイクを走らせる。
「ああ、あれはなんだっけ」
少し小高い丘が見える。
何かをした記憶があるが、思い出せない。
小高い丘を過ぎると、町が見えてくる。
十年ぶりだが何も変わってないな、
なんていうことは一切なく、すっかり様変わりしてしまっていた。
テレビで言うところの、シャッター街というやつだ。
「そりゃ、バスも無くなるよな……」
そう思いつつ、ヘルメットを取る。
「あら、あんたは……」
突如、声をかけられた。
知らないおばあさんだ。
誰だろう? そんな表情をしていると、向こうから紹介をしてくれた。
ばあちゃんと仲が良く、よく一緒におしゃべりをしているのだそうだ。
「え? ばあちゃんってよくしゃべるんですか?」
「しゃべるなんてもんじゃないよ。なんていうの? 夏の蝉みたいに止まらないよ。今年もあなたが来るんだって、写真付きで何度も紹介されるから顔を覚えちまったよ」
意外だった。
寡黙なばあちゃんという印象が強すぎるせいで、想像も出来ない。
でも何で……。
「家ではほとんど話さないので、意外でした……」
「ああ、それはね……。あ……」
「あ?」
「いや、不思議だね。まあ、いろんな人がいるからね」
ゆっくりしていてね、という言葉を残して、そのおばあさんは立ち去ってしまった。
気味が悪い。
あの微妙なリアクションは何だったのだろう。
「明日何があるかって話も聞けなかったなぁ……」
町を歩いても、手掛かりらしい手掛かりもない。
さっきのおばあさんが奇跡か幻だったのか、あれ以来、人の姿すら見ていない。
「ダメだ。なーんにもわからん」
だんだんと、なんで悩んでいるのかバカバカしくなってきた。
よく考えれば、ばあちゃんとはそこまで仲がいいわけでもない。昔のように絡んで来られても迷惑だし、今の環境は悪くない。
倍プッシュでも、予定日前日に納品できるほどだ。
よく考えたら、これでいいのかもしれない……。
そう強く自分に言い聞かせ、帰路につく。
そんなに長時間滞在していたわけではないから、まだ依然として暑かった。
「あ、そうだ……」
さっき見かけた小高い丘。
ずっと心に引っかかっていたあの場所に行ってみよう。
そそくさとバイクを走らせ、丘へ向かう。
なんの変哲もない、小高い丘。
だが、見覚えがある。
町と違い、自然は大きく変わらない。
丘を登るにつれて、湧き上がる記憶。
「じいちゃん……」
丘を登ったところにある木のベンチ。
笑いながら座っているじいちゃんの姿がうっすらと見え、消える。
「ここは……」
兄弟でじいちゃんに飛びつく。その様を、ばあちゃんが嬉しそうに眺めている。
頭に引っかかる記憶の断片。
じいちゃんが死んで、すごく悲しかった。
その時に押し殺した、一つの記憶。
慌てて丘を降り、バイクに飛び乗る。
ばあちゃん家に帰ると、仕事が終わって片づけていたノートPCをカバンから引っ張り出す。
起動は一瞬なのに、早く早くと声が出る。
検索エンジンのブラウザが立ち上がる。
明日の日付と、花火……、検索。
▶関東でお勧めの花火スポット10選
▶この夏デートに行きたい花火祭り
▶あそびーな、夏の予定を決めちゃおう。
いつもは重宝するまとめサイトが、邪魔でしょうがない。
ええい、くそ。
検索キーワードに、田舎の名前を追加する。
何も出ない。
「出るだろ、バカ!」
そんなはずはないんだ。
あの丘で見た花火。きっと花火だ……。
いくつかのキーワードを入力し、検索。
そして、10通り目。
やや遠く離れた少し大きな街の名前で、それはヒットした。
毎年、決まった日付に開催される花火大会。
少し離れた場所での開催だが、あの丘から見えるのだ。
この田舎の人しか知らない、隠れスポット。
毎年、夏になるとじいちゃんが連れてってくれた、大切な思い出。
じいちゃんが死んだあの日、封印した思い出。
「そう……か……」
警察を呼んだあの日、ばあちゃんは丘に行こうとしてたんだ。
バスがないから、歩いて……。
「言ってくれたら、バイクで送っ……」
いや、無理だ……。
自分が、他でもない自分が……。
「あんなことを言ったから……」
言えるわけがない。
優しいばあちゃんだ。きっと黙ってる。
何も言わず……。
何も言わず?
「そうか……」
だから、口をきかなくなった……。
自分の為に……、邪魔になるから……。
罪悪感で、胸がぐちゃぐちゃになりそうだった。
きっとばあちゃんは、毎年花火に行ってた。
じいちゃんがずっと前に死んでから、一緒に花火を見に行ってたんだ。
あの丘に……。
でも、バスがなくなって、自分が来るようになって、警察を呼ばれて。
行けなくなった。
我慢してた。ほかでもない、この自分なんかの為に。
ずっと一緒に、じいちゃんと欠かさずにいってた花火を、行かなかった。
行けなかった。
心配をかけるから。
「くそ、なんだよ、それ」
その日、部屋から出ることはできなかった。
封印してたじいちゃんとの思い出。
4年分の罪悪感。
ばあちゃんへの言葉。
ばあちゃんは、何も言ってこなかった。
カタタンッ……。
いつもの音が聞こえる。
その日、少し準備をして、そのまま自分も眠りについた。
次の日、
花火の日、
いつもと変わらず、ばあちゃんは無言だった。
朝が終わり、昼になる。
この4年間と変わらない時間……、
ピンポン。
自分がしばらく聞いたことがなかった、室内で聞くインターホンが鳴り響く。
ばあちゃんは、何も言わずに自分で取りに行く。
「宅配便です。こちら、サイン不要です」
配達の人の声が聞こえ、ばあちゃんが段ボールを持ってくる。
なんだろう?
不思議そうな顔をしながら、箱を開ける。
「これ……」
中には、バイクのヘルメットが入っていた。
小さめの……、可愛らしいヘルメット。
「ばあちゃん、今日、花火見に行こう。あの丘にさ」
はっとした顔を見せるばあちゃん。
元々あるしわなのか、表情の変化なのかわからない。
顔をくちゃくちゃにして、ばあちゃんは言った。
「ありがとう」
「今まで、ごめんね」
やっと言えた、この言葉。
久しぶりに見る打ち上げ花火は、本当にきれいだった。