第87話 ESCAPE
廬は瑠美奈が住んでいると言っていた小屋に来た。
手入れのされていない獣道を廬は進む。この道を通るのも懐かしくなる。
時折草木で手を掠める。
『無理にとは言わない。俺は瑠美奈が心配なんだ』
もう随分と昔の気がする。瑠美奈と初めて会った日の事を思い出す。
責任を取りたくない。だが知らないふりも出来ない。
瑠美奈の面倒を見るなんて出来ないけどきっと大人しいから面倒は起こさないだろうと斜に構えていたのだろう。その時ばかりは、いつもの事なかれ主義ではなかったようだ。それは今も変わらない。
(あの日から、瑠美奈は分かっていたんだ。自分と一緒にいれば危険な目に遭う事を知っていたのに、俺が強引に連れて来た。瑠美奈が一人で死ぬか、誰かに看取られて死ぬのか。俺は瑠美奈に死んでほしくはない。だけど、死ぬしかないなら……)
小屋を見上げる。蔦や苔が小屋を覆っている。やはり瑠美奈をちゃんとした家に住まわせて良かった安堵する。絶対に病気になるし、怪我を治すことだって出来なかったはずだ。
小屋の戸を押し開く。軋んだ音と共に開かれる。
天井には蜘蛛の巣が張り巡らされて、虫が捕らわれている。
床には研究所から盗み出したのか、不釣り合いなシーツが無造作に敷かれていた。小屋の大きさは縦横成人男性の歩幅四歩程の狭い小屋。岩山に面した壁に近づく。
最近誰かが触れたのか、木で出来た壁は役割を果たしていなかった。腐り少し触れただけで朽ち果て粉となって床に落ちた。その先には確かに空洞が存在していた。瑠美奈が気が付かなかったのはどう言う事なのか疑問に思う程には呆気なく見つける事が出来た。
廬は意を決して空洞に入る。仄暗い空洞、スマホのライトで先を照らす。
肌寒い道を進む。足先から凍ってしまう錯覚に陥る。
空洞の先、開けた場所に出る。少し先には、洞窟というよりは洞穴だ。
洞穴には藁が敷き詰められている。そこで鬼が寝転がっていたのだろう。
「此処に瑠美奈の父がいたのか」
藁の近くには古ぼけた本が落ちていた。
拾い上げた本には『御代志村の鬼』と書いている。
中を開けば、文字が掠れてところどころ読めなくなっている。
本を最後まで読み切る前に声が聞こえた。
「ほお。懐かしいのう」
「!? ……妖狐」
憐の母親である妖狐が背後にいた。相変わらず煌びやかな容姿をしている。
夜の所為か妖狐は神秘的に見えた。
もっとも今が人を誑かすには丁度いい時間帯とも言えるだろう。
「その本、誰が書いたのかのう」
「……村の誰かだろ」
「じゃが村の者はみな一様に死したぞ?」
妖狐は尖った爪を本に向けて尋ねる。
最後に近いページには生き残ったのは村長の息子である若い男だけと書かれている。
つまりこの本を書き綴ったのは、若い男かもしれない。証拠がない以上、別の誰かが好き放題に脚色しているかもしれない。真実がどう言うものなのか誰も知らない。
誰も。それは人々の間でのことだ。
此処には人間以上に長生きの者がいるだろう。
「何処まで知ってるんだ」
「わしは他の者と違うぞ? 簡単に語ると思うなよ」
妖狐ならばこの本の結末を知っているはずだと尋ねる。
しかし、簡単に言うつもりはないと笑った。
「鬼はお前と知り合いだったのか?」
「知り合い。おぬしら的に言えば、悪友か。腐れ縁と言うやつじゃのう」
昔からの知り合いで鬼のして来た悪行の数々は面白いほど見て来た。
よく飽きないものだと思いながら見ていた。勿論、見ていただけで手助けなんてしていない。鬼は手出しされるのを嫌うのだ。
少しでも鬼の逆鱗に触れてしまえば、妖狐でさえ尻尾の一本でも奪われていただろうとクククっと美しい袖で口元を隠して笑った。
「どうして御代志村を襲った?」
「初めは人間が仕出かした事じゃ」
「人間が?」
妖狐は振り返り岩山に隠れたこの土地が最後だと言った。
「此処にだけ人間は立ち入っておらんのだ。鬼はこの土地に住んでおったが、突然現れた人間が木々を切り倒し獣どもの住処を荒らした。ならばこちらも荒らして良いじゃろう?」
「報復って事か?」
「わしは別に困らんでな。じゃがあの者は気にしておった。心優しく醜いほどに穏やかな鬼。おぬしらが鬼と畏怖する者は、慈愛に満ちておった」
森に住む者たちを守るために御代志村のあり方を変えようとした。木々を切り倒して動物たちの住んでいる山を崩すのではなく、共存する道を探した。
向こうが襲って来るのなら対抗しなければ死んでしまう。だから殺した。
若い男に頼んだ。どうか、山に近づかないでくれ、近づくのならそれ相応の物を持って来い。それは若い男からしたら脅迫に聞こえたのだろう。供物を用意しなければ皆殺しにすると……。
「森に入り込んだ童がおっての。その童は鬼を一目見た瞬間、礫を投げつけおった。当然、鬼は相手にせんかった。相手にせんかったが、鬱陶しいと追い払った先は険しい崖」
助けようとした。手を伸ばしたが届かなかったのだと、だから事故で死ぬ事実よりも鬼に矛先を向ける事で事態を収束させようとした。
動物たちに村を襲わせない代わりに供物で生きていくことを伝えた。
「負の連鎖。誰も想像しておらん結末じゃ」
「不器用だったのか?」
「そう。あの者にとって平和を求めていた。醜い姿をしておったが故に敵と見なされ討たれた」
「討たれた? ……もしかして今まで言っていたのは」
討たれたというのは死んだという事だ。しかし、瑠美奈や鬼殻がいるのなら死んでいない。その不自然な言葉をすぐに気が付いた廬は妖狐を凝視すると妖狐はこの世の物とは思えないほど美しい顔をして言った。
「うむ! 全て嘘じゃ!」
「……この女狐」
息子がアレなら母親もコレかと廬は頭を抱える。
今までしんみりと悲し気に語っていたのは廬を化かしたのだ。
本物の妖狐にしては粗末な化かしだが、廬を揶揄うならそれで十分だと判断したのだろう。
山をこれ以上削られない為に村の敵であろうとなんて事はなく、ただ寝床を荒らされたくないから村を襲ったと言う解釈であっているのだろうか。
「此処で瑠美奈は暮らしていたのか?」
その問いかけに妖狐は目を見開いた。
「どこでその事を?」
「なんで」
「答えるのじゃ。何処でその事を知った?」
突然、様子が変わった。
棉葉の事を言ってはいけない。そんな気がした。
「勘だ。瑠美奈の父が此処で暮らしていた。なら、瑠美奈だって寝ていたかもしれない」
絞りだした言い訳。苦しい言い訳だったような気もするが廬にはそれしか出てこなかった。
下手な動きをしたら殺される気がした。
「勘。なるほど、ぬしの勘は侮っておったか。おぬしが嘘を言っておるか」
「瑠美奈の事に関しては嘘なんて言わない。どうなんだ。瑠美奈は此処にいたのか」
「いた。……が、すぐに引き離された」
「引き離された? 研究者からか? いや、そもそも華之と鬼はどう言う経緯で知り合った。どうして」
孤児院を経営しようとした華之が山の奥地に来るなんておかしい。鬼に会うなんて事もあり得ない話ではないが、可能性は低い。会ったとしても怯えて逃げ出すのが落ちだ。
「ずっと見ていたんだろ。華之はどうやって鬼と会った」
「……死が二人を繋げた」




