第84話 ESCAPE
研究所にて。
研究所に到着する頃にはもう廬もミライも疲弊していた。別に鬼殻と対面したわけでもないのにこの無駄な労力をどうしてくれるのだろうかと忌々しく張本人を睨めば相手は清々しい顔をしている。
「糸識さん!」
研究所から駆けて来たのは、次期所長の佐那だ。
まだそれ程時間は経過していない為、代わり映えはしていない。佐那の傍には聡もいた。事情は連絡をして伝えているが詳細はまだだった。
数日ぶりに戻って来た研究所は以前に比べて綺麗になっていた。
緑の宝玉を得た佐那に文句を言う新生物がいないのだろう。物事は滞りなく進み研究所も以前より劣っているが稼働する事が出来た。
まだ一割程度しか所長としての仕事を知ることが出来ていないが、研究者に一人ひとり納得がいくまで話をしているという。
「献身的になり過ぎると破綻するぞ」
「その心配はないよ。あたしだって息抜きはしてる」
息抜きは歌う事だった。もう赤の宝玉を持ち合わせていないから魅了する事は出来ないが、好きだと言ってくれるファンの為に歌い続ける。それは息抜きにもなるし同時にファンからの資金で何とか運用出来ていた。長時間は歌えない。声が掠れて吐血してしまうが、少しならばと歌を歌う。
ちゃっかりしていると笑う。
「瑠美奈、宝玉が三つ目なんだっけ?」
「いや。青の宝玉は俺が持ってる。瑠美奈はこれを壊そうとした。自暴自棄になったんだろう」
「……そう。何があったのか聞かせて」
所長室に到着すると廬はソファに腰掛ける。
聡が部屋の外で誰も近寄らないように警備をすると言って部屋を出て行く。
何とも心強い補佐官だ。
「実は筥宮で」
「ちょっと待って」
廬が鬼殻の復活を言葉にしようとするとミライが手を出して言葉を発した。
「遮って悪いけど、先に確認したいことがあるのよ。此処にいる人達が信用できるのかという点において」
鬼殻がこの研究所で廬が持つ青の宝玉か、佐那が持つ緑の宝玉を奪いに来るというのなら向こう側のスパイがいる可能性をミライは危惧する。
その確認の仕方を佐那は気に入らなかったのか言った。
「それはこちらのセリフよ。糸識さんが連れて来たから此処まで通したけど貴方の信頼性は確認できていない」
「あたしは異世界人。つまりあたしが死ねば厄災はやって来る。きっと今までの比にならないくらい大きな。多次元衝突が起こる。一応言っておくけど、あたしが異世界人だというのは、自称ではなく証明されていること」
「証明?」
所長が座るべき椅子の上で佐那はミライを睨みつける。
「傀儡儡、稲荷憐、瑠美奈。この三人があたしが異世界人であることを了解している」
「……糸識さん、それは本当?」
「え……いや、どちらの味方をするつもりはない。だけど、俺はその場面を見ていないんだ」
「ちょっと」
「最後まで聞いてくれ。ミライが異世界人であることを儡は一切突っ込みを入れていない」
ミライが言葉を挟もうとするのを廬はすかさず訂正するように言った。
廬の知らないうちに儡や憐、瑠美奈と話をした可能性はゼロじゃないという事を前提にする。
「貴方は本名を言う事をしていない。ミライと言う架空名義で今まで過ごしてきたようだけど、此処には世間に知られてはいけない事が多い」
「……信じさせろってこと? 随分じゃない。こっちは仮にもあんたを守る為に赴いてやっているというのにね。けど、良いわ。此処でいざこざを生じさせるのは得策じゃない」
「良いのか?」
「平気よ。あたしの師もきっと同じことを言うと思う」
ミライは隠す必要もない。此処で隠して疑心が生まれるのなら面倒だと『未来失楽』と呟いた後、指を鳴らした。指先に光りの球体が生まれる空中を漂う。暫くするとそれは美しい蝶となり所長室を羽ばたく。
所長室を一周するとミライの指先に戻って来ると炎に焼き尽くされ塵となり消えた。
「初歩的な魔術だけど、魔力の消費はする。魔術を使い過ぎればあたしは死ぬ。魔力は人の生命エネルギー。あたしは優秀だけど万能じゃない。この世に存在しない技術を広めるつもりもない。この世に存在を許してしまえば、それこそ次元の衝突は阻止できない。ディメンションパラドックスが起こる」
「そこはタイムじゃないんだ」
「時間はあんたたちが過ごして来た過去、現在、未来。だけどあたしはあんたたちが過ごした過去には存在していない。突如として現れた不穏分子。あたしがこの世界で死ねば本来あたしが暮らしている。あたしの情報がある次元がこの次元に引き寄せられて衝突する。そうなれば、どうなるか分からない」
だから、ミライは厄災を知らない。五年に一度の最悪を知らない。
それは一重に知らないふりではなく、本当に知らないからこそ言える事だった。
厄災と聞けば誰もが顔色を変えてしまう事柄をミライは知らないから平然と過ごせる。
佐那は、ミライが異世界人であることは理解した。
ミライが異世界人で魔術と言う手法を用いているのなら鬼殻にも対抗が出来る。
何よりもミライは宝玉を持つ佐那を守りに来ている為、邪見に扱うのは違うと佐那は呼吸をする。
(瑠美奈がミライを知っている。……さっき魔力とか言う力を使い過ぎたら死ぬとも言った。自分の弱点とも言える事をわざわざ信用できないあたしたちに言ってくれた)
魔力が枯渇する事でミライは死んでしまう。
蝶を生み出すだけではなく他に様々な力を魔術として発現する事が出来てしまう。
「考えがまとまったのかい? 佐那君?」
棉葉は佐那を見て尋ねた。
「ミライさん、貴方を疑っていた事を謝罪するわ。ごめんなさい」
「……えっ、意外と素直に信じるのね」
ミライは少し驚いた顔をした後、廬がミライがしてくれたことを口にした。
「ミライは真弥を助けてくれた」
「天宮司さんを?」
「今、真弥は廃人状態だ。食事も出来ない。水すら飲むことが出来ない。それでも呼吸をやめないのは生きる事を諦めていないからだ。俺が偽の俺と遊んでいる間、ずっと面倒を見てくれた」
佐那は真弥とはそれ程関わりがあるわけではない。だが、噂は聞いている。
御代志町の駅員。ここ最近は見かけないとなって別の意味で噂になっている。
献身的な青年であり、廬の友人で怪我をした瑠美奈を研究所に連れて来てくれたとも聞いている。研究所でも真弥の待遇は客人でありただの御代志町の住民ではない事は周知している。
「ミライさんは、糸識さんと一緒に来た。……瑠美奈や傀儡さんたちに会っているというのなら、私は彼らの意見を尊重する」
研究所の所長になるべくしっかりと意見を持たなければいけないが、佐那にとって研究所は確かに大切だが、研究所を優先して、大切な人たちの意見を無視出来るわけがない。
本来なら自分の意思を持つべきだが、此処が未熟な点なのだろうと自嘲する。