第73話 ESCAPE
「劉子」
瑠美奈が呟いた。ぐっすりと眠っている少女。
瑠美奈は劉子と呼んだ少女に近づいて揺らした。
「劉子、おきて」
声を掛けて揺すって少し手を叩いても劉子は目を覚まさない。
「その子は、景光の相棒って聞いたけど」
「うん。劉子は小田原さんといっしょにえんせいにいってた。いらいゆくえふめいだったの……こういしょうは、にじゅうじかんねてないとだめ」
「に、二十時間!? それが後遺症なのか?」
劉子は二十時間の睡眠しなければ身体に異常が生じる。
起きて生活できるのは一日のたった四時間。
ならば、瑠美奈がやっている事は意味がないのではないだろうか。もう既に四時間の生活を終えて二十時間の睡眠をしようとしている可能性だってある。しかし、廬の考えは杞憂に終えた。
「んっ……誰です」
「瑠美奈」
「瑠美奈? ……瑠美奈、ああ、瑠美奈さんでしたか」
むぅと一度は不機嫌な声色を放ちながら起き上がる。
目を擦って相手を確認すると「おや、貴方もいたです」と廬を見て頭をぺこりと下げる。
「おはようです」
「おはよう、劉子。さっそくでごめんなさい。だけど、おねがい憐たちがどこにいるかおしえてほしい」
「憐さんいないです? 生憎知らないです。どうかしたです?」
「生きているかどうか確認したい。他にも民間人が景光に誘拐された」
「……? わかったです。お二人とも、何やら只ならぬ様子です。是非手伝わせてほしい……で、す……」
言い切る前にこくりこくりと舟を漕ぎ出す。
「劉子!」
「んはっ! 寝てないです!」
ぱっちりと目を開いた劉子は椅子から立ち上がり背伸びをした後、周囲を見回して「ここ、何処です?」と呟いた。
「知らないのか?」
「最後に見た景色は……覚えてないです」
飛び飛びの記憶を必死に探るも電車に乗ったり、公園のベンチで放置されていたり結構不憫な事になっていると廬は劉子に同情する。
「私、景光さんのバディです。どうして一人です?」
「……おいていかれた?」
「むっ。許せないです!」
拳を握ってぬぐぐと怒っているが可愛らしい所為で怒っているのか分からない。
「外出るです!」
ズンズンと劉子は仄暗い部屋を出て行く。
廊下に出て来ると日が沈んでいた。
「侵入者アリ侵入者アリ」
居なかったはずの自立防衛機が突如として現れた。
廬たちを取り囲むようにガタガタ機械音を響かせる。
「なんだ、こいつら」
「警備システムです。侵入者を見つけたらボンッと一撃をお見舞いしてくれるです」
「つまり」
「逃げるです!」
劉子は廊下を駆けだした。その後を慌てて瑠美奈、廬と続いた。
「ボンって爆発するのか? 仮にも企業ビルだろ」
「特異能力があるです。もみ消す事は簡単にできるです」
「んな無茶苦茶な事があるのかよ」
後ろから迫り来る自立防衛機。
劉子曰く自立防衛機には生身の身体が触れてしまえば感電死するほどの高圧電流が流れる。
侵入者を容赦なく殺す脅威的な殺人兵器が企業ビルの最上階に徘徊している事も問題だろうと廬は瑠美奈を抱き上げて走る。
「廬!?」
「まだ走るのは難しいはずだ」
治っていると言ってもどれだけ走れるか分からない状態で瑠美奈を走らせるのは転んでしまうと危惧した廬は膝をすくい上げるように抱き上げた。
「うぉ〜。劉子にもしてです」
「悪いが、君は走ってくれ」
「……デス」
流石に少女と言える体型をしていたとしても廬では二人を抱える事は不可能だ。
その為、先ほどまで寝ていた少女と足を生やしたばかりの少女なら後者を選ぶのは仕方ない話だ。
「こっちです!」
自立防衛機がギリギリ入る事の出来ない狭い扉の会議室に入り込む。
がちゃんがしゃんと機械のぶつかり合う音が聞こえる。耳を劈くような音が聞こえる。互いの高圧電流によって故障したのだろう。
損傷した部品の一部が瑠美奈に飛んでくるのを廬は咄嗟に庇い腕を貫いた。
「ッ……」
自立防衛機が捜索を諦めたのか再起動して巡回を再開した。
暫くして自立防衛機が遠く離れて行くのを確認した後、殺していた息を吐いた。
「廬……けが」
「大丈夫だ」
「任せてです」
「なにをっ」
劉子が手を上げて名乗りをあげるとビリビリと廬が着ている上着の左袖を裂いた。
突然なんて事をするのか言う前に袖を破るほどの握力があるのかと廬は絶句した。
血が出ている左腕にきつく巻き付けた。きつくし過ぎたのか廬は少し声を殺した。
「これで暫くは平気だと思うです」
「あ、ああ……ありがとう」
少し原始的な気もするがないよりはましかと廬はお礼を言った。
「それにしても困ったです」
「何か問題でも?」
「いや~。なんか、劉子も敵視されてるです」
「は? お前は此処の関係者なんだろ?」
「のはずなのです。可笑しいです」
(俺たちと関わったから敵対したって言うのか? 少し話をしただけで敵対視するのか。神経質すぎじゃないのか)
ちょっと話をしただけで敵対するなら余りにも神経質だ。
劉子は「可笑しい、可笑しい」と首を左右に揺らしながら悩んでいる。
「問題は?」
「ないと思うです。だけど二人を案内するには難しいです」
「ぼうえいき?」
「です」
無数の自立防衛機が徘徊している中、劉子は移動するのは難しい。
「どこを向かう予定だった?」
「エレベーターホールです」
「エレベーター?」
「です。最上階は表向きでしか機能してないです」
最上階はフェイクであり、確かに重要情報は此処で更新されているが、それも一部でほとんど制限されている。
本拠地へ向かう頻度が多ければ場所がバレてしまう。だから、多くは面倒でも最上階まで来て情報を更新する。
「本来は地下にあるです」
「地下って……」
上に行ったり下に行ったり忙しない事だと廬は額を押さえる。
だが此処で呆れても仕方ないと今は自立防衛機をどうにかするのが先決だ。
廬は会議室の周囲を見回した。色褪せて使われなくなった紙切れが散乱しているだけでこれと言って使えそうなものはない。
廊下に出て鷹兎のいるエレベーターホールまで行くには自立防衛機を処理する必要がある。
「こまった」
「です」
少女が二人互いに腕を組んで「んー」と唸っている。
瑠美奈たちは会議室内で何か使えるものはないか改めて探し出す。
「ふふ~ん。お困りかにゃあ?」
「!? ……猫」
何処からともなく猫の声が聞こえた。やはり姿は見えない。
「自立防衛機をどうにかしたい」
「そんな事かにゃあ。んにゃら何も悩む事はにゃいだろう。相手が機械である事を前提にしてしまえば何も問題じゃにゃい」
「叩けって言うのか」
「それは機械を直すときに使う手法にゃあ。オマエは直したいわけじゃあにゃい」
その先を言う事なく猫は話さなくなる。
(直すんじゃなくて壊す……ハンマーでもあるのか)
「廬! これつかえない?」
瑠美奈が見つけたのは段ボールだった。重たいのだろう瑠美奈と劉子は必死に引きずって来る。
段ボールの中には幾つもの消火器が入っていた。
「この中に水入ってるです?」
「いや、消火剤って言う粉末が入ってるんだ。それを噴射して火を消すから」
残念だけどと言おうとした手前、廬は不意に思いついた。
「自立防衛機は本来、内臓されたカメラで標的を視認してAIシステムで分析をして侵入者かどうか判別する。そのレンズを曇らせる事が出来れば……もしかしたら」
「……?」
「……?」
瑠美奈と劉子は分かっていない様子で首を傾げる。
「消火器を防衛機に向かって噴射するんだ。そうして攪乱する」