第72話 ESCAPE
廬は偽廬の事を瑠美奈に伝えた。華之の件も含めて廬は全て研究所であった事、誘拐されたあとの事。A型0号の事も全て瑠美奈に伝える。
瑠美奈はA型0号の事を知らなかった。当然、瑠美奈が生まれる前のことだ。知ってる方がおかしい。
イムの入ったリュックサックを肩にかける廬。瑠美奈と来たのは誘拐されて閉じ込められていたビル。摩天楼に続くビルを見上げていると入り口を警備していた警備員が訝しみ、こちらに近づいて来る。
「君たち、どうかしたのか?」
突然声を掛けられ驚いた瑠美奈が廬の背後に隠れる。
廬はそんな瑠美奈を庇いながら「小田原景光って男を探しているんです」と警備員に言う。
「小田原? 残念だけど、このビルで働いている人はたいてい知っているが、そんな名前の男は知らない」
新生物が身を隠す為に使っているビルだ。警備員が知るわけもない。
憐のように新生物至上主義だった場合、知られない為に隠れているだろう。
警備員は景光の存在を否定して「ささ、此処から離れなさい」と追い払おうとすると別の警備員が声を発した。
「ああ、大丈夫ですよ。彼らはこのビルの関係者です」
「え? そうなのか?」
警備員の帽子を目深く被るその人は「ちゃんとこのビルの最上階にある企業の関係者ですよ」と伝えた。
「お前、三日前に来たばかりだろ? どうしてそんな事が分かるんだ?」
「丁度今朝、稲荷さんと言う方に客が来るかもと言われていたんです。なので僕が彼らを案内します。此処をお願いできますか?」
彼の物言いは強制的で拒否権を奪った。その為、「あ、ああ」と初めに話をしていた警備員はその空気にのまれて頷いた。
「さあ、行きましょう。案内しますよ」
警備員はビル内に入る。
受付を通すことなく警備員の後を追いかけるしか出来なかった。
時折、すれ違う社員に「お疲れ様です」と帽子のつばを持って頭を下げる。
エレベーターホールでエレベーターを待つ。
チンっと誰も乗っていないエレベーターがやって来る。
「どうぞ。乗ってください」
にこやかに言う男に廬は警戒しながら瑠美奈と共にエレベーターに乗り込む。
エレベーターの扉が閉まり、警備員は「5」「3」「6」「4」「7」の順番にボタンを押した。するとエレベーターは何処の階にも止まらずに上に昇っていく。
「このエレベーターは少し特殊なんです。隣のエレベーターには実装されていない機能で、特定のボタンを押す事で最上階に行くことが出来ます」
「……俺たちの事を知っているのか」
「はい。お二人の事は伺っています。だから僕はお二人を安全に最上階にお連れする義務が生じているんです」
「あなたは、だれ?」
コンソール前に立っている為、緊急停止ボタンを押す事も出来ない。もしも彼がなにか仕掛けて来たら廬たちは一網打尽に遭うだろう。
瑠美奈は廬の背に隠れながら尋ねた。
「僕は、祈鏡鷹兎と申します」
クルリと振り返り帽子を取って頭を下げた。その瞳は左右の色が違っていた。
緑色の右目、黒色の左目。
その双眸が優しげに細められた。
「どうして俺たちを最上階に連れて行こうとする」
「只ならぬ様子だったので、お節介でしたか?」
お節介で最上階に連れて行くと言うのか。
「誰に俺たちの事を聞いたんだ」
「それはお答えしかねます。ですが、誓って僕自身はお二人に危害を加えるつもりは毛頭ありません。お二人を出し抜こうものなら僕自身が肉片となって死んでしまうでしょう」
答える事は出来ないが、鷹兎は二人の味方だと意思を向けた。
「もしその事を信じてくださらないのでしたら、僕を傍に控えさせてください。僕は一切の脅威にはなりませんが、肉盾にはなれると思います」
「……それで良いのか」
「良いとは?」
「自分の身を差し出してまで信じてもらう理由はなんだ」
「罪滅ぼしです」
犯した罪を告白する事は出来ないが、鷹兎がしている事は二人の事を教えてくれた相手への罪滅ぼしである。だからこそ、二人を安全に案内して、安全に地上に連れて行くことが鷹兎の仕事だと言う。
チンっと最上階に到着する。
そこは廬が見た事のある景色だ。廬が仄暗い部屋から出て来た時に見た景色。
「僕は此処で待っています。大丈夫、決して此処から離れたりしません」
「べつにうたがってない。あぶないならにげてくれてもいい」
瑠美奈が鷹兎にそう言って廬と共に奥に行く。
長い廊下を歩くと廬が居たパソコン室に行きつく。そこでA型0号の事を知ったのだと瑠美奈に言い部屋に入る。例のパソコンは起動していない。
電源ボタンを押しても微動だにしない。
「うごかない?」
「ああ、ダメみたいだ」
その情報を見る事で何か変わると思っていたが現実は甘くないのだと実感する。
「そうだ。瑠美奈、猫って奴は知ってるか?」
「猫?」
猫。姿の見えない男の事を廬は瑠美奈に尋ねるが瑠美奈は知らないようで首を横に振った。
瑠美奈がA型全員知っているなんて思っていない。B型は知っていてもA型を知っていたら瑠美奈は物知りで怖いもの知らずだ。
「廬がとじこめられていたへやにいってみたい」
「行けると思うが、何もないと思うぞ……?」
「わたしのしてんから、えられるものがあるかも」
「ああ、確かにそうだな」
ただの人間では分からない事でも新生物なら得られることがあるかもしれない。
パソコン室を後して廬が隔離されていた部屋に向かう。
廊下を歩いて行くとどこか不思議な感覚に苛まれる。
「このかいそうだけ、ふつうのかいそうとちがう。きがする」
「どんな風に?」
「うまくいえない。だれかのちからのきがする」
「力。特異能力でこの階層が作られてるのか?」
「たぶん。だから、もうだれかにわたしたちがきているのはバレてる」
予想の範囲内だった。誰かに気が付かれていないわけがないと廬も思っている。
「あ、そうだ。瑠美奈、先にこれ」
廬はポケットから可愛らしい包み紙を取り出した。
瑠美奈は首を傾げてそれは何なのか尋ねる。
「瑠美奈の為に作ってもらったんだ」
カラフルな髪飾り。赤、青、黄色、緑の花びらが用いられて作られた髪飾り。
「きれい」
瑠美奈は受け取るや髪を束ねてまとめ上げた。
長い髪、いつも見えなかった瑠美奈の背中や首筋に廬は目を逸らした。
内気な女の子が髪をまとめ上げるだけで活発な女の子に見える魔法のような現象に廬はぽかんとする。
「だめ?」
心配そうな顔をする瑠美奈に「すごい似合ってる」と嘘偽りない言葉を贈ると嬉しそうに口元を緩めて「ありがとう、廬」とお礼を言った。
女性店員の思っていたシチュエーションではないと思うが窓の外は美しい景色が広がっているから許してほしいと心の中で謝罪する。
気を取り直して歩き出す。
廬がいた地下室。扉は抵抗なく開いた。廬が開いた時のままになっているようだ。
扉を開けた先にいたのは一人の少女。