第68話 ESCAPE
廬の実家にて。
廬は目を覚ました。畳に横になって眠っていた所為で身体が痛い。昨日と今日でだいぶ身体を酷使していると溜息を吐いた。
「……?」
不意に廬は自身の身体に毛布が掛けられている事に気が付いた。母親が掛けてくれたのだろう。それ以外に考えられない。
当の本人は数年前の曲を口遊みながら昨夜廬が作った料理を温めている。
「おはよう、廬!」
「……はい」
素っ気なく愛想もなく廬はそっぽ向いた。
もう十分だろと言いたくなる程廬の気持ちが急く。
朝食を取り終えて母親が仕事に行くかと思えば、金持ちの彼氏で働かなくても良いと思い仕事を辞めたと言う。とんでもない事だと廬は呆れ果てる。
「就職活動しにいきますよ」
思い立ったが吉日。廬は母親を更生する為に時間を割く。でなければ何処で見ているかも分からない偽廬に文句を言われてしまう。
母親を連れて職業安定所に向かう。
なんで自分がこんな事をしなければならないのか。いつ厄災が来るかも分からないのに一般人である母親の相手をしている暇なんてない。
急く気持ちを誤魔化すために視線を彷徨わせる。
母親が担当者と話をしている間、仕事案内板を眺めていた。ただの会社員だったはずの廬が政府の人間として研究所の研究者。
誰も信じない。わらしべ長者じゃないが、一介の会社員が少女を見つけただけで、こんな事態に巻き込まれる。巻き込まれに行った。
(それで後悔がないって言うんだから俺も大概だ)
母親はその日に面接を受ける事になった。そんな速足で大丈夫なのかと担当に尋ねれば「いつもは二三日、待つんですがタイミングが良かったですね」と笑顔で言う。
伝えられた職場は自宅から自転車で行ける距離の生花店だった。
かつてはフラワーデザイナーを目指していたこともあり、生花店がヒットしたと言う。
まさか母親がフラワーアレンジメントが出来ると思わなかった。
「全部機械で処理出来ても、デザインだけはまだ人の手で行われている事なので、機械には人の心を体現する事は出来ませんからね」
造花などは機械で簡単に処理できるが生花は機械でやってしまうとへし折ってしまう可能性があり、乱暴に扱われてしまえば商品にもならない。
母親もその資格を持っているから面接を受けることができた。
職業安定所を後にして言われた生花店に向かうその道すがら母親は言った。
「廬のお父さんと会ったのも、生花店でバイトしている時だったのよ」
「そう……なんですか」
当時、父は別の女性に告白しようと綺麗な花を必死に眺めていた。
その花屋で働いていたのが母だと言う。
父は彼女の為に気に入る花を探して、その手には花言葉を集めた図鑑を持っていた。ありったけの幸福の言葉を集めた花束を頼んだ。
まだ互いに好意はなかった。その日から毎日花を買いに来ていた。女性に花を贈ると言うロマンチストな一面があったのだと母親は思い出して笑った。
その事は廬も知っている。父は出張から帰って来るといつも花を買って来る。綺麗なピンクの花だったり黄色い花だったり、種類は様々だ。
そうして、日にちを重ねていくうちにその熱心さに、情熱さに母親は惚れたのだ。
彼が女性にふられてしょぼくれた様子で店に来た時には互いに打ち解けて他愛無い話をするようになる程の間柄だった。そして、気晴らしにと母親から誘った。もう恋人は作らないと言った為にその気がない事を承知で友人として接した。
だが、互いに惹かれ合うのに時間はそれ程かからなかった。
一年間、友人として過ごしてきたが、彼は母親に恋していた。自分からもう恋人は作らないと言っておきながらどうしようもないと呆れられて相手にされないかもしれない。それでもこの人を離してはならないと直感したその日に告白をして交際を始めた。
母親の方も既に好意的であったために交際は順調だった。花を買い喜ぶ顔がみたいと必死だった。
母親は花を選ぶ顔が好きだったが彼の元カノは金にならない物なんていらないと突っ撥ねた。
それでも飽きる事なく贈り続ける事で振り向いてくれると信じていたが、所詮金目当て。
「今の貴方のようですね」
生花店に向かっている間、その青春の日々を聞いていたが、元カノとやっている事は同じだと廬は言う。父親が死んで変わってしまった。金だけが全てなんて思ってしまった。
「そうね。貴方を蔑ろにした事は悔やんでる。本当にごめんね……廬」
「別に俺はもう貴方と関わりたくない」
関わらなければ、儡たちが危ない。
しかし、謝って済む話でもない。
繁華街にある生花店。自立防衛機が頭の上でじょうろを傾けて花に水を与えていた。契約している防衛機はそう言う使い方もあるのかと感心する。
「いらっしゃいませ。贈り物ですか?」
「面接に来たのだけど」
「あーはい! 伺っております。糸識さんで間違いないですか?」
母親が面接をする為に店の奥に行く。
「ナニカオ探シデスカ?」
「あ、いや。見てるだけだ」
「ソウデスカ。ゴユックリ」
「ああ、ありがとう」
廬は瑠美奈の為に、見舞いの花でも持って行こうかと思ったがきっと儡が気を利かせて持って行くだろうと思い手を引っ込めた。
発達したご時世に花をプレゼントするなんてどうかしている。
価値のあるモノを与えなければ振り向いてくれない。
「彼女などに髪飾りなんていかがですか? 生花を使った髪飾りですよ」
店番をしていた女性店員が廬に言う。
花びらやクローバーなどを加工して髪ゴムとしてクラフトするサービスをしているらしい。瑠美奈は髪は長いが、一度切ってしまえば二度と伸びて来ないだろう。
万が一鬼化の際、邪魔で衝動的に切り落としてしまうかもしれない。
儡だってそこまで気は回らないだろうと変なプライドが廬の中で生まれた。
「じゃあ、一つ。お願います」
「はい! それでは彼女さんの好みなどをお伺いします」
女性店員は嬉しそうに笑みを浮かべて瑠美奈の好きな物を尋ねる。
だが生憎と廬は瑠美奈の好きな物を知らない。宝玉の事で頭がいっぱいで瑠美奈の事を深く知る機会はなかった気がすると若干焦る。
此処で儡か憐がいたら即答するに違いない。
「すいません、何も思い浮かばなくて……」
「それでしたら、貴方のお好きな物を伺います」
「俺?」
「はい。相手の方もお客さんの好きなものが知れて嬉しいと思います。それにプレゼントを贈って嬉しくないなんて事、絶対にありませんからね」
瑠美奈ならば手放しで喜んでくれるだろう。高級な髪飾りじゃなくても、そこらへんに生えている草花ですら喜んで「かわいいね」「きれいだね」と言ってくれるに違いない。
それではダメだ。瑠美奈が心から喜ぶ事をしてあげたい。
廬は必死に瑠美奈の事を考える。瑠美奈が好きな物、瑠美奈が大切にしている物、色、場所を思い浮かべて口にする。
その間女性店員は、メモを取りながらもその笑みは絶えなかった。
廬が言い終えると女性店員は「作ってきますね!」と元気に店の花をいくつか選んで奥に入っていくと入れ違いに母親が戻って来る。
「それじゃあ、連絡をお待ちください」
「よろしくお願いします」
面接は終えたようで店から出て来る。
依頼した物は明日取りに来ると先に支払いを済ませて予約票を受け取り店を後にする。
「廬、お腹空いてない? 何処か食べに行かない?」
「無駄使いをしないでください。自炊した方が安上がりになります」
「えー。だって私、料理下手だし」
「……なら俺が作ります」
下手なんて言えないほど、料理は上手だったはずだ。それなのに今まで詐欺師に甘やかされていた所為でその事も忘れている。確かにちゃんと資格を持った料理人が作るご飯は美味しいだろう。美味しくて当たり前なのだ。しかし母親は資格を持っていないのに美味しいご飯を食卓に並べてくれた。
「ねえ、廬」
廬が追憶の中にいる最中、母親が声を掛けた。
「何ですか」
「一緒に暮さない? 今後はちゃんとする。今度こそちゃんとお母さんとして貴方と暮らしたい」
「……冗談でしょう? 俺が幾つか知っていますか? もう二十七ですよ? 三年もしないで三十になる。独り立ちはしているんです。貴方だってちゃんと過ごせば幸せだったんですから」
「一人になりたくない。お願い廬。もう貴方の嫌なことはしないから」
「俺は貴方とは一緒にはいられない」
研究所の仕事だって民間人である母親に知られるわけにはいかない。巻き込めない。
一緒に暮らしたって、良い出会いなんてないだろう。廬だって動きづらくなるのは目に見えている。
「……この際ですから言っておきます。俺は貴方に一切の情はない。今だって仕方なく相手をしているだけなんです。酷い言いようだと叱っても貴方の行いが今を招いた事に変わりないんです」