第65話 ESCAPE
『A型0号』
それは突然変異として決定づけられた個体。顔のない少年。
誰でもない存在として名付けられたのは『無名』であり所在不明なのは研究所に輸送中、事故に遭い。運転手は死亡。連鎖的に同行車両も爆発してしまい無名が生き残ったのかすら不明。死体すら残らず燃え尽きた可能性もあるがそれでも何かしらの痕跡を残しているはずとして現在も秘密裏に捜索中。
他にもA型1号の鬼頭鬼殻の事も記載されている。
『A型1号:鬼頭鬼殻』
事実上、新生物の始まり。
後遺症は潔癖症であり、力は形状変形。
説得力のある言葉を言う所為で誰もがついて行く。
しかしその反面、彼は自分の美意識に敏感なのだ。自分が美しくあるべく、自分が完璧で無くては許されない。醜いものを見ると原型をとどめないほどに滅多打ちにする狂気的な一面を持ち合わせている。
実の父親を殺して、血の繋がった妹に喰わせた異常者。
その理由は、至極全うとは言い難かった。
妹はまだ後遺症を発見されていなかったが、父を喰わされた事により力が暴走し後遺症が発症した。
どうして鬼殻は瑠美奈に父親を殺して喰わせたのか、理由は分からない。
「……!」
スクロールをすると『A型2号:糸垂棉葉』と言う文字が出て来た。
棉葉の情報まで記録されているなんて思わなかった。
棉葉は人を目視するだけでその人の今後と棉葉との関係を知る事が出来る力を持っている。一年間の記憶しか保持する事が出来ず、それでいて対象を見るだけで忘れた記憶の一部を情報で得る事が出来る。
人と言う無数のネットワークに接続するその力は敵にも味方になる。
その為、多くの機関から狙われていた。
研究所からも距離を取ってヴェルギンロックに身を隠していたのだろう。
「苦労していたのか」
何だかんだ棉葉も苦労していたのだ。知らないのに知り過ぎて狙われる。
だから、ヴェルギンロックの店主に無理を言って泊めてもらっていた可能性がある。そして、研究所の動向を見守っていた。
様々な情報がある中で偽廬の情報はなく、死んだ新生物の特異能力や後遺症も事細かに記されていたとしても、何処にも他人の容姿を真似ると言った力を持つ者はいない。
偽廬の事は何も書かれていなかった。
「なにかお探しかにゃあ?」
すると再びあの不気味な声が聞こえた。周囲には誰もいない。それなのにはっきりと聞こえる。すぐ横にいると思うほど近くから声は聞こえる。だがその姿はない。
「……お前は新生物なんだろ」
「そう。つまりそう言う事だにゃあ」
「そう言う事か。番号は?」
「教えて欲しいのかにゃあ? 教えても良いが、その代わりオレに何を齎してくれる?」
知りたければ廬がその相手に何か利益のある事をしなければならない。
当然の事だと相手は言う。初対面で何を求めているかなんて分からない廬では答える事が出来ずに時間切れとばかりに言う。
「何もにゃいって言うならオレの完璧な情報は教えられにゃいって話だにゃあ。もっともオレに訊かずともその機械をちょちょいといじくれば簡単に出て来ることだにゃ」
言葉を終わり切るとマウスが勝手に動きだしスクロールされる。棉葉のすぐ下の項目には『A型3号』と記されている。
『A型3号:猫』
姿の見えない新生物。いつ生まれたのかすら定かじゃない。
何故なら見えない事が猫の後遺症だと言う。
意図して消しているわけではない。存在希釈と言う後遺症。
猫の姿が見えるのは満月の夜だけであり、その他の日はどう頑張っても猫の姿を見る事は出来ない。
気ままな様子から『猫』と名付けられた。
何か利益がないと教えないと言いながら情報を開示してくれる。
「どう言うつもりだ」
「未来の投資だにゃあ。オマエがオレを楽しませてくれるのを期待しているだけだにゃあ。もしオレが退屈だと感じた日にはオマエをズタズタに引き裂くからそのつもりでいるにゃあ」
「……物騒だな」
「そうしにゃい為にオマエはオレを楽しませるしかないにゃ~」
けらけらと笑う声が聞こえる。
心配しなくとも廬の行動を全て見ているわけではない為、近くにいるときは声を掛けると猫は言った。
「それよりオマエ、このまま此処に居続けると面倒な事ににゃるぜ」
「面倒なこと……俺を此処に連れて来いと言った奴か?」
景光は言われただけで廬自身に何かさせたいわけじゃなかった。
景光を指揮している誰かがいる。その人物があの部屋に向かい廬が居ない事に気が付けば探すのは明白。どれ程歩いたか知らないがこの廬がいるコンピュータ室にやって来るのも時間の問題だ。
「出口は?」
「オマエにもっと根性があれば、すぐだったにゃあ」
この部屋から出て廬が歩いていた方向に向かえばすぐだと猫は言った。
「ほんじゃオレはここいらでおさらばするにゃあ」
そう言ってパソコンが勝手にシャットダウンされてしまう。まだ調べ足りなかった気持ちがありながら早くこのビルから出なければと廬はその場を後にする。
窓が濡れていた。雨が降っている。
ホテルまでにずぶ濡れにならないと良いがと廬は出口を探す。
猫の言っていた通り廊下を歩き進めるとエレベーターと非常階段があった。
廬はエレベーターで鉢合わせてしまう事を危惧して非常階段を使い一階に下りる。
廬を此処に連れて来た人物の事も当然気になるが、それよりも今は儡やさとるに会い。新生物が拠点としているであろうこのビルの事を伝えなければと気持ちが急いた。
非常口の扉を開くとそこは普通の人が働く企業ビルのフロントだった。
受付で要件を言う来客、スーツ姿の会社員が忙しなく歩いている。
「コンニチハ! コンニチハ!」
企業契約された防衛機が明るい声で会社内を警備している。
「不審人物ナシ! 不審人物ナシ! 午後モ平和デス!」
廬の横を防衛機が通り過ぎる。
廬が捕えられていたビルは、ただの企業ビルであり新生物が根城にするには少しひと目に着くのではと廬は首を傾げる。だが新生物はほぼ何でもありなのだから特異能力でどうとでも出来るのかもしれない。
雨の中、走るのは気が滅入ってしまうが仕方ないと覚悟を決めて廬はホテルを目指した。
ばしゃばしゃと水飛沫が廬の服を汚す。走っているがホテルまではまだある事に廬はうんざりする。
「……景光、今度会ったら一回でもぶん殴ってやる」
珍しく攻撃的な思考になってしまうのも仕方ない。
まともな対話は彼らには望めないのかもしれないと思い始めて来る。
なんて言ってもただ連れて来るだけなら廬を気絶させる必要はなかったはずだ。
新生物を支配している相手が廬に用があるのならそれを事前に伝えれば廬だって少しは考えただろう。
そもそもにして景光に依頼したのが問題だファーストコンタクトが最悪だったのだ。
もし対話から始めても警戒されて廬は一切話を聞かない可能性もあった。つまり、そう言った面倒事を徹底的に排除した結果の気絶と言う選択をしたのだ。合理的なのか何なのか。
そんな数多を考えながら儡たちのいるホテルを目指していると見慣れた土地である事に気が付いた。
幼少期の頃、廬が遊んだ公園があったのだ。かつての記憶とは違い手入れが行き届いていないのか遊具は錆びていた。
そんな寂れた公園は雨という事もあり子供は遊んではいないが、違和感はあった。
「……母さん」
美しく着飾った姿は今日が本番と誰が見ても分かる。
そんな女性がベンチに腰かけて俯き泣いていた。
廬の母は涙でも雨でも濡れたハンカチを握りしめていた。
このまま放置したら優しい誰かが声を掛けるか、誰にも相手にされずに素直に家に帰るだろう。
もしくは、また悪い男に引っ掛けられて破滅するか。
「はあ……」
廬自身がもう関わりたくないと言っておきながら無視できないのは血の繋がりがあるからなのだろうか。
「何をしているんですか?」
「! ……廬」
気が付けば廬は母親の前に立っていた。雨で濡れた上着だがないよりはましだろうと母親に被せる。
「彼氏に騙されていたんでしょう」
「……っ」
母親は静かに頷いた。結婚詐欺だったのだ。
金持ちと装って馬鹿な女を騙して有り金を持ち去る悪質な詐欺師。
彼女は父親が死んで愛に飢えていた。面倒を見れない息子を抱えて孤独だった。