第58話 ESCAPE
華之のもとへ駆けつけると妖狐にもたれる華之がいた。
「華之さんっ!」
「喧しい。静かにせんか馬鹿者」
妖狐にそう言われて言葉を飲み込む。
「血の流し過ぎじゃ。血を流したまま絶叫マシンにでも乗ったのか?」
「血を流したまま最上階から階段を使って下りて来た」
死期を早めたと妖狐は言う。
「もう永くはない」
「そんな……っ」
呼吸をしているのも奇跡で血を流して朦朧とする意識の中、華之は妖狐に言った。
もしも自分が死んだら、その死体は瑠美奈に食べさせてあげて欲しいと……。
「瑠美奈に?」
「もう貯蔵庫は意味がないんじゃろ? なら合理的じゃ。それも死にたてじゃから娘子も満足して貪るのではないか?」
「っ……生かす方法は?」
「ない。そもそもこの女は寿命を偽っておるからのう」
「どう言う事だ」
「薬品で自身の肉体年齢を維持しておった。その薬も先月底を尽きたでな。本来なら薬の効果が切れて肉体維持が叶わんはずじゃったが、やせ我慢か。意地を張ったのか。今日この時まで生きておった」
「そんな事って……あり得ない」
「生憎あり得るのじゃ。なんて言っても千年先、生きたモノもおる。おぬしの足を治したのもその処方が用いられておる」
華之が長生きできるのも、佐那が歩けるのも怪物の力を借りての事だ。
だがもう華之は生き続けられない。
「その薬! 今どこに? あたしが持ってくるだから、先生を助けて」
「何処にもない。生憎と品切れじゃ。なに分成分が十年ほど前に尽きたからのう」
「成分は……鬼か」
「ほぉ、小僧にはわかるのかえ? だがまあ、そう言う事じゃ。鬼が死んだ。鬼の成分で長生きしとったが生憎とその鬼も死んだ。薬を精製出来ずに責任者殿も死ぬ」
「そんな……そんな、だって先生が死んじゃったら」
「新生物どころかわしらもタダでは済まされんだろうな」
所長が消えた研究所は政府の指示で撤去されるだろう。
その所為で最下層で隔離されている怪物も解放されて此処一帯は荒れ地になる可能性がある。
「あ、あたしが、研究所を引き継ぐ!」
「できるのか」
「わかんないよ! だけど……やらないと家族がバラバラになる。それに瑠美奈だってこんな事許さない。瑠美奈なら無理でも引き受けると思うから、瑠美奈が苦労してるのにあたしだけ何もしないなんて絶対に嫌」
瑠美奈ならきっとそうする。瑠美奈の為にするのだと佐那は宣言する。
誰かの為と言う不純な理由だとしてもそれで研究所が維持できるのならと佐那の決意は変わらなかった。
佐那がやって文句を言う人は多いだろうが存続する事で御代志町を守る事が出来る上に佐那ならば研究所をより良いものにしていくことが出来る。
「まるで私が死んだような扱いですね」
「! 先生っ」
華之はまだ息が合った。少しだけ目を閉ざしているだけだったのだ。
妖狐の肩を借りて立ち上がり「ありがとうございます」と妖狐から離れた。
霞んだ瞳はもう視力は失い何も見えていない。衰えて結局、薬が無ければ生き続ける事は出来ない。
「襲撃者は?」
「消えました。すいません」
「そうですか。わかりました。水穏さん。貴方は今から海良さんに会いに行ってください。その後は海良さんが全て知っています」
「は、はいっ」
華之は海良に会いに行く方法を伝えると言われたまま駆け出した。
光線銃はどうするのか尋ねれば廬が持っていて良いと言われて駆け出していく。
若さ故なのか既にもう姿が見えない。
その場に残された廬は華之の言葉を待った。
華之は佐那がもう居ない事を妖狐に尋ねて、もう姿がない事を確認した後、廬が居るであろう方を見て言った。
「貴方を巻き込んでしまった事をお詫びします」
「詫びなんていらない。俺が欲しいのは瑠美奈の食事だ」
「それは先ほど彼女から伝えられたように私を瑠美奈に渡してください」
「瑠美奈がその事に気が付いたら半狂乱になって手が付けられなくなるぞ」
「わかっています。ですが、貴方も知っているように既にこの研究所は六割は破壊されています。復旧する目途も立ちません。水穏さんが以降を引き継いでくれると言っていましたが彼女の力では瑠美奈の怪我を完治させる時間は足りないでしょう」
佐那が頑張っても確かに瑠美奈が血を流し続けて死んでしまうのは明確だ。
今にも死んでしまう瑠美奈を放って研究所の復旧を待つなんて出来ない。
だから、華之の言っている事は間違いじゃない。死にそうな華之を病院に連れて行けば、瑠美奈の食事として解剖してくれる。
「瑠美奈に親殺しになれって言うのか。自分の父を喰ったのに今度は母を喰えって? お前たちはどれだけ瑠美奈に責任を押し付けたら気が済むんだ!」
廬は瑠美奈が楽しそうに研究所宛てに、華之宛にお土産を考えていたのを覚えている。
儡と並んで吟味していたのを知っている。
それなのに目が覚めた時、その相手が自分の胃袋にいると知れば瑠美奈は今後こそ、その力を暴走させてしまうのではないのか。鬼化を解くことが出来ず、人間に化ける事が出来ずに暴走するんじゃないのか。
宝玉を二つ背負っている瑠美奈にこれ以上何を求めると言うのか。
「瑠美奈を一人にするつもりか」
「可愛い子には旅をさせよじゃぞ? 小僧」
妖狐がのんびりと言った。
「旅をしている最中に親が死んだら元も子もない」
「親離れは必要じゃぞ」
「怪物の価値観を強要するな」
「ならばおぬしも娘子の価値観を捏造するでない。母親に捨てられた哀れな小僧がこの女の心情を理解出来るとでも? 娘子を救うには結果として誰かを喰わせねばならぬのじゃろう? 死にかけた責任者殿を喰わせてしまえば一石二鳥ではないか? わしならば、娘子に喰わせてこの先の事を任せるがのう」
「よしなさい。糸識さん、貴方の言いたい事はもっともです。私は瑠美奈にしてやれたことなど何もありません。彼女に責務ばかりを押し付けて来たようなもの。厄災を止める為に、娘の事を見ていなかったのは事実。息子の事も蔑ろにしていました。その結果が今です。だからこそ、今は瑠美奈を死なせてはならないのです。原初の血を途絶えさせてはいけない。途絶えてしまえば厄災が人々を滅ぼしてしまう」
結局どれだけ廬が喚いて訴えても厄災が邪魔をする。
厄災が無ければ、厄災さえ無ければ……そう思うと同時に厄災が無ければ瑠美奈たちは生まれて来なかったのだと二律背反に苛まれる。
瑠美奈は原初の血を持つ唯一の新生物。そんな存在が死にかけている。
生かし続けるには人を食べさせなければならない。
どちらかを選ばなければならない。瑠美奈が大切にする華之か。瑠美奈の命か。
考えるまでもない。廬は瑠美奈を死なせたくないのだ。答えなど此処に来る前から決まっていたのだ。
「……っ。妖狐」
「馴れ馴れしいぞ小僧。なんじゃ」
「人間の生命活動を化かす事は出来るのか」
「はて? どう言う意味かのう」
「華之さんを瑠美奈に会わせたい」
瑠美奈に会ってほしい。意識がない瑠美奈に会うなんて意味がない事だが一度でいい。所長としてではなく一人の母親として会ってほしい。
それは紛れもなく廬の自己満足でしかない。だがどの道、瑠美奈のもとへ連れて行くのなら生きたまま、まだ息がある状態で瑠美奈の事を見てほしい。
「おぬし随分と罪深い事を言うのう。妖術は所詮は外面を繕うだけじゃぞ? 人間の生体を偽ることなんぞわしには出来ん」
残念だったのうと妖狐は嗤う。
「糸識さん。もう時間がないです。最後に頼まれてはくれませんか」