第57話 ESCAPE
廬は最下層で襲撃者を探す。この間にも瑠美奈は苦しんでいると言うのにもどかしいまま襲撃者を探す。
廬からしたら最下層の最奥。そして本来の入り口には防壁が本来の扉を隠していた。きっと防壁など付けなくとも堅牢な扉が待っていたが念には念を入れて設置したのだろう。
入り口から離れようと踵を返すと青白いライトが作り出す影に誰かがいた気がした。廬は急いで後を追いかける。
怪物を捕える為の罠が無造作に置かれた床。気を付けながら駆ける。
「とまれ!」
光線銃を突き付ける。何となく使い方を手探りで考えながらその人に突き付けた。だがそれは目を疑う光景だった。
「俺っ!?」
それは廬その者だった。鏡を見ているようだった。
聡やさとるのように廬は双子じゃない。生まれながらに一人っ子であり兄も姉も弟も妹もいない。仮にいたとしても研究所にいるわけがない。
偽廬は不敵に微笑んだ。そんな顔で笑ったことがない廬は奇妙さに囚われた。
「なるほど、俺はそんな顔で驚くのか」
「っ!? お前は誰だ」
「俺だ。お前以外の何者でもない。そうだろう?」
ほら、とシャツを乱暴に捲って腹部にある傷痕を見せた。それは事故に遭った時に刻まれたものだ。父親が死んだ日、糸識廬と言う一人の人間の人生が変わった日に刻まれた印だ。
いまでは痛みも感じない。痕だけが忌々しくも残っている。
心臓部に伸びるように生々しい傷。
顔を顰めて目の前にいる自分を嫌悪した。その傷を誇らしく見せるなんて廬はしない。恥じてはいない。その傷がある事で人生が壊れたとも思わない。
悲劇だと誰かの同情が欲しいわけでもない。可哀想なんて事も思わない。
それなのに震えていた。
照準が定まらない事に苛立ちを感じながら廬は真っ直ぐと見た。
自分と瓜二つ。此処で引き金を引いて動きを封じるだけで良い。相手が廬に化けているのならその化けの皮が剥がれてくれるに違いない。
「自分が偽物かもしれないって考えはないんだな」
「俺は本物だ」
「本物か。何を定義に本物だと言っているんだ? 傷がある事か? それとも瑠美奈に会ったことか? あくまでも善人のつもりか? 俺が襲撃者をしているから。それに偽物は自分が偽物だと他者に突き付けられた瞬間、脳内情報がその事実を受け入れきれずに死ぬらしい。試してみないか?」
「その必要はない。お前が偽物だという事に変わりない。お前に死なれたら憐たちの居場所を聞き出せなくなる」
本物か偽物。そう思う前に憐たちの事を知らなければならない。
「俺が稲荷憐や天宮司真弥の居場所を知っているなら知る必要はないだろ? 俺はお前なんだから」
へらへらと本来ならそんな笑い方もそんな顔もしない。軽薄な物言いをしない。
偽廬は本物か分かるように廬に尋ねた。
「思い出せるだろ? どうして俺が、もしくはお前が鬼殻について行ったのか」
「取り戻す為だ」
「取り戻す? なにを」
「……それは」
何を取り戻す為に廬は鬼殻について行ったのか。思い出せない。
随分と昔の事だから覚えていない。なんて言えば「言いわけだ」と揚げ足取りをするのだろう。言わなくてもきっと偽廬は言うのだろう。
(言えないだろ)
「言えないんだろ」
自分が言う事だ。自分自身が言う事を否定できない。
もしかしたら本当に偽物なのではないのかと思考が巡る。
次第に心臓の鼓動が速くなる。苦しく呼吸が浅くなる。
『君が普通の人間だというのは僕が保証する』
儡は知っている。廬以上に廬の事を知っている。
「俺は偽物じゃない。少なくとも今感じてる気持ちは本物だ。俺は瑠美奈を助けたい気持ちは本物だ」
そう言って引き金を引いた。光線が偽廬を貫く。
自身の胸を押さえる偽廬は「なんだ、これだけか」と一切動揺することなく平然と立っていた。
「ッ!?」
「何を驚いているんだ? お前が本物だと息巻いた所でお前が持つ銃は新生物にしか通用しない事を知るべきだったな」
旧生物には通用しない。
そもそも光線銃に殺傷能力はない。どれだけ力を入れて引き金を引いたとしても新生物の力を弱らせるだけで力のない旧生物に効果があるわけがない。
銃が使えない事に混乱していると偽廬が廬を蹴った。反動で銃が手から離れる。
「理想と現実を同一視するな。現実は残酷だという事を自覚しろ」
先ほどのふざけた表情は消えて真っ直ぐと廬を見る黒い瞳。胸を踏みつけられて見下ろされる。
「儡を説得して宝玉から解放したのは褒めてやる。だけどそれだってお前の理想論でしかない。自分が偽物だって気が付きたくなかっただけだろ。自分から蓋をして自覚しないように知らないふりをした。そうやって自分事でも他人事か。気に入らないな」
「っ……」
足を退かす為に両手で足首を掴んで動かすがびくともしない。
「何が信じてるだ。反吐が出る。本当の事なんて何も言えない癖に、本当の事なんて自覚すらしていない癖にお前は逃げ続けてるばかりで向き合おうとしない」
「ぐっ……」
「それで瑠美奈を助ける? 瑠美奈を思ってる? 馬鹿だろ。お前の言っている事は全部嘘だ」
一度足を上げたと思えば勢いよく踏みつけられる。その衝撃に呻く。
「見ていて寒気がした。頼むから死んでくれ。……あー、でも安心してくれていい。あとの事は俺が何とかしておいてやるよ」
偽廬は懐から本物の銃を向けた。人間が死ぬ凶器。どうしてそんな物があるのか目を疑う。
此処で廬が死ねば偽廬がすり替わる。襲撃者が偽廬だと確定した今、もしかしたら華之と佐那が殺されてしまうかもしれない。妖狐は助けてくれないだろう。
裏の通路から来たことがバレた以上、所長室に入り防壁を解放して出て行くことだって出来てしまう。
廬では抵抗の手段がなかった。
「糸識さんっ!」
「ッ!? くそっ!」
ドンっと腹部の圧力が消えて踏みつけていた偽廬も消えていた。バランスを崩して壁に手をついていた。
「大丈夫?」
「あ、ああ……どうして?」
「先生が危ないの!」
華之がもう息も絶え絶えだと言う。
立ち上がり呼吸を整える。このまま華之のもとへ行っても良いものか考えあぐねる。
「佐那はこの男を……っ!?」
そこには偽廬はいなかった。忽然と姿を消した。新生物でもないだろう偽廬が消えた。
「糸識さん?」
「! ……何でもない、華之さんの所に行こう」
廬と佐那が駆けていく。物陰で偽廬は眺める。
「ばーか。出られないんだ。俺が此処の何処かにいる事くらいわかったはずだ」
それを考える事が出来ないほどに焦っていたのだろう。
偽廬は廬たちが居なくなるまで息を殺した。