第55話 ESCAPE
仄暗く鉄錆びの臭いがする窓一つない階段。
華之の怪我は頭部だけではなかったようで階段に点々と血痕を残していく。
「所長はなんで研究所なんて作ろうと考えたんですか」
この際だから訊いておこうと廬は尋ねる。
「この施設は本来は孤児院だったのです。新人類は我々が認識する前から存在はしていました。そう言う子供たちを保護して人の目に見せないように、人として過ごせるようにしてあげたかった。そう言う施設を私は築こうとしていました。しかし、それは呆気なくも初めの段階で政府に得体の知れない子供を保護していると気が付かれてしまいました。新人類の存在がバレてしまい私はやむを得ず研究所として子供たちを保護しました」
厄災を止める事で子供たちが物静かに過ごせるかもしれないと華之は期待していた。政府から与えられた情報は宝玉が厄災を引き寄せている事、厄災を阻止する為には六つの宝玉を回収して処理することだ。
新生物が特異能力を有していると知った政府が利用しようとした。
そうしなければ新生物は存在を許されない。危険分子として抹殺させられてしまう。
全ての新生物を守ろうと華之は孤軍奮闘した。だがどれだけ考えても正しい答えは見いだせなかった。
「私は考えました。改良した怪物の血液薬を旧生物に投与した際に生じる反応を。水穏さんや他の子供。医者が手放した患者を受け入れて無断で人体実験を施しました。水穏さん以外は特異能力を得られずに捨てられてしまうか、凄惨な姿で亡くなってしまいましたが……」
佐那もそうなるかもしれなかった。
命を差し出してまで歩きたいなんて思わない。
しかし、本当のことを言えば誰も実験に参加してくれない。だから黙って実行し結果宝玉を仮として宿しておくための器には出来た。
このまま順調に本物に近づける事が出来ればと華之は懸命に考えた。
それでも九十パーセントは旧人類で構成されている細胞内に無理やりに宝玉を持たせても長くは保たなかった。
何人の旧生物が死んでも華之にとって守るべきは新生物だった。
それはきっと動物愛護団体と同じ感覚だ。生きているから守りたい。
何も知らない新生物たちを守りたいと思い続けて数十年。
何も叶うこともなく宝玉で意味もなく生み落とされた新生物たちが死んでいくのを抗う事も出来ずに見届けるしかない。
「これが私の罪なのでしょう。ならば私はそれを受け入れましょう」
「懺悔だって言うのか。そんな事したって死んだ子供たちは戻ってこない」
もう上司だからと敬語を使うのも馬鹿らしくなってきた廬は本来の口調で尋ねる。
この襲撃が罰なんて認めない。それを認めてしまえば、新生物の存在を否定する事になる。瑠美奈や儡、憐。知らなければそれっきりだった子供たちがいたと言う確かな証拠が消失する。
政府はそれを望んで救援を寄越してないのだろう。
確かにここに存在した。此処で生まれて研究所と言う施設の中しか知らない子供たちがいたと言う証拠が華之の罪で消されてしまうのは絶対に許せなかった。
宝玉に殺された子供たちは確かにここにいた。先ほどまで生きていた子供もいただろう。宝玉に適合したくても出来ない。次は自分が死ぬかもしれない恐怖を抱えて生きて来た。
「貴方が罪の意識を感じているのなら殺して来た子供たちの分まで生きて新生物を導いてやるのが筋じゃないのか。貴方がデタラメにがむしゃらに言われるがまま増やして来た新生物を導いてやるのが償いじゃないのか。死んで終わりにするなんて赦されない」
政府に殺されるくらいなら自分の手で殺す。そんな歪んだ感情を華之は抱えて生きて来た。もう生きていたくないと言ったって廬は華之を死なせたくなかった。
死なせたら悲しむ子がいるから。
最下層に到着する。此処までの道すがら襲撃はなかった。もっとも階段の音だけが響いて静かなものだ。不自然なほどに静か。それでいて安堵すらした。
嵐の前の静けさか、襲撃と言う名の嵐の中の憩いの時間か。
華之を階段にゆっくり座らせて堅牢な扉を廬と佐那で押し開く。
その先にはこれまた堅牢な扉が左右に続いていた。どれも荒々しく内側から破壊しようと激しい音を立てている。
血の気の多い新生物の親たち。自分に子供がいる事も認識しているか怪しい。
強力な怪物たちでなければ宝玉に適合出来ない。此処に収容する事で何人研究者が死んだことか。
青白いライトに照らされた最下層の牢獄。廊下の丁度中央には絢爛な装いをした女性が煙管を片手に弄びながら立っていた。
開かれた扉を目にして僅かに細められる。
「待っておったぞ。責任者殿や」
怪しくも美しく笑みを浮かべる女性には、普通の人間と言うには不自然な点がいくつもあった。頭上にある獣の耳。腰当たりを左右に行ったり来たりとする九本の尻尾。
「狐女?」
佐那が頭の中に出て来た言葉が抵抗なく呟かれる。肩を貸して部屋に入る華之が訂正する。
「稲荷憐の母。九尾の妖狐です」
自分を証明する確固たる証言。
妖狐はニタリと笑みを濃くした。その奇妙さに恐怖すら覚える。