第46話 ESCAPE
それは、夢の続き。
鬼殻と少年はそれ程親しいわけじゃない。母親から逃げる為の口実だったのかもしれないし、本当に生まれ変われるかもしれないと期待したからついて行った可能性だってある。
どの道、いつか死ぬかもしれない。心臓が悪い以上好き放題に動けないのは分かり切っていた。手術をした後は余り心臓の痛みは来なかった。その方が良いのだろう。
しかし少年はその痛みを忘れてしまう事を恐れていた。身勝手だと言われてしまうかもしれない。
痛みは少年の存在証明だった。
この痛みが自分はあの時までは愛されていた証明になっていたのだから。
鬼殻と数日一緒に生活していた。変人だという認識はあった。
美しいものに目が無く。通行人の老若男女問わず声を掛け回っていた。
ただの変人で面倒を見られているこちらが恥ずかしくなる程だった。
それでも鬼殻は良い人だった。少年にとっては彼が自分を必要としてくれている以上、離れることは出来なかった。不思議な力に囚われているそんなありもしない妄想をするほどには鬼殻に好いていた。
だが、彼は突如として姿を消した。
いつもふわふわとした人がふわっと霧や雲、煙のように、幻のように消えてしまった。一人で生活できるだけの知識は与えられていた為、苦労はしなかった。
彼にとっても廬は必要なかったと判断された。
別にそれで悔しいとか悲しいなどと言う感情は湧いてこなかった。いつかはそうなると思っていた。ただ失望していた。
鬼殻は廬が必要だと嘯きながら姿を消した。その程度だったという事だ。
母親に失望されているから鬼殻も廬に失望した。そんな彼らに失望したというデタラメな言い訳。
一人で仕事をして、一人で大人になって成長した。
人との関わりを極力避けて生きて来た。
もうどうでもよかった。
なんだってよかった。
鬼殼は結局廬に何をしたかったのか。何をさせたかったのか。何も答えてもらえずに姿を消したのだからわからずじまいとなった。
恩人だったのか、ただの知り合いだったのか。今では関係性すら怪しい。
名前の付けようのない事だと分かっている。だから廬は忘れる事にした。
嫌でも忘れてしまっていた。一切の違和感なく一人で生きて来た。それが一番の違和感だというのに……。
『廬っ!』
「ッ!?」
我に返るそこには驚いた顔をした儡がいる。
「俺は、どうなった」
「……あー、まあ。なんて言うんだろう。うんっ! 大丈夫!」
苦しい言い訳だと言うのは目に見えていた。
「儡。此処まで来て誤魔化すのか?」
「誤魔化してないよ。ただ……まあ、君は思った以上に面倒くさいって事がわかったくらい!」
にこやかに言う儡。
儡は廬の事を知れたはずだ。
ならば廬以上に廬を知っていると言う文句も納得がいく。
「何が言いたいんだ?」
「……はあ。言っても良いけどさ、怒らないでくれるかい? 理不尽に怒られるのが一番嫌いなんだ」
「怒らない。怒るような事をしていないならな」
「君の中にも宝玉がある」
「は?」
「宝玉。だけど、君が普通の人間だというのは僕が保証する」
「ありがとう。それを聞いて安心したよ」
なんて冗談を口にする。
「それで不思議なのは君が持つ宝玉に色がないんだよね」
「色がない?」
「普通宝玉には罪の色があるのは知ってるだろう? 瑠美奈が白、僕が黒のように単色ではあれどちゃんと色があるんだよ。それなのに君が持つ宝玉は色がない。透明だ。まるで新しい宝玉を生み出そうとしているみたいだね」
「俺が?」
「君がと言うよりは鬼殻が、かな。もっともあの男の考えている事なんて分からないから」
「そうか。……さて、その鬼殻の事を教えてくれ。お前たちと何をしたのか」
言うと儡は「何もないよ。特別なことは何もない」と悲しそうに微笑んだ。
「鬼殻は僕たちの憧れだった。それだけの事、勝手に憧れて、勝手に裏切られた気持ちになった。彼の真意を僕たちは理解出来ていなかった。いや、心から想っているから奇妙だったんだろうね」
「何を企んでるんだ?」
「この世界の為に。この国を維持する為に、鬼殻は暗躍している」
「それの何がいけない事なんだ? ……なんてきっと表面上だけなんだろ」
厄災を消す為に最善を尽くす。だが本当に最善であり、研究所にいる新生物たちの為じゃない。純粋な善意ほど狂気はない。
廬と儡の言う鬼殻はまるで別人のようだった。
「鬼頭鬼殻は、美しいものに目が無いんだよ。何もかもを手に入れるまで離れたりしない。美食家」
「美食家? コレクターとか蒐集家じゃないのか?」
「鬼殻は、美しいものを自分の物にして絶対に誰の手にも触れさせないように食べるんだよ」
「食べるって……綺麗なものをか?」
「人間だろうと昆虫だろうと、最悪ダイヤの原石ですら飲み込むほどの人だった」
「そんな事をして何になる?」
「美しくなれる。この世の美しいものを食べればその部分が美しくなる」
「心臓を喰って治すみたいな奴か?」
「治せれば良かったんだけどね。彼の異常性は治らなかった。生みの親も困り果てる始末だね」
「……もしかしてって言うか。そうなんじゃないかって思いながら訊かずにいる事があるんだが」
廬は少しだけ言いづらそうに顔を逸らしながら言った。
「鬼頭って……研究所の所長だろ?」
「? ……ああ、そう言えば言っていなかったね。先生、あー。鬼頭華之は鬼殻の実の母親なんだよ」
「新生物の子供を生んだのか?」
「無事に新生物を生んだのはあの人だからね」
「嘘だろ」
「こんな嘘を言ったって誰も得しないよ」
華之が鬼頭だと言うのは初対面の時に知っていた。
だがそこでどうして既視感を抱かなかったのか。
鬼頭と言う苗字を何度も耳にしているのに気が付かなかった廬の落ち度だ。
「僕たちがB型と呼ばれているのは、前の型が余りにも不完全だったから、彼らは欲望に忠実に出来上がった。人間の為なんて言いながらその実、自分の事ばかり鬼殻もその一人、と言うより筆頭だった。A型は僕たちが研究所を支配するずっと前に暴走した。鬼殻が全A型を唆してね。だからA型とB型で争いになった。勿論、瑠美奈や憐がいるお陰で僕たち研究所側が圧勝して鬼殻は瑠美奈の手で死亡した」
鬼殻の統制を失ったA型は殲滅させられた。
鬼殻が居なければ何も出来なかったのだから仕方ない事だ。
「所長は何も思わないのか?」
「んー、元から見限っていたからね。先生にとっては新生物が宝玉を持って人の為にある事を望んでいるからね。出来の悪い新生物である以上、先生に見向きもされていなかった」
反抗心とか振り向いてもらう為にやっている事ではないのだろう。
本当に本能に従っているだけで、美しいものを見てその腹に収めたいと言う欲求だけで生きている。そう言う男なのかもしれない。廬と過ごしていた数日、数か月、数年の間も人を喰う事を考えていたのか。
「君が食べられていないって事は君は彼にとって美しくないって事なのかな?」
「喜べない励ましどうもだな」
華之は研究所の所長をしている。
その所為で息子との関係は醜悪となった。
「父親は?」
「気が付かない? 誰かに似てると思わない?」
「誰か? ……ッ!? まさか」
儡はにっこりと笑う。
その可能性を肯定する事もなく否定するわけでもない。
だが確信していた。今までの話がパズルのピースのように綺麗に嵌る。
相手は怒っていただろうか。悲しんでいたのだろうか。
寧ろどうでも良かったのかもしれない。
自分の存在を呪っていたかもしれない。
可能性は幾らでもある。
それでも廬がどれだけ考えても鬼殻は死んでいるのだから気にしたって仕方ない。
「鬼殻が君を使ってどうしたかったのかは分からないけど、もう死んでいるからね。何も考えなくていいよ」
空が白んできた。朝を迎えようとしている。
儡は「もうひと眠りするよ。君は?」と尋ねた。
今から寝たら起きられないと思い廬はこのまま起きている事にする。
憐に叩き起こされたくないからとシャワーを浴びて眠気を覚ます。