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第45話 ESCAPE

 それが夢だと知るには少しだけ時間がかかった。


 衝撃音は突然やって来た。通行人が何事かと音の方を見る。そしてすぐに悲鳴が聞こえた。「誰か救急車!」「事故だ!!」と口々に言っていた。しかし誰もそれを実行しない。誰も救急車を呼んだりしないし、誰も怪我人を安全な場所に連れて行ったりしない。

 誰も助けてはくれない。車の中でか細い声で「たすけて」と言う少年の声など聞こえない。みな一様に互いの声で掻き消されてしまっているのだ。

 ガソリンが漏れる車が爆発するには十分な時間が経過した。救いを求める声など誰にも届かないままに鉄の箱の中に閉じ込められた。


 父親と息子が乗っていた車が飲酒運転の車にぶつかった。それでもその車は止まらなかった運転席にいた父親はぶつかって来る車に容赦なく潰された。飲酒運転している相手は狂気に満ちた顔を見た。ハンドルを強く握りしめてアクセルを踏み目がイッていた。

 恐怖で動けずに車から煙を上げた。逃げたくても逃げられず暴れる車は少年の乗る車の車体を擦り横転した。


 悪い夢だ。長期休暇を貰った父が息子と楽しい日々を過ごす。そんな話だった。

 他愛無い日々の一コマに過ぎない事だった。それなのに、失業した男がヤケクソに酒を浴びて車に乗って既に正気ではなかった。


 奇跡的に生き残ったのは息子だった。

 意識不明の重体だったが奇跡的に意識を取り戻した。数日のリハビリをして生活に戻れる。少年は母親に会いたかった。一度もお見舞いに来てくれなかった母親に会いたかった。


 父親の葬儀が終えた日を境に母親の心は病んでいた。気が付かない少年はただ無邪気に「あそぼう」と言った。すると彼の頬が打たれた。どうしてなのか理解出来なかった。まだ幼かった彼は何か気に障る事を言ったのだろうとすぐに謝ったが許してはくれなかった。


「……なんで」


 病院を退院して暫く互いに会話はなかった。世間体を気にした会話は幾つかしてきたが母親と久しぶりに家の中で会話したのは半月が経過した時だ。


「なんで、あんたが生きてるのよ」

「えっ」


 その言葉の意味を理解するには少しだけ幼稚だったのかもしれない。

 ただ存在を否定されたのは何となくだが理解出来た。


「あの人じゃなきゃダメなのに……なんで」


 母親は子供が苦手だった。煩くて我儘な子供が嫌いで子供を産むつもりなどなかったが父親がどうしてもと言って仕方なく産んだ。二人の間に確かなものがほしいとロマンチストなのだろう。そんな所を好きになったのだと母親は思い返すがそれでもその人はもう帰らぬ人となった。


 嫌いな子供だけを残して逝ってしまった。


 フィクションとは違うのだ。父親の代わりに子供を育てようなんて気力は出てこない。母親が好きなのは子供じゃないのだから。父親が子供と遊んでいる光景を見ているのは好きだ。二人だったから頑張れたのだ。一人は絶対に無理だ。


 心を病んだ母親は息子が何か言う度に打った。次第に息子は口を閉ざした。


 息子には事故の後遺症があった。心臓が傷ついていた。

 定期的に病院で検査をしなければいけない。母親は病院には連れて行くが迎えには来てくれない。


「可哀想は時に美しい」


 その男と会ったのは、死期が近いと担当医に言われた時だった。

 成人しないまま死ぬかもしれないと言われた。理解出来ずに、けれど母親にこれ以上の苦労を与えずに済むのだと安堵した時だった。

 病院を見上げていた男がいた。素通りすると先ほどの言葉を言ったのだ。


 少し長い黒紫色の髪にエメラルドグリーンの瞳が少年に向かう。


「初めまして、糸識廬君。私は鬼頭鬼殻と言います」


 礼儀正しい男、鬼殻は優しい笑みを浮かべて手を差し伸べた。


「その身体、もう使わないのでしたら私にくださいませんか?」


 父親が死んでしまい母親に相手にされず、何をしても見向きされない。

 もう愛されることがないのなら死期を待たずに誰かの役に立ってみないか。

 今死んだとしても母親はきっと気が付かない。


「……僕は生まれてきたらダメだったの?」

「まさか! 貴方のような美しい存在がこの世に生まれてこなければ私などゴミ屑の害虫に過ぎませんよ。貴方がいるから私は生きて行けるのです」


 言っている意味が分からないまま鬼殻はオーバーリアクションをする。


「ただ……その美しさが損なわれるのは死活問題です。貴方はその道を突き進んでいる。ただ死ぬ。ただ愛される。ナンセンス。本物が欲しいのなら私に協力してください廬君」


 このまま何もしないまま、誰にも覚えてもらえないまま死ぬ。

 あの事故の時、死んでおけば親はまだ笑っていたはずだ。

 あの時死んだのは自分だったのだ。だから今彼について行って問題に巻き込まれても母親はきっと困らない。悲しみもしない。

 露骨に怪しい相手だったが彼にはもう道がなかった。

 死んだように生きているのなら存在を消してしまえば良い。


(どうせ誰も困らない。僕がいたって誰も気にしないし、僕がいなくても誰も気にしない)


 学校には花瓶が置かれるだろう。誰かが花を活け替えるが数日もしたらその役割も係の人がやるんだと生徒同士の押し付け合いが始まる。最後には誰もその花瓶を気にしなくなり枯れ朽ちる。


 あの時、死んだのは自分だったのか。運転席で硝子が突き刺さった父親ではない。車の部品がむき出しになり腹部を傷つけられているのは父親ではない。もし飲酒運転の車が後ろから来ていたらきっと自分がそうなっていたに違いない。実はそうだったのかもしれない。

 頭の中で空想が巡る。そうだったら良かった。


「……貴方について行ったら僕は生まれ変われますか? あの日をやり直せますか?」


 奪われた日常を取り戻せるのか。そう尋ねると鬼殻は笑みを浮かべて「貴方がそれ望むのなら」と答えた。


 その手を取った事を後悔していない。結局本当に母親は捜索願を世間体を気にして出しただけ。学校側も捜索を続けていると言っても卒業時期になり忙しくなると彼の事など忘れていつもの日常に戻った。


 手術台に横になって誰かが話をしている声。麻酔で動かない身体、睡眠薬を投与されると瞼が重くなり眠りについた。

 少年の記憶はそこで途絶えた。




 目を覚ました廬は時計を確認する。深夜三時。

 まだ寝れると思えど再びあの悪夢を見るかもしれないとなれば目を閉じることが出来なかった。

 水を飲んで顔を洗うとリビングルームの方から音が聞こえた。まさか真弥が起きて来たのかとリビングルームに向かえばそこには別の部屋で寝ていると思っていた儡が立っていた。


「なにしてるんだ? お前の部屋は隣だろ?」


 新生物組と旧生物組で部屋は別だ。それなのに儡が此処にいるのはおかしい。


「この部屋にした方が良かったなって」


 バルコニーから見える景色は廬たちの部屋の方が綺麗に見えるのだと儡は言う。

 そんなの深夜三時に部屋を抜け出して見に来るようなことでもない。それにみな一様に寝静まっている時間帯だ。満足に夜景が見られるわけでもない。


「本当はこんな所に来たくなかったんじゃないの?」

「……どう言う意味だ?」

「そのままだよ。特別なにか含みがあるわけじゃないよ。憐が言いだして、真弥が手伝う。だから君はこの場にいるしかない。その場の流れに身を任せている。それって凄く生きづらいと思うんだ」


 筥宮に来たくなかったなんて事はない。廬はこの街を故郷だとは思わない。

 純粋に彼らが来たいのなら案内をするだけだった。知っているだけの街。それ以上も思入れなんてない。


「憐は逃げたつもりだけど、実のところ誘い込まれている」

「……誰に?」

「鬼頭鬼殻」


 その言葉。否、名前に廬は固唾を呑む。


「憐が逃げる事と俺と何の関係がある?」

「以前言ったと思うけど、君は僕とよく似ているって」

「お前は俺の事を知ってるのか?」

「君その者は知らないよ。ただ僕は君の真意。蓋をした過去を知る事ができる」

「じゃあなんだ? お前の力で俺自身も知らない事を知る事が出来るって?」

「そう言う力だもん。僕を責めないでよ」

「ならお前は知ってたのか? 俺と会った時からずっと俺が鬼殻と繋がっていることを」


 廬自身、鬼殻の名前を研究所で聞くまで忘れていたのだ。

 儡ならば真意、奥底に眠っている記憶を呼び覚ます事が出来るかもしれない。


「明確に君が鬼殻と繋がっていた場合は、本気で殺そうかと思ったけど君自身が分かっていないようだから何もしなかったんだよ」

「随分な事だ。鬼殻と繋がっているだけで無実の俺を殺すのか」

「それだけ僕たちの中ではあの男は悪党なんだよね」

「何をしたんだ?」

「それを言う前に廬が本当に鬼殻と繋がっているのか。鬼殻を意識していないのか確認したい」

「はっきり言えば良いだろ? 力を使わせろって」


 どうせ目が覚めてしまったのだ。互いの疑念を晴らす為に互いに互いの情報を与えてやろうという事になった。


「じゃあ座ってよ」

「……」


 儡は廬を椅子に座らせる。白い瞳が廬を見つめる。

 次第に頭痛が廬を襲う。

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