第30話 ESCAPE
研究所にて。
憐はドライアイになった目を閉ざす。
「苦労しているようですね」
「……先生。何の用っすか。あんたは部屋に籠ってる人だろ」
華之が所長室から出て来るのは珍しい事ではないが憐に声を掛けるのは珍しい。
いつもは他の研究者と話をしてすぐに部屋に戻っていく。だが今日はいつもと違い憐に声を掛けた。
「噂で傀儡儡について調べていると聞きました。私が手伝いましょうか」
「なんであんたが、何が狙いっすか」
「狙いなんてありません。貴方が調べものをしている事に感心しました」
淡々と言う言葉にどれだけの信頼性があるのか憐は考えるまでもなかったが、確かに憐が調べられる範囲も限られてくる。儡について調べるにしても閲覧制限がかけられているファイルがある事も事実で見たいものほど見ることが出来ない。
所長をしている華之ならばきっと今以上の事を憐にもたらしてくれるに違いない。
「俺が旦那に対して裏切りの兆候があるとかで密告でもして引き裂こうってんなら無駄っすよ」
「そんな事は考えていませんが、そう言うと言うことはそうなのですね?」
「んなわけねえっすよ! 俺が旦那を裏切ったら誰が旦那の味方でいるんすか。誰一人として旦那を信じてやらない奴がいなかったら旦那の苦労が無駄になる」
「本当に無駄な努力をしているとは思わないのですね。貴方は」
まったくと呆れるように息を吐いた華之に憐は「邪魔しに来たんすか」と呟いた。
「儡さんの事を教えるのはもう少し先だと思っていましたが、良いでしょう。これ以上先延ばしにして面倒な事になる前に親しかった貴方にB20について語りましょう」
「語りましょうって……何処から目線で言ってるんすか」
「かつて御代志研究所を統括していた長として言っています」
「こちらに来てください」と資料室から出て行く華之のあとを渋々と納得はしていないが何か分かるならと付いて行った。
天井にむき出しになっているダクトは憐の為にそのままにされている。人と同じ床を歩くことが出来ない憐が隠密する忍者のようにダクトの上を歩かなければならないのは仕方ない事だった。
しかし研究所の新館はその事を考慮せずに作られており壁に杭を打ち込んでいる。憐だけではなく他の理由で地面を歩けない新生物もいるからだ。
華之のあとをついて行くとそこは所長室だ。
確かに所長室は資料室よりも情報があるかもしれないと憐は合点がいった。
部屋に入室すると華之は自身の席に腰かけてコンピュータを起動させる。
憐に「部屋の明かりを消してください」と頼む。従い明かりを消すと本棚が無い方の壁にスクリーンの幕が下りて来る。本棚の方から光が放たれた。本棚に映写機があるなんて知らなかったと憐はソファの上に乗りスクリーンを眺める。
「B型20号傀儡儡。研究所で作られた個体です」
儡について知っている情報が華之の口から放たれる。常識とも言える友人の出生。
「お嬢の前に生まれた新生物っすよね」
「はい。しかしながら生まれたと言うのは語弊がある。言い方を変えましょうか。作られたのです」
「……」
憐は不機嫌な顔をする。新生物は生きている。生まれて来たと言う表現で間違いがないと言うのに華之はあえて作られたと言い換えた。その理由もすぐに分かる。
「傀儡儡は、本来瑠美奈を制御する為に作られた個体でしかないのです」
「……お嬢を制御」
「原初の血を持つ鬼とその番の間に生まれる子。力を持つのは必然。そうなればもしかすると研究所の脅威的存在になるかもしれないと危惧した我々は裏切りの兆候がないように事前にデザイナーベイビーを生み出していたのです」
「ッ!?」
「正反対であるように、対となるように、研究所の指示に従うようにデザインされていました。瑠美奈を従える為に作り上げ架空の感情を与え瑠美奈へ好意を寄せているように仕立てました。結果は良好。瑠美奈も心優しい少女へと成長を遂げ儡と共にいた。しかしながらそれもまた誤算を生む結果となりました。感情が無い個体が感情があると錯覚してしまった。もともと儡は自分がシステム上で作られた人形だと気が付いていなかったのですが、何を思ったのか自分の親の事を調べていたのです。彼は自分がデザインされた存在であることを知ってしまった。己が感じている感情は偽りであると、瑠美奈に抱いている感情も偽りであると絶望したのです。研究者としてはとても興味深い反応でした。もっともその絶望も本物かどうか怪しい所ですが、そう感じるようにプログラムされたものかもしれないと彼は自暴自棄になった」
華之から告げられる真実に憐は困惑する。
「お、お嬢はその事を知ってるんすか」
「知っています。知らされたと言う方があっているでしょう」
言葉がつっかえてその先が言えない。もっと何か言えると思っても瑠美奈を制御する為に作られた新生物なんて考えたくなかった。
「な、なら! そんな事が出来んならもとから俺たちなんて生まなければ良いじゃないっすか。デザインなんとかをすりゃあアンタたちの駒として今だって生きていたはずだ!」
「それでは適合者としては不完全です。量産する事は出来ますが、同じものは二つといらない。重要なのは多様性であり、同一性は求めていません。だから貴方は歩くことが出来ない狐であり、瑠美奈は成長しない鬼なのです。そして儡も感情があると勘違いした人形。無数の怪物より与えられた血液情報によって生み出されている以上、彼の親が誰なのかは明確には出来ない」
「でも、それなら、まだ研究所にいる理由はなんすか。旦那はそれを受け入れたってことじゃないんすか!!」
受け入れたから、受け入れてくれたから、まだ研究所にいてくれる。研究所にいる事でまだ友人として理解者として憐は傍にいることが出来る。
儡まで研究所を出て行ってしまえば憐は追いかけることは出来ない。地面を歩けない以上、憐が追いかける範囲にも限界がある。
「受け入れて飲み込まれた」
「なにに」
「宝玉です」
「ッ!? 旦那は、適合者だったんすか」
「意図はしていませんでした。彼はあくまでも原初の血を持つ瑠美奈の抑止力でしたので、まさか彼が条件を満たしてしまうとは我々は予期していなかった」
スクリーンに映し出されたのは黒の宝玉だった。
触れるだけで感情の制御が出来なくなる宝玉。その為、一番危険な宝玉として研究所で管理していた。それがまさか儡の手にあるなど憐も知らなかった。ただ厳重に保管されているとばかり思っていた。
「どうして暴走していないんすか。宝玉を持つ奴は皆可笑しくなる。だけど旦那は違う。完全に支配したって事で良いんすか」
佐那のように持つことで一時的に支配したのではなく、正式な適合者として意思を喰われることなく無事に所有する事が出来たのか尋ねれば「いいえ」と否定された。
「意思が、心が無い儡では宝玉が喰らうものなど何もない。空っぽの器を宝玉に与えてしまったに過ぎないのです。なにかの間違いで宝玉を手にしてしまった。それによって失望の底にいた儡をそのまま殺し己の野望の為に動く者になった」
「野望って。新生物の世界を作ることっすか。なら俺たちは別に」
「それだけならば可愛いものでしょう。黒の宝玉は同じものを嫌悪すること。宝玉と、宝玉を持つ者を嫌悪し消し去りたいと思うはずです。宝玉を一つの場所に集めて全てを取り込み支配する。瑠美奈が全ての宝玉を集めると息巻いていますが、もしも儡がその時を待っているとしたら瑠美奈を取り込み絶対的力を手に入れようとするでしょう。そして本物になる。新人類の世界を作り頂点に君臨しようとする」
儡は受け入れてしまったのだ。宝玉の声に耳を傾けて自分には何もないからオリジナルが欲しいと宝玉を受け入れた。居心地が良かっただろう。何もない器の中はさぞかし居心地が良く扱いやすかったことだろう。
「……っ。旦那はもう戻ってこないんすか」
「彼は死んだと判断して問題ないでしょう」
『傀儡儡とか言う小僧は、もうこの世に存在しておらん』
妖狐が言っていた言葉が現実になる。
ずっと傍にいた男は偽物で本物はもう死んでいる。そんな事が合って良いのかと憐は拳を握った。
「それをお嬢は知ったから……」
「研究所を出て宝玉を集めることを決めたのでしょう。宝玉を集めることで黒の宝玉を抑圧する事が出来ると瑠美奈は考えているのかもしれませんね。瑠美奈が完全に五つの宝玉を支配する事が出来ればもしかすると黒の宝玉の脅威を退ける事が出来る。不器用な子です。研究所から疑心を抱かれても大切だと思ってしまったものを自分一人の力でどうにかしようと考える。研究所の敵となってもこの世界を愛した結果でしょう」
「……っ」
瑠美奈は一人で頑張っていた。儡を宝玉から助ける為に一人で闘っていた。
反乱などではなかったのだ。瑠美奈からしたら人質を取られていたに違いない。
今の瑠美奈では儡を退けることは出来ない。宝玉の支配力が低い瑠美奈では黒の宝玉を制圧出来ない。
もっと宝玉の力を手に入れる。集めて支配して儡から黒の宝玉を回収する。
それで儡が戻って来るかもしれない。そう考えていたのかと憐はやるせ無い気持ちになった。もしも儡が邪魔をしていたら、瑠美奈の邪魔をしていたら瑠美奈の計画が無に帰していたかもしれない。そう思うと恐ろしくなる。
「俺は……俺はただ旦那とお嬢に幸せになってほしかっただけだ」