第201話 ESCAPE
同時刻、筥宮研究所にて。
通信室には祈鏡鷹兎が立っていた。
未登録の新生物は鷹兎の事だった。その色の違う双眸が音声の波を眺める。
鷹兎は佐那との連絡を終えてまた地上に戻る為に踵を返した。
地上に通じる階段の前で腕を組んで待ち構えていたのは不機嫌な顔をする純だった。
瑠美奈に奪われた腕は義手として形を成していた。それを痛ましいと思う人もいれば、奇妙なものを見るような視線を送る人もいる。
「アンタの考えていることがたまに分からなくなるわ」
「それはどう言う意味でしょうか?」
開口一番に理解出来ないと言われて鷹兎は首を傾げた。
「言葉通りの意味よ。昔から人って枠の外にいるような気がしていたけど、まさか新生物だなんてね」
「隠していたつもりはなかったんです。ただ……いえ、下手な言い訳はダメですね。すみませんでした。僕は新生物であることに間違いはないと思います」
たとえ力がなくとも何かしら、人ではない血が鷹兎の中に流れているのならそれは新生物と呼んでも差し支えない。
純が遠回しな言い方が嫌いなのを理解している為、素直に謝罪をする。
「別に怒っちゃいないわよ」
「それは良かったです。純に怒られたくないですからね」
「白々しいわね。それで、アナタこれからどうするつもりなのかしら?」
「地上に出て例の蔓を追い払います」
「死ぬ気?」
「大丈夫ですよ。僕も一応は新生物。例の蔓は新生物を攻撃しないと聞いています」
「特異能力を持つ新生物に限定されているとしたら?」
「それは……考えても見ませんでしたね。確かにそうなると僕は死んでしまうかもしれないですね」
「考えなしなのは、相変わらず」
純と鷹兎は昔馴染みであり互いに性格を理解している。
その為、鷹兎がこれから何をしようとしているかも純は分かった。
一人で筥宮研究所を守ろうとしている。
(自惚れないで欲しいわ)
「アンタが頑張らなくてもこの施設の人間がどうにかするんじゃないの?」
「きっと努力はします。だけど、特異能力を持つ人たちはいない」
「だからアンタが一肌脱いでやろうって言うのかしら?」
「はい! 僕が少しでも頑張る事で救える命も少なからずあると思うので!」
無邪気な笑みを浮かべる鷹兎に純は呆れ果て何も言えなかった。
額を押さえて何度目かの溜息を吐いた。
「アタシには月並みな事しか言えないわ。生きる事って大変なのよ。死ぬことよりも何倍もね。アンタがどう考えているかは分からない。だけど、アタシは看護師として、人を救う立場として言わせてもらうわ。アンタは生きてなきゃダメよ」
「……はい。貴方が言うなら僕は生きていきます。だけど少しだけ、ほんの少しだけ無茶をするかもしれません。そうなったら、許してください」
「許さないわ。その無茶一つで命にかかわるならアタシはどんなことがあってもアンタを許さない」
なんて言っても死んでしまっては許す許さないの規模では語れない。
「わかりました。じゃあ、僕は頑張って生きます」
そう言って鷹兎は階段を上る。
鷹兎は純の為なら生きると言うが、そんな言葉は決して信用してはいけないのだ。生きると言って死んでしまう人は多くいる。今回の件でそれを痛感した者は多い。
「鷹兎! アンタ、まだあの時の事気にしてるんじゃないでしょうね?」
「気にしていますよ。あの日、貴方を傷つけてしまったことを今も後悔している。あの頃の僕が此処に、いえあの頃に今の僕が戻る事が出来たら決して……。いえ、誓ってもいい。貴方を悲しませたりしなかった。いい歳なのに女々しいですよね。女性なんて何処にもいないのに……」
鷹兎は止めていた足を再び動かした。純を守る為に地上に行く。
鷹兎を新生物と断定した金色の蔓を追い払う為に、少しでも何かできる事をと鷹兎は配られていたアンチシンギュラリティを握る。
「僕はいつまでも貴方に償いをします。どれだけ貴方が僕を許してくれても僕は自分を許せない。貴方を傷つけてしまうばかりで守ることが出来なかった。優柔不断、他人の価値観に左右されてばかり。だから僕は、貴方にどれだけ無理難題を頼まれても実行してみせます。生きろと言うなら僕は頑張って生きたいです」
行ってきますと鷹兎は階段を上る。
純はもう呼び止める事はしなかった。
地上に通じる扉が音を立てるのが聞こえ、純は踵を返した。
多くの患者が金色の蔓で殺されてしまった。それでも看護師として純は誰かの助けになるべきだと前を向いていた。
廊下を歩いて一室にやって来る。そこには簡易ベッドが置かれていた。そこに腰かける一人の青年。少し痩せているがある程度の筋肉はついていた。
「調子はどうかしら?」
「……やっと……親友に会った頃を思い出した」
「そう。彼が親友だって気が付けて良かったわ」
青年はぼんやりとだが、確かにかつて自分が過ごした思い出を思い出していた。
何もかも虚空に消えたと思われていた。しかし奇跡はやって来るものだと純は青年の言葉に安堵した。
「他には何か思い出せたことはあるかしら?」
青年は湧き水のように記憶が思い出させる。
今までの忘却が嘘のようだった。
けれど、全てを思い出したわけじゃない肝心な所は抜け落ちている。
「自分の名前は言える? それとその親友の名前」
「……っ、ダメだ。思い出せない」
「焦る必要はないわ。焦ったところでいまの情勢じゃあ精密な検査は望めない」
「はい。わかってます。だけど、もしかしたら、彼に会えば思い出すかもしれない」
「生憎だけどその彼はすぐには来られないのよ」
「……でも、会いたいんだ。会わないといけない気がする」
どうしてそう思うのかは分からない。ただ会わなければいけない。そう心に命じられている。
青年も理解している。今は外に出たら殺されてしまう事を、どれだけ患者の願いを叶えてあげたい純でもそれだけはきけなかった。
青年はベッドから立ち上がり廊下にでる。
仄暗く狭い廊下から見える各部屋で避難民が身を縮こませている。笑顔が失われた光景に青年は胸を締め付けられる。
かと言って自分が何か出来るとは思っていない。それ程自惚れていないし、自分がそれ程優れた人間だとも思っていない。ただの被害者で出来ることなんて何もない。
そして、そんな被害者は一人、無謀にも外に出ようとしていた。
「やめなさい。アナタはまだ自由に動ける身体じゃないのよ」
「それでも……会いに行きたいんだ。あいつに、っ……親友に会いに行って俺は取り戻したいんだ」
部屋から出て純は青年を引き留める。仮に元気だったとしても金色の蔓が容赦するとは思えない。そんな慈悲があるのなら今頃は平和に日常を送っているはずだった。
「ボクが彼を連れて行こうか?」
突如として聞こえた声。そちらを見ると藍色の服を着た人物がいた。
見るからに怪しい姿と避難民にしては怯えを知らない雰囲気を漂わせていた。
「アナタは?」
「未登録の新生物とだけ思ってくれていいよ。ボクもお前たちの知り合いの所に行く用があるんだよね」
新生物。それならば、危険はないかもしれないが見ず知らずの相手に青年を預ける事は出来ない。
その事に気が付いたのか相手は言った。
「別に赤の他人と言うわけじゃないよ。彼には少しの恩がある。それを返すだけさ。彼には餓死しかけている時にチョコを貰ったんだ。彼がボクを見つけていなければボクは蒸発してるだろうね。それに彼も言っていたよ『手伝えることがあるなら俺がいつでも手を貸すぜ。困った時俺が助けてもらえなくなる』って」
「俺が……そんなことを?」
「お前は覚えていないだろうけど……いや、お前にとっては思い出す為になのかな。それにボクが一緒に居れば記憶はおのずと戻って来るんじゃないかな」
「無理やり記憶を戻しても混乱して発狂する」
「彼のメンタルケアを含めて彼の全てを取り戻すと言ったら? お前は看護師であって、医者じゃない。だから、お前が何を言ったって彼の記憶を完全に復元する事は不可能だよ」
「君は何者なんだ?」
青年が尋ねるとその人は不敵に笑って言った。
「ボクはイム。お前たちにはそう呼ばれていたよ」