第197話 ESCAPE
世界中の人々が正体不明の金色の蔓に襲われている。
テレビやラジオ、スマホで撮影されたライブ映像が流れている。まだ金色の蔓が被害を及ぼしていない場所は身の危険を感じてシェルターに隠れようとするが金色の蔓は地面を抉りシェルターを破壊する。人々を蹂躙する光景は目を背けた瞬間、自分の番が来る。
今回の厄災は終えたのではないのかと口々に言う。
政府はもう機能しない。警察も自分の身を守るので精一杯だ。
自衛隊は金色の蔓が何処から来るものなのか調査するが、撃墜されてしまう。
御代志研究所にて。
「所長!! 早く避難をしてください!」
金色の蔓の正体が何なのかは判明していないが間違いなく新生物、もしくは新生教会が起こした事であることは確信していた。
所長室に飛び込むように入って来る大智。廊下ではいつも以上に忙しなく避難準備をしている職員や研究者が行き交っている。
「……」
「なにしてるんだよ!」
「栗原さん、ナビをお願いします」
「は!?」
こんな危機的状況で何を言っているんだと大智は佐那の言葉に耳を疑う。
イタリアにいる者たちは壊滅状態で丹下も気を失っている。起きても足が使えない為、何も出来ないのは明白。
「例の蔓は、新生物を襲わない。なら、新生物は研究所内で少し働いてもらいます」
御代志研究所にはまだ、戦えない新生物が数人残っている。
旧生物である研究者とその職員を地下に避難させて研究所を守ることが出来ればこちらの勝利だと言うと大智は冗談じゃないとデスクを叩いた。
「あんた、何言ってるのか分かってるのか!?」
「重々承知しています」
「なら、なんでそんな勝算のない事をしようとするんだよ!」
上司だろうと関係ないと大智は叫んだ。
「あんただって見てただろ! 入野丹下はレギラスって奴と相討ちになってる。生きてるか死んでるかもわからない。それなのに、何を待てって言うんだよ! 僕たちは、あんたの賭け事の為に命を奪われたくない!」
大智が丹下に渡していたカメラには、本来映るはずのない物が映っていた。モニター越しにそれらを見て祈っていた。
本来なら此処を守っているはずの劉子も、瑠美奈が目を覚まして、その映像を見てしまい居ても立っても居られないと劉子に連れて行ってもらった。
礼拝堂がどうなっているかなんて研究所にいる人にはわからない。
廬を助ける事も、新生教会を壊滅させることも出来なかった。作戦は失敗した。
「あんた、もしかしてありもしない幻想をあの連中に抱いてるわけじゃないだろうな」
「幻想?」
「待っていたら勝って、戻って来てくれる。なんて思ってるんじゃないのかって言ってるんだよ。そんな事は絶対にない。夢や希望で片付けられるほど現実は甘くないんだ。あんたがどれだけ成功してきたのかは僕は知らないし、どれだけ凄い事をして来たのかもわからない。だけどさ、僕たちを巻き込むなよ」
死にたいわけじゃない。ただ研究する居場所が欲しかっただけで集まった者もいる。全員がこの研究所に恩を感じているわけじゃない。少なくとも佐那に恩を感じている者などごく僅かだ。
「まあまあ、そんなに怒らないであげてよ。もっとも怒る人がいるのは良い事だ。僕は怒られたことが無いからね。……ああ、いや廬には怒られたのかな」
聞き慣れた声が所長室に入って来る。そちらを見れば儡が立っていた。
呆れたような憐れむような何とも言えない表情をしている。
「傀儡さん」
「今の状況は、極めて危険と言っても良いね。うん、僕だってそれくらいは理解できる。大智の言い分も尤もだし、待っていたいと言う佐那の意見も分からなくはない。なんて僕が偉そうなことは言えない。僕はここでは無力だからね」
戦う力がない者はイタリアには行けない。憐や瑠美奈は行ったが儡は行っていない。
「だけど、感情論では何も解決しない。感情がない僕が言うのも滑稽だと思うけどさ」
「……じゃあ、どうしたら良いんですか」
「待つことも許されない。このまま待っていたら無条件で旧生物は殺される。佐那、君もただでは済まされないかもしれない」
「それは分かってます」
「待つのだって方法があるんじゃない? 大智もさ。ただ隠れるだけじゃあただの腰抜けだよ。それじゃあ、君は成長しない。成長する為に此処に来たんだろ?」
「っ……」
儡の特異能力で大智が此処にいる意味を見透かされている事に目を逸らした。
その事を追及することなく言う。
「死んだ人間は戻ってこない。死なせない為の努力をするんだよ。少なくとも、まだ筥宮の研究所は稼働している」
まだ誰も諦めていない。抗い続けている。
「っ……栗原さん、貴方は地下に職員たちを避難させてください」
佐那は立ち上がり、スマホを握る。そして、一つの場所に連絡を入れた。
『はいはーい。愛する姫の将来の旦那だよ』
「聡君、お願い手伝って」
『いいよ~何でもやっちゃうよ』
「御代志町の住民を研究所に避難させて、……危険だけど、その間、蔓を住民に近づけさせないように出来る?」
『勿論……って言うか、もうやってるからさ。俺って出来る旦那じゃん? 惚れ直した?』
『聡、遊んでないで手伝ってよ』
『わっ! ちょっと奪うなよ』
通話の向こうでスマホを取られたのか、さとるの声が聞こえて来る。
『所長。蔓は新生物の特異能力で間違いないです。アンチシンギュラリティが少し通用するみたいなので、狙撃に自信がある人にアンチシンギュラリティを渡せば時間稼ぎが出来ます』
周東ブラザーズが町の方を担当している。後は、残っている新生物と動ける研究者たちで避難民を地下まで案内する。
「傀儡さん、他の新生物の指揮をお願いします」
「うん、いいよ」
「……」
「栗原さん、あたしはこの町を守りたい。この町であたしは瑠美奈のお母さんに会った。あの人があたしを見つけてくれたお陰で二つの足で歩くことが出来る。一時は声を失いかけて、瑠美奈に助けて貰った。恩を感じているのは当然のこと。あたしにとってこの町と瑠美奈はなくてはならない。人を危険に晒すつもりはないです。だから手を貸してください」
「……なにをしろって」
「地下は電波が通りづらいので、貴方の技術で外の情報を出来るだけ最新のを届けてほしいんです」
機械に強い大智ならば、下層と言う遮断された空間でも外の情報を受信させることができるはずだと無茶苦茶な事を言う。
だが、大智は地下で安全な状態で外を知ることが出来る。これで佐那と大智の要望は互いにクリアになる。
「君をスカウトしたのは廬だったね」
考えあぐねていた大智に声をかけた儡に「そう、だけど」と接し方にも困っていた大智は呟いた。
「今ここに廬はいない。つまり廬の上司である佐那に従うのが筋じゃない?」
「……その理屈は嫌いだけど、しょうがない。僕の安全が保障されるなら、それで良いですよ」
所長室から出て行く為に儡の横をすれ違い様に言われる。
「君の兄弟は無事だよ」
「……」
大智は何も言わず自分の仕事に向かった。金色の蔓を排除する為に新生物たちがアンチシンギュラリティを持って抵抗している。
大智は廊下を走る。必要な機材をかき集めて台車に乗せる。
ノートパソコンに非常用バッテリー。地下にいる際に使われていない機材が幾つかある事を覚えていた為、今必要な物を手の空いている職員と手分けする。
「栗原! これだけか?」
「うん、お願い!」
台車を押して駆けて行く職員のあとを体力がない大智が何とか追いかける。
「避難している人達はもう地下にいるだろう。俺たちも早い所地下に避難しよう」
大智よりも背の高い職員が台車を押してエレベーターに向かう。
エレベーターに乗り込んだ直後、金色の蔓が研究所の防弾ガラスを突き破って侵入してくる。
「っ!? こいつらっ」
「栗原、乗ってろ!」
「え、でも」
「良いから俺にはコイツがある。先に行ってろ!」
そう言ってアンチシンギュラリティを取り出す。
新生物ではない職員では容赦無用で殺されてしまう。アンチシンギュラリティが合っても一時的に足止めが出来るくらいだ。
「所長に言われてるんだろ? 俺はお前たちを守るのが仕事だ。新生物じゃなくお前たち研究者を守るって事がな」
職員はそう言って配られていた簡易的なアンチシンギュラリティを片手に金色の蔓の注意を引く為に駆けて行く。エレベーターが完全に閉まり切り静寂が訪れる。
大智はズルズルと壁に沿って座り込み乱れる呼吸を整える。