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第192話 ESCAPE

 鬼頭鬼殻と天理累。

 二人を表すなら、朝と夜。太陽と月。

 決して交じり合うことはない……と思われていた。


 天理累は、他の新生物のような悲しい過去に比べたら寧ろ恵まれていたと言うべきだ。


 生まれながらに持っていた白の翼。

 それを見た者たちは、累を天使の子として扱った。

 見目麗しい姿、微笑むだけで幸福に満たされる。


 しかしながら累はそれを許さなかった。

 何故なら、累の親は誰なのか分からない、いないのだ。

 累から得られる幸福は生みの親に捧げられるべきだと思い続けていた。

 神格化された累を傍に侍らせる事でその場所は富を得る。

 そんなありもしない迷信は尾を引いてしまい累は大切に扱われていた。

 政府になんて渡さないとばかりに研究所の目を何度も出し抜いた。


 その決断力や団結力は称賛に値するものだとまだ幼い累でも分かっていた。

 同時に汚らわしいと思った。不浄に満ちている。

 目の前に起こっているのは表面上の関係であり、裏面では邪な事を延々と考えているに違いない。事実、人間は累の御利益を求めて烏合の衆となる。


 累は自分と同じ存在がいる事に気が付いた。彼らは累にとって清らかな存在だった。新生物の存在は、調べれば調べるほど尊いものとなった。

 人間も悪くはない。生まれたばかりの赤ん坊は穢れを知らない。無垢な存在を守るのは当然の義務だ。

 累がこの世から抹消したいのは、欲望を持つ人間だけ……。


 この世界を支配した時、下心に満ちて手を擦り合わせて来るものを殺せればそれで構わない。犠牲は多いに越したことはない。犠牲が多いという事は、穢れた者が多いということ。


 愛され、与えられ、求めて、受け入れられる。

 そうして累は今の在り方として成長した。

 無償に愛して、無償に与えて、道を示す。


 天命を受けたのは、厄災と言う存在があると認識した日。

 累の目の前で厄災が累を利用した人々を殺していったのだ。


 厄災が累を救済した。神が累を救い出した。

 この薄汚れた世界から救い出し、偽りの愛から解放して、全てを愛せよ。と天命を授けたのだ。


 厄災が神なのではない、厄災は所詮は神の意思を伝える為の一つの手段に過ぎない。

 この汚れた世界を浄化しようと厄災と言う手段を用いただけに過ぎない。


 そして、世界の成り行きを見守っていれば、旧生物と新生物で分けられている事に気が付いた。怪物と形容される人ではない者たちと、人間との間に生まれた存在が新生物。つまり累も新生物に分類される。


 ならば、新しいものこそが正義である。強い者が統制者である。

 虐げられた者こそが真の強さを知っている。


 累は探した。虐げられている新生物と呼ばれた子供たちを。

 廃墟となった教会で子供たちを育てて平和に生きよう。


 そう思っていた時期も確かにあった。だが、目の前で子供が殺された。


 厄災で殺されるのなら神の意思として受け入れることが出来た。

 しかし神は子供を虐げない。累が守護している者たちが健やかに暮らせているのは神の慈悲があってこそだった。


 きっかけはそれだけで十分だった。

 累は初めて正真正銘の『悪』を目の当たりにした。


 政府の研究者と共にいる男。


 鬼頭鬼殻との出会いは、劇的ではなかったが意外ではあった。

 日本を拠点としている鬼殻と各地を旅している累が巡りあうなんて本来あり得ないはずだった。研究所の狂った試験。未登録の新生物の殺害。


 罪深い事をしている男に累は畏怖の念と平気な顔をして殺している鬼殻の姿は神の冒涜を感じた。

 彼にもきっと累と同じように守る者が存在している。だからこそ、見ず知らずを手に掛ける事を天秤に掛けたら結果など考えるまでもない事だと知っていた。


 理解は出来るが同意はできない。


 鬼殻と会う事はほぼなかった。鬼殻もわざわざくだらない喧嘩をする為に累の前に現れたりしない。確実に殺す方法を見つけるまでは現れたりしない。

 そうこうしているうちに風の噂で鬼殻が死んだと耳に入って来た。


 実の妹に殺された。

 平和がまた訪れたのかと束の間の安息。鬼殻が復活したと神の冒涜も甚だしい事が起こった。

 それは厄災が鬼殻を復活させたのだと言う。


 現状を疑った。神が鬼殻をこの世に残した事が信じられなかった。

 神を疑うことはするな。神に仕える者として疑心は不浄の種だと自身を律した。


 鬼殻のような存在がこれ以上増えないように累は政府を壊滅させて、自らだけが罪を被ろうと殉教者を演じる。

 全ては神の為に、全ては新生物の為に、全ては自分自身の為に……。



 白い翼がその象徴。削り取る事の出来ない強い心で目の前の悪を滅する事でまた世界は成長を遂げるだろう。


「ふふっ。悪魔を滅するのが天使の役目。正義は必ず勝つのと同じように貴方は必ず私に負ける」

「フィクションと現実を同一視してしまっている以上救いなんてないでしょうに」


 使いものにならなくなった外套を取っ払って鬼殻はグロテスクな左腕を晒した。

 鬼の腕。すらりとした身体には不釣り合いでアシンメトリー。


「特異能力すらまともに扱えない貴方に僕が殺せると?」

「美しい物を壊すがの大好きなんですよ。……特に他人の美しいを破壊するのは最高の好物です」


 鬼殻の眼鏡に適った美しいものは鬼殻の中に消える。他人の美しいものは壊したくなる。食べてしまえば、壊される心配がないだろうと警告だ。

 累の大切にしているもの、自分自身だろう。自分の尊厳を誰かに侵害されることを恐れながら、邪魔になりそうな者たちを神の名の下に消し去ると仰々しく言う。


 白い翼が動く。羽ばたいて羽が鬼殻を傷つけた。

 清らかな存在は守り、邪悪なものを滅する翼。


「遠くからしか仕掛けられない臆病な天使様ですね」

「不浄は滅するのみ。触れたくもないもので」


 鬼殻が触れることが出来れば、累はひとたまりもない。

 空を飛べる事で鬼殻との距離は十分に取れる。


 そう思い込んでいるであろう累に鬼殻は意味ありげな笑みを浮かべた。

 その笑みを見た瞬間、累の中で嫌な汗が流れる。

 刹那、礼拝堂の床に累は倒れていた。


「はっ?」


 後から勢いがやって来る。骨が粉砕したのではと身体が言う事を聞かない。

 寧ろ意識がある事が奇跡とも言えた。新生物であることで救われた。

 目の前には、宙に浮いている鬼殻が見えた。


「言ったでしょう? 私は神になったのだと。人々が畏怖する権化であることを貴方が一番よく知っていると思っていましたが、現実逃避をした結果、可能性を潰してしまった。ふふっ、私の方が優秀であることを此処で証明してしまいましたね」

「一撃でとどめを刺さないのはどう言うつもりですか?」

「甚振った方が楽しいでしょう?」

「なるほど。そうやって相手は油断するんです。神が僕にチャンスを与えてくださったのだろう」

「ええ。ですので、もうチャンスは与えません」


 累は痛む身体を起こして鬼殻を見上げる。


「貴方が戻って来た時は、なにを考えているのかと疑いましたが、貴方の存在など妹ありきでしかない。偶然、神の座が空いていたから図々しくも座っただけ……末席の神に意味など無い」

「空想上の神よりは優れていると思いますがね。瑠美奈のお陰で貴方を殺すチャンスを得た。それだけで彼女を守る理由は十分です」


 鬼殻は降りて来ると手近に合った長椅子の残骸に触れる。するとたちまち形を変える。禍々しい槍が出来上がる。

 こんなものかと素振りをして切っ先を累に向ける。


 鋭い瞳が鬼殻を見る。


「勘違いをしていますね。私は飛べることが特異能力ではないんですよ」


 天使として本来の姿があるだけでこれはただの新生物としてのおまけだと累は言う。

 ならば、その特異能力とは何なのか。鬼殻は驚く様子を見せずに累を凝視する。


「『跪け』」


 浮かべていた微笑みは消えて、閉じているのではと思わせる糸目は開かれていた。三白眼でありながら微かに見える翡翠色の瞳が鬼殻を映すとほぼ同時に鬼殻の身体は重くなり膝をついてしまった。


「っ……神父にしては選ぶ言葉が物騒ですね」

「もう貴方に取り繕う必要もないかと」


 膝をついた鬼殻を累は冷ややかな視線を向けた。


「それにしても相変わらず、目つきが悪いですね。それで神父だと言うのですから滑稽だ。それに少しでも口を開いて笑えば、鋭利な歯が見えるのでしょう? 天使とは名ばかりではないのですか?」

「私のコンプレックスを余り口にしないでいただきたい。僕が一言貴方に自決するように言えばきっと貴方は簡単に死んでくれるでしょうね」

「では、試してみますか? 私の特異能力と貴方の特異能力。どちらが上なのか。はっきりさせましょう。どちらが悪魔で、どちらが神であるのか」


 槍を床に突き刺して身体を起こす。身体がひどく重い。

 宝玉を過剰使用したってこれほどの重さは感じない。

 高熱に浮かされているような重さだった。


 簡単に神父に成れたら誰も苦労はしない。つまり、特異能力を使い神父の座を手に入れたのだろう。全く以て鬼殻には一切の特がないように思えるが人間の信仰心とは盲目的であり、少し説得力がある事を言えば、誰もが付いて来る。

 それは新生物も同じだ。特に心に傷を負っている新生物は都合の良い駒となる。

 特異能力と併せることで盲信者が勝手に増えて行く戦法だ。


 耳心地の良い音。その音の所為で鬼殻は素直に従いたくなってしまう。洗脳術。

 言霊。天使は人を導いて善悪を天秤する。勝手に悪に落ちるか、勝手に善を気取るか。


 どちらにしても、人間のさじ加減かと鬼殻は内心思いながら身体の重さを何とか克服する。


 槍を引き抜いて一振りする。身体が潰れてしまう程の重さではない。


「この統括者のいない世界では、誰かが管理してあげなければ存続できない。貴方も見ていたら分かると思いますが?」


 厄災を恐れて無秩序となり続ける世界を見て、嘆き悲しむ累に鬼殻は「何も感じませんでしたが」と言う。その気持ちは本心で勝手に滅びに向かおうとする旧人類なんて知った事ではないと付け足した。


「私にとって重要なのは、私の寵愛の中にいる者たちが救われるのか救われないのか。彼ら彼女らが救われる。その事実があるだけで十分です。その他などさして興味がない。博愛ほど身を亡ぼすものはありませんからね。全てを救済するなど土台無理な話なのですよ」

「それをなし得ようと我々がいるのではないですか。この力はいわば神の一部。我々は選ばれたのですよ。神の力を賜ったことを誇るべきなのです。だと言うのに、貴方がたは何とも嘆かわしいことに神を冒涜する異教徒に加担する。ああ、本当に嘆かわしいことです。貴方は『罪を自覚しなさい』」

「ッ……」


 鬼殻のあるはずのない考えが巡る。

 意味の分からない自身を非難する自分の声。洗脳よりも質が悪い。


(これなら、廬君の力の方が心地良かったですね)


 無理やり書き換えられるのは御免だが、自分の声に説教されるのはもっと御免だった。自分のやっている事に善悪など考えるわけがない。やりたいことをやりたいようにやる。それが鬼殻の在り方だと自負している。

 妹を生贄にする事もその一つだ。瑠美奈が死ぬ事で厄災を一時的に停止させることが出来れば、瑠美奈がまたどこかで目が覚めた時、厄災が残っていたとしても、もう瑠美奈に重たい責務を課さなくても良いようにする為だ。

 咎められる覚悟はしていた、殺される覚悟もしていた。しかし、それら全てを受け入れる事はしない。


 鬼殻はそれを罪だと思わない。


 自分の思考と戦っている間に現実では累が鬼殻の前に立ちその首を掴み上げて投げた。ステンドグラスを叩き割り外に追いやられた。


 その先に見えたのは、氷の世界。そして、凍り付いた妹の姿……。

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