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第189話 ESCAPE

 劉子が丹下の前に現れる少し前。憐と本物の廬が冷夏を逃がしてしまった後。


 廬が目を覚ますと廊下に倒れていた。

 礼拝堂と本館を繋ぐ渡り廊下、中庭とは別に庭が広がっている。

 自分はさっきまで研究所の人間に保護されていたはずだが、気が付けば周囲は氷漬けになって死んでいた。冷夏の仕業だと言うのは一目瞭然だ。


「お兄様。目が覚めましたか?」


 何事も無かったかのように冷夏が近づいて来る。姿に廬は後ずさりするときょとんとした顔をする。


「どうかなさいましたか? お兄様」

「その姿はどうした……」


 冷夏は真っ赤に染まっていた。綺麗な白い服が血飛沫を受けて平然と廬に前に立っている。

 平気でいる所を見ると全て誰かの血だと理解できた。

 冷夏はいまやっと自分の姿を見たのか「ああ」と笑みを漏らした。


「酷い姿を申し訳ございません。お兄様を穢そうとする異教徒ばかりで」


 苦笑する冷夏。異教徒と言うのは、研究所に所属している者たちだろう。


「殺したのか」

「仕方ないことです。お兄様を引き渡せって煩いんですもの。融通も妥協もしないなら、殺してしまった方が早いと思いました」

「……どうして」

「どうして? そんなの決まっています。お兄様は誰にも渡さない」


 その気配は昨日一昨日と共にいた女性ではなかった。

 淀んだ瞳の奥にある執着。


「もう誰にも譲ったりしません」

「冷夏」

「何年も待ちました!」

「っ!?」

「何年も待って、私はお兄様の身を案じて毎日神様にお祈りをしました。……私だけがお兄様を考えているのに、どうして……お兄様は私を見てくださらないの。お兄様、私を見てください! 私だけを見て、私と一緒に新生物の世界で生きましょう」


 冷夏は廬に手を差し伸べた。人を殺して、自分だけの世界を作り出す。

 嫌な事を殺して解決してきた。現実から目を背けて逃げて来た。


「冷夏、聞いてくれ。俺は、お前とは一緒に居られない」

「何故っどうして……」

「俺はお前の兄には成れないからだ。俺は糸識廬だ。お前が言う兄じゃない。無名じゃない。俺は糸識廬で、俺は新生物だ。だけど、この身体は俺の心は、他の誰でもない本物の物だ」


 本物の廬が許してくれたから廬は此処にいる事が出来る。

 存在する事を、地上にいる事を、無名が廬と名乗る事が出来るのは本物が許してくれたからだ。

 そして、本物が紡ぐはずだった繋がりを守る義務がある。

 今ここで冷夏の手を取る事でその繋がりを裏切る事になり、許してくれた本物の意思を裏切る事になる。

 廬はそんな事したくなかった。


「……お兄様」

「お前の事は嫌いじゃない。大切だって無名である心は言ってるはずなんだ。だから、俺は廬としてお前を大切にしたい。守りたいんだ」


 今後は廬が手を差し伸べた。


「お兄様じゃなければ、ダメです」

「どうして」

「お兄様であることに意味があるのです。私の唯一は、糸識廬様ではない。無名のあの方しかいないの! 貴方様は一体何者ですか! お兄様は一体何処! お兄様を返して!!」

「っ!?」


 氷柱が生えて来た。廬の衣服を貫いて攻撃した。

 廬に攻撃してこなかった冷夏が正真正銘の敵意を見せた。


(嘘はもう通用しない。俺が兄を演じたって冷夏は納得しない。ならどうする。此処で癇癪を起してる冷夏を放置するのか)


 これも糸識廬だったからこその繋がりだと廬は信じている。

 冷夏は敵じゃない。味方になれる存在だ。説得する事が出来れば互いに怪我をしなくて済む。


「話を聞いてくれ!」

「もう何も聞きたくない! お兄様、助けてっ」

「冷夏っ」


 冷夏に手を伸ばした廬を貫こうと氷の刃が伸びて来た。

 貫かれても掴んでやろうと思った刹那、目の前で黒い影が下りた。


 氷が砕けた音、粉々となり水になり消える。

 見えた黒に廬は底知れない安堵を感じた。


 赤い瞳が冷夏を見つめる。


「中途半端な人化。貴方様はいったい」


 石畳の床を崩す。上を見れば黒い翼の吸血鬼がこちらを見ている。

 廬の視線に気が付くと軽く手を振って飛び去って行った。彼女の事だ、きっと他の人の様子を見に行ったに違いないと廬は目の前で起こっている事に意識を向ける。


「御代志研究所のB型21号。鬼頭瑠美奈」


 冷夏はその人物が誰なのか理解した。

 けれど、その人物が此処にいる事に違和感を覚えた。


「何故です。貴方様は宝玉の傷で研究所から出られないはず」

「……でてきた。みんながたいへんだってきいたから」

「それが美徳だと」

「わからない。そういうふうにかんがえたことがない。かんがえたことはひとつだけ、このたたかいにいみがないってことだけ」

「貴方様には分からないこと。貴方様は全てを持ち合わせているのですから。持っている者に何を言われても虚しくなるだけです!」


 氷が瑠美奈を襲った廬は「瑠美奈っ」と名前を呼ぶとそれに反応したように氷を砕いた。

 肌寒さに支配された廊下。空は暗く夜が視界を妨げる。


「瑠美奈」

「だいじょうぶ。けがはないから」


 廬が心配そうに瑠美奈を見るとこちらを見ずに言う。

 その様子が気に入らない冷夏は唇を噛み瑠美奈に敵意を向けた。


「鬼頭瑠美奈。鬼……悪魔の子。教会に相応しくない。お兄様に相応しくない!」

「そんなのしらない」


 冷夏の言葉を瑠美奈は一蹴する。

 飛んでくる氷の礫を払い瑠美奈は冷夏に手を伸ばした。


「ッ……」

「ころしたりしない。ただあなたにはやってもらいたいことがある。このたたかいをおわらせたい。これじゃあ、しななくていいひとがしぬ」

「私には関係ありません。貴方がやれば良いでしょう。その力があるのですから」


 忌々しいと冷夏は瑠美奈の提案を断る。


「貴方が表に出れば誰もが行動を止める事でしょう」

「それじゃあいみがない。ちからでよくせいしても、だれもついてこない」


 瑠美奈が全力を出せば少数である新生教会を壊滅させることは出来るだろう。しかしそんな事をしては、新生物は誰も納得しない。互いに納得のいく方法を探さなければならない。その為にも誰よりも古参幹部である冷夏の力が必要だった。


「私は貴方の指示に従うものですか!」


 瑠美奈の身体が凍り付く。氷柱が天井に出来上がる。寒さで呼吸が乱れる。

 冷夏は瑠美奈を凍らせて殺そうと特異能力を発動する。


「所詮B型なのですから、制限がない私に敵うわけがないのです!」

「っ……」


 瑠美奈の手を掴んで冷夏は完全に凍らせるために力を強めた。

 

「貴方はなんだって持っているじゃありませんか。それなのにこれ以上私から何を奪うと言うのですか! 兄がいて、友だちがいて、将来を誓い合った仲がいる。それ以上何を望み、何を奪うと言うのですか」


 鬼殻と言う兄がいる。憐や佐那、他にも沢山の友だちがいる。儡と言う恋人がいる。

 これほど恵まれた環境にいながら、不幸な人間から搾取する。


「ねえ、楽しいですか? そうやって余裕な顔をして、何も知らないといった顔をして過ごして楽しいですか?」

「……」

「私はずっと辛かったんです。お兄様がいなくなって、ずっと一人で孤独だった。それなのに貴方たちは、研究所の連中はいつだって自分が被害者だと言いながら他者を虐げている」

「そんなことしてない!」


 少なくとも御代志研究所はしていないだろう。だが、他に研究所は多くある。

 各研究所の研究方針は異なり新生物に対しての扱いも違う。未登録の新生物と言うだけで危険物だと扱われて虐げられる。

 研究所で生まれたからと大切にされる。何が違うのか。

 怪物と人間との間に生まれた子供。親の違い、力の違い。それだけの事だと言うのに話し合いの一つも受け入れない。


「貴方も同じです。搾取するだけの異教徒なのです!」

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